展示している埴輪などの出土品(前橋市の市粕川歴史民俗資料館で) 前橋市の「白藤古墳群」で最初の発掘調査が行われてから40年を迎えたことを記念して、出土品や調査結果を紹介する企画展が同市の市粕川歴史民俗資料館で開かれている。27日まで。 白藤古墳群は、5~6世紀前半に形成され、直径20メートル前後の円墳が密集しているのが特徴。発掘調査は1981年10月から行われた。県のマスコット「ぐんまちゃん」に顔や体形がそっくりな馬形 埴輪(はにわ) が発掘されたことでも知られている。 企画展では、新たに銅製の 勾玉(まがたま) と判明した出土品の実物などを展示。内部が空洞で先端にガラスが付いたこの出土品は、これまでは銀製 空玉(うつろだま) と考えられていたが、企画展に先立って行った市教育委員会の分析で分かった。こうした新たな調査結果もパネルで紹介している。 市教委文化財保護課の小島純一さん(65)は「
【読売新聞】 NHKが新年度からの総合テレビの番組について、夜の時間帯で大幅な改編を行う方針であることが27日、分かった。情報番組「ガッテン!」などを終了させるほか、番組制作の3大拠点の一つである名古屋拠点局を、連続ドラマ制作から撤
埴輪片大量出土 後に整地「墓じまい」? 出土した破片を接合した家形埴輪(手前)と円筒埴輪。家形には顔料が残る(大津市で)出土直後の周濠や埴輪の破片(大津市教委提供) 大津市桜野町の錦織遺跡で、古墳時代前期後半(4世紀後半)とみられる古墳の 周濠(しゅうごう) (堀)と大量の 埴輪(はにわ) 片が出土し、市教委が発表した。市内の古墳は尾根や高台に築かれている例が多く、琵琶湖に近接する平地で確認されるのは異例という。市教委は「想定外の発見。地域の有力者の古墳とみられ、一帯の歴史を考える上で重要な成果だ」としている。(渡辺征庸) JR大津京駅から北約150メートルの住宅地に位置し、宅地造成に伴って昨年9~10月に約100平方メートルを調査。幅約5メートルの周濠とみられる溝や、魔よけなどのため古墳の 墳丘(ふんきゅう) に据える埴輪の破片が見つかった。墳丘は残っていなかったが、周辺の試掘などの結果
断面に墨 実用品の可能性 1分刻みで、5分や1寸の目盛りがついている竹尺平城宮跡の役所跡で出土した竹尺(奈良文化財研究所提供) 奈良市の平城宮跡にある役所跡で、竹尺(竹の物差し)が出土した。現在の竹尺とそっくりな形をしており、奈良時代には実用品として使われていたとみられている。竹製品は土中に残りにくく、同時代の竹尺を確認したのは初めてという。 平城宮の東部にあった役所群「東方 官衙(かんが) 地区」で、2008年に発掘したゴミ捨て穴の土壌を水で洗う作業を進めるなかで、見つかった。 発見した竹尺は断片が9片あり、幅1・7~1・8センチ、厚さ0・2センチ、長さ3・4~13・7センチ。表面に針状の刃物でつけた線刻に墨を入れた1 分(ぶ) 刻みの目盛りがあり、復元すると全長1・5尺の物差しとみられる(1尺=約30センチ。1尺=10寸=100分)。 調査した浦蓉子研究員は「目盛りが細かく、断面に墨の
【読売新聞】編集委員 猪熊律子 私事で恐縮だが、踵(かかと)を骨折した。想像以上の痛みと痺(しび)れ、腫れで、夜、眠れない。薬を飲み、痛みが少し和らいだかと思ったら、副作用で吐き気と食欲不振が起き、さらに眠れなくなった。無理に眠ろ
明日香村の歴史遺産 階段状石垣(奥)の崩落後、復旧・復元整備された酒船石遺跡(明日香村で)県立万葉文化館の中庭に復元された飛鳥池遺跡。劣化が進んでいる(明日香村で) 遺跡の現地保存は文化財保護の原則だ。歴史遺産の活用が求められるなか、遺跡をどう保存し、活用すべきかが問われている。 ■崩れた遺跡 亀形石造物などが出土し、実物を現地で露出展示している明日香村の酒船石遺跡で2018年6月、台風や豪雨で地盤が緩み、階段状の石垣が幅8メートル、高さ20~50センチにわたって崩落した。 「遺構が崩れたのを見るのは初めて。これは大変だと思った」。現場を目にした村教育委員会文化財課の長谷川透・主任技師(41)は振り返る。復旧・復元工事が実施され、幸い元の姿に戻すことができた。 村内にある飛鳥時代の遺跡で、遺構を露出展示しているのは、酒船石遺跡しかない。当時の風景を実感できる迫力は、何ものにも代えがたいが、
明日香 7世紀中頃~後半の遺構 明日香村の島庄遺跡で、飛鳥時代の7世紀中頃~後半のものとみられる建物跡や石組み溝などが、県立橿原考古学研究所の調査で出土した。島庄遺跡は7世紀前半は大豪族・蘇我馬子の邸宅で、その後、天智天皇らの離宮・島宮になったとみられており、島庄遺跡の実態を解明する手がかりになるという。 飛鳥時代の建物跡などが出土した島庄遺跡(昨年12月、明日香村で) 県道整備に伴い、約660平方メートルを発掘。幅2・5メートル、奥行き3・5メートルの建物の一部や、長さ約6メートルの塀跡などが出土した。また、幅1・5~1・9メートル、長さ8・5メートルの石組み溝も見つかった。 出土遺物は少なく、建物跡などの方向が、東西南北から斜めを向いている特徴などから時期を推定した。 天智天皇の祖母にあたる吉備姫王は日本書紀に、646年に没した際、「吉備嶋皇祖母」と記されており、「嶋」という名称から島
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