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円安とは
back-athlete.com
福岡の強豪、バスケ部の基礎から築き上げた井手口孝さん。部活の練習は朝早く夜遅くまで行われます。毎日の日課は大変なものですが、「体育館にいることが好きなので」と井手口さんは笑います。先生としての側面、コーチとしての側面。両方の指導だからこその苦悩と選手への想いや情熱を語っていただきました。 バスケットボールのコーチとしての想い ―――バスケコーチを志された経緯を教えてください。 井手口 僕はティーチャーであり、コーチです。その意味で、中学の時は2人の先生から、もう1人は高校の先生にも影響を受けました。中学3年の担任は、野球出身のソフトボール部の先生でした。手も出る、足も出る非常にハードボイルドな先生でしたが、共感するところはありました。もう1人は、バスケット部の監督。体育の先生であることも共通していましたが、当時としては珍しく一切手を出さない温厚な先生でした。僕にはどちらの先生も良かったです
意外だった。正直、笑顔の印象があまりなかったが、対峙した瞬間それは裏切られた。誰よりも優しい屈託ない笑顔を見せてくれた人…。それは柔道日本代表監督・東海大学男子副監督・井上康生氏だ。柔道選手から指導者に転身した井上監督。日本代表をまとめあげるその手腕は高く評価されている。今回、普段中々、聞くことのできない「指導者としてのフィロソフィー」を大いに語ってもらいました。 ―――現役選手時代から指導者の道に進もうと考えていたんですか? またそのきっけは? 井上 指導者を意識し始めたのは、恩師の皆さんとの出会いがあったことが大きな要因だと思います。学生時代に出会いました山下(泰裕)先生、佐藤(宣践)先生や当時の監督の中西(英敏)先生、今、東海大学柔道部の監督でいらっしゃる上水(研一朗)先生、こういう方々の影響が非常に大きかったんです。そんな中、佐藤先生に「いずれは指導者の道を考えてみたらどうか」とい
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