コンクリートの道を裸足で奥へ進むと、牛小屋のようなものが見えてきました。そこがこれから生活する収容施設のようです。 中に入ると小学校の体育館ほどの広さの部屋で、真ん中にカビだらけのロッカーがあり、それを挟むように両サイドに木の板で出来た島のようなものがありました。そこに、目視でおよそ200名ほどの人間がすし詰めになって座っていました。多くはベトナム人、インドネシア人で、あとはアフリカ人やネパール人、タイ人が少し、勿論そこに日本人は私達だけでした。私達はそこでは名前は呼ばれず「ジャパニーズ」と呼ばれます。 そこでは日暮里で売られている100円布のようなものが1人ひとつ渡され、どうやらそれが布団のようでした...つまり、コンクリートか固い木の板の上でそれを敷くか掛けるかして寝ろ、ということです。 入口に体育座りで座らされ、そこでの暮らしのルールを説明されました。 トイレ、と呼ばれた場所はこの収