山形県鶴岡市沿岸の砂丘の地層から、平安時代に巨大津波が起きたとみられる痕跡が見つかったとの研究結果を、山形大などのグループが26日までにまとめた。海抜30メートルより高い地点で確認され、従来の県の想定を超える津波が襲う恐れがあると指摘している。 グループの山野井徹・山形大名誉教授(地質学)によると、鶴岡市湯野浜地区の庄内砂丘で粘土質の泥の層が見つかった。砂丘では通常、砂の層しかないため、日本海が震源の地震で巨大津波がこの場所まで浸入し、運ばれた泥が堆積したとみている。 最も高い位置は海抜37・9メートルで、海岸から約1600メートル内陸だった。
東京都は六日、公文書の閲覧手数料(一枚十円)を廃止する方針を明らかにした。コピーの交付手数料も値下げし、モノクロ一枚十円(現在二十円)、カラー二十円(同百円)にする。二〇一七年度に情報公開条例の改正を目指す。公文書を電子データ化し、無料提供する仕組みも検討し、小池百合子知事は「都民が行政情報にアクセスしやすくし、都政の透明化を進める」と述べた。 都によると、公文書の閲覧に手数料がかかるのは全都道府県で東京など三都県だけで、コピー代も東京は他の四十六道府県の二倍だった。担当者は「コピーの実費に加え、文書を特定したり黒塗り加工する手間もかかった」と説明する。 都の一五年度開示件数は一万四百四十一件で、ページ数は計八十九万六千枚。内容別では工事設計書が半数を占める。全国市民オンブズマン連絡会議の一一年度調査では、都道府県別の情報公開度で東京は四十四位タイ。同連絡会議事務局長の新海聡弁護士は「都の
こども科学館では八王子隕石のかけらをルーペで拡大して見られる。かけらが入っていた包み紙(右)には「隕石の事」の文字も=八王子市で 江戸時代後期の一八一七(文化十四)年、現在の八王子、日野、多摩の各市に隕石(いんせき)の雨が降った。国内で落下の記録が残るうちでは、五番目に古い「八王子隕石」だ。来年で二百年の節目を迎えるのを前に、実物を展示したり、当時の文献などを紹介したりする企画展が八王子市の二施設で開かれている。(村松権主麿) 市こども科学館「コニカミノルタサイエンスドーム」(大横町)は「八王子隕石と小惑星探査機はやぶさ」を二十四日まで開催している。はやぶさと関連させたのは、小惑星イトカワで採取してきた岩石サンプルが同様の成分で、隕石が元は小惑星だったと確認されたため。 最大の目玉は、現存する唯一の八王子隕石とされる大きさ五ミリ四方、重さ〇・一グラムのかけらだ。朝廷で天文や暦を担当した土御
歴史的に価値が高い公文書などを管理する国立公文書館の本館(東京都千代田区)と分館(茨城県つくば市)の文書保管能力が、早ければ二〇一八年度中にも限界となる可能性が生じている。新館の整備も具体化していない。各省庁で保管期限が切れた重要文書が廃棄される懸念がある。特定秘密保護法施行で政府の情報公開への姿勢が問われる中、保管に支障が出れば国民の知る権利が阻害されかねない。 (中根政人) 内閣府によると、本館の九割、分館の七割の保管場所が埋まり、あと三~四年で満杯となる。新館は衆院議院運営委員会の小委員会で建設地の選定を進め、昨年通常国会中に結論を出す方針だった。だが昨年八月の中間取りまとめでは、意見調整の遅れから国会議事堂周辺の二カ所を候補地に挙げるにとどまった。 公文書管理法に基づき、公文書は保管期限がくるまで各省庁が管理する。保管期限後は、政府が「歴史資料」と判断した重要な文書は、公文書館
横浜に拠点を置き、関東大震災(一九二三年)後の復興を担った米国人建築家J・H・モーガン(一八七三~一九三七年)が設計し、横浜市歴史的建造物に認定されている関東学院中学旧本館(南区)が、来年三月に取り壊されることが分かった。学院は当初、改修・保存を目指していたが、耐震性に問題があるとされて断念。モーガンの意匠を再現した新しい建物を建設することになった。 (志村彰太) モーガンは一九二〇年に来日し、戦前期に「東洋一のビル」と言われた旧丸ビル(東京都千代田区、九九年解体)や、根岸森林公園にある一等馬見所(横浜市中区)などを手掛けたことで知られる。 旧本館は二九年に建設され、八十五年以上、高台から街を見下ろしてきた。鉄筋コンクリート三階建てで、礼拝堂や会議室、教室で構成される。四本の八角形の塔とキリスト教の十二使徒をかたどった壁の模様が特徴。廊下の一部天井がアーチ状で、全体的に中世西洋の城のような
鎌倉時代の僧侶で、時宗を開いた一遍上人(一二三九~八九年)の生涯を描いた絵巻「一遍聖絵」(国宝)全十二巻が十日から、藤沢市にある時宗総本山の清浄光(しょうじょうこう)寺(遊行寺)の宝物館で公開される。合計の長さが約百三十メートルに及ぶ全巻同時公開は初めて。同館の遠山元浩館長は「一挙公開は最初で最後になる可能性がある。見てもらえば素晴らしさが分かる。一人でも多くの方に見てほしい」と力が入っている。 (吉岡潤) 一遍は「南無阿弥陀仏(あみだぶつ)」と唱えれば誰もが往生できると説き、全国を巡り、「踊り念仏」を行ったことで知られる。遠山館長によると、聖絵は一遍の死去十年後に作られ、絹に描いた絵巻物では国内最古。一遍の誕生から始まり、出家して太宰府に向かい、国内各地を訪れ、亡くなるまでを、絵と文章でつづる。
働く人を入れ替えれば企業が同じ職場で派遣労働者を使い続けられるようにする改正労働者派遣法をめぐり、厚生労働省がパブリックコメント(意見公募)の期間を十七日までの三日間で打ち切った。行政手続法は公募期間を原則「三十日以上」と定めるが、特別な事情があれば、短縮を認めている。改正法は成立から施行まで三週間もなく、公募期間の短縮につながった。政府が経済界の都合を優先し、労働者が不利益を受ける結果になった。 (我那覇圭) 政府は改正案を八月中に成立させる予定だった。しかし、日本年金機構の個人情報流出問題などの影響で、改正法の審議は進まず、成立は今月十一日にずれ込んだ。施行日も遅らせれば混乱は少なかった。しかし、経済界の要請を受けた政府は違法派遣で働かせている労働者の直接雇用を受け入れ企業に義務付ける「労働契約申し込みみなし制度」が十月から始まるのを前に、「抜け道」が盛り込まれた改正法の施行を急いだ。
二〇二〇年東京五輪・パラリンピック大会の主会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の建設で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は七日、計画を話し合う有識者会議を開き、総工費を二千五百二十億円とする案を報告し、了承された。維持管理費として五十年間で千四十六億円が必要になる見通しも判明。一方で、年間収支の黒字見込みは三千八百万円しかなく、実質的に毎年二十億円程度の赤字となる恐れがある。 JSCは十月の着工を目指し、近く施工業者のゼネコンと契約する。当初、ラグビーワールドカップ(W杯)半年前の一九年三月とされた完成時期は、二カ月遅れの同年五月とした。 昨年五月の基本設計時の総工費は千六百二十五億円で、当時総工費に含まれていた開閉式屋根などの分二百六十億円を除くと、今回との差額は千百五十五億円。そのうち、屋根を支える二本の巨大アーチなどデザインに伴う難工事による増加分が約七百六十五億円に
「江戸しぐさ」なるものが、小学校の道徳教育や自治体の市民講座でもてはやされている。江戸時代の商人たちが人間関係を円滑にするために培ってきた生活マナーらしいが、その存在を裏付ける史料は存在しておらず、本当の江戸とのつながりは定かではない。歴史研究家は「ニセの歴史」などと指弾する。発信源を探ってみると、その名もずばり、NPO法人「江戸しぐさ」にたどり着く。国や自治体はこの主張に乗っかっていた。 (林啓太) 【こちらは記事の前文です】 記事全文をご覧になりたい方は、東京新聞朝刊または、携帯電話の有料会員サービス「東京新聞・東中スポ」をご利用ください。 東京新聞は、関東エリアの駅売店、コンビニエンスストアなどでお求めいただけます。 「東京新聞電子版」なら全国どこでも、また海外でも、記事全文が紙面ビューアーでご覧いただけます。 購読・バックナンバーをご希望の方は「新聞購読のご案内」をご覧ください
桐生市立西小学校の校舎内に、二万点以上の地元の歴史資料を集めた「教育資料室」がある。江戸時代の教科書や明治時代にノート代わりに使った石板、市内の古い写真などを保管し、広く市民が手に取れるように公開している。開室以来十八年にわたり室長を務めている元西小校長で、市文化財調査委員の大里仁一さん(82)は「子どもたちが目を輝かせるような資料がたくさんあります」と話す。 (杉原麻央) チャイムの音や児童の声が響く校舎二階の空き教室に、さまざまな書物がところ狭しと並ぶ。「これは珍しいですよ」。大里さんが取り出したのは、一九三四(昭和九)年、昭和天皇が市の織物業を視察したときの記念写真集。当時の西小講堂に、各工場の織機が勢ぞろいした様子が写っている。
14日のJRダイヤ改正に伴い、東京と茨城、福島を結ぶ常磐線の特急から自由席が消える。JR東日本は「座席確保のために並ぶ必要がなくなる。指定席料金は下げる」と利点を強調、他路線にも導入する考えだが、主な区間の値段は自由席より高くなるケースが多く、割安な回数券もなくなる。自由席廃止は、理解を得られるか。 (妹尾聡太) 十四日の「上野東京ライン」開通により、上野駅止まりだった特急は東京、品川両駅に直通。これと同時に十両編成中、三~四両の自由席車両がなくなる。特急券は「指定券」と、他の客が指定するまで空席に座れる「未指定券」の二タイプ。両方とも同額で、未指定券は乗車前に無料で指定券に変更できる。未指定のまま乗車した場合はランプで表示される空席に座る。 JR東日本水戸支社は「課題だった不公平感や、乗車待ちの列を解消できる」と説明する。朝夕に上野や水戸など主要駅のホームで自由席待ちの列ができ、中間駅の
年末年始の貧困者への炊き出しをさせないことを目的に、東京都渋谷区が区立宮下公園など3公園を閉鎖した問題に絡み、支援団体は29日、同公園に隣接する歩道脇のスペースで炊き出しを始めた。 団体側は26日に区へ公園の利用申請を出したが、「(1月3日まで)供用を停止しているため」との理由で許可されなかった。メンバーらは歩道脇での炊き出しに「行くところがどこにもなかった。命に関わるため、やむを得なかった」と説明している。区側とのトラブルはなかった。 この日は、ホームレスの人たちや、ボランティアら計約100人が集まり、区内の青果店からもらったタマネギやニンジンを刻み、カレーを作って食べた。野宿者の男性は、わんから立ち上がる湯気を顔で受けながら一気に食べ「今の時期、温かいものを食べられるだけで本当に幸せだ」と笑みを浮かべた。
国の文化審議会が二十一日に国史跡に指定するよう文部科学相に答申した川崎市高津区千年から宮前区野川にまたがる「橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡群」。国史跡は市では初めて(県内では五十八件目)で、福田紀彦市長は先を見据え整備、活用する意向を示した。 橘樹郡衙は奈良・平安時代の役所で、古代川崎の政治、文化の中心だったと考えられている。東西に整然と並ぶ七棟の掘立柱(ほったてばしら)建物跡は、税を収納する「正倉(しょうそう)」跡と推定され、七世紀後半~八世紀に造営、九世紀中ごろ姿を消したことが明らかになっている。郡寺は七世紀後半~八世紀の創建で、出土瓦の意匠を凝らした文様などから南武蔵の中心的な寺院だったと考えられる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く