日本の原子力発電機の数は54基と米仏に継ぐ世界第三位で、建設中・計画中のものを含めると69基と第二位である(2010.1.1時点)。国土面積あたりの基数は主要国の中では最多であろう。 世界唯一の被爆国である日本で、しかも地震の被害が当初から懸念されていた原子力発電が、安全が確保されないままなぜここまで普及したのか。それには導入当初の特殊な政治的事情を振り返ってみる必要がある。 ここでは「大正力」「原子力の父」といわれた正力松太郎とオーナーであった読売新聞、同時期に原発推進に動いた中曽根康弘の動きを中心に見てみたい。 当時正力は読売グループのオーナーとして創設間もない日本テレビを含め全権を掌握していたが、かねてからの政界進出の夢を諦めきれずにいた。原子力を武器に一気に首相の座まで狙っていたと言われている。中曽根は55年の保守合同で旧民主党から河野派入りするまで野党暮らしが続いていたが、この原