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パリ五輪
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若い日の私は、まったく勉強せずに遊びまわる怠惰な学生でした。 40年ほど前の大学は、今ほど出席にうるさくないこともあり、毎日のように仲間と麻雀荘に入り浸っていました。 大学を卒業し広告会社に入社した私は、5年ほどして母校を担当する営業になり、再び大学に足を運ぶことになったのです。 遅い春のある日、時間が余った私は何の気なしに教室に入り、たまたまそこで行われていた授業に耳を傾けたのです。 衝撃的な経験でした。授業の内容が良くわかったし、しかも面白かったのです。 たまたま面白い授業だったということでしょう。しかしそれ以上に、5年間の社会人としての経験が授業への理解力や共感力を高めてくれたのです。 私は4年前からマスコミ学科で教鞭をとる一方、サテライトセンターの所長を務めています。大学時代に授業をサボっていた私が後日教員に転身するきっかけの最初のひとつが、この晩春の衝撃でした。 今日、生涯学習の
ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。 ガ島通信さん経由で、毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」に元クレイフィッシュの社長、松島庸さんがとりあげられていることを知った。 香港でIP電話などを手がける投資会社の雇われ社長をしているという。 そうか、松島さんは今香港にいるのか。 松島さんと知り合ったのは94年だから、もう12年になろうとする・・・・。 95年にぼくがプロデュースしたイベント「ネットワーカーズジャパン(おふらいんまつり)」でホームページを作ってくれたのが松島さんだった。 ぼくにとって初めてのホームページの仕事だった。 イラストにクリッカブルマップを重ね、ホームページビルダーがまだなくて手作業でタグを打っていた時代には手の込んだ仕上がりだった。 ニフティのビジネスヒントフォーラムのシスオペだった松島さ
ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。 多少旧聞に属して恐縮だが、10月27日の毎日新聞のコラム一筆入魂で、嶌信彦氏は次のように書いた。 ある自民党の幹部は「総選挙当日の小泉首相をあしらった新聞広告を見たか」と聞く。「改革を止めるな。」というキャッチコピーを入れた小泉首相の大きな顔写真を紙面いっぱいに展開した全面、あるいは見開き二ページのカラー広告である。その幹部によると「当日、朝日新聞だけは掲載せず、その分はスポーツ紙などにまわした」というのだ。事前にこのことを知った朝日側はあわてて自民党へ出向いたが、「朝日読者には自民党支持者が少ないという調査結果が出たうえ、予算もなくなってきたので効果的とみられるスポーツ紙を選ぶことにした」として応じなかったという。朝日だけをはずしたのは前代未聞のことだろう。 これに関する言及
ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。 インターネットがいまだ登場しない20年前に、メディアの変身をリードした男がいた。 フジサンケイグループの議長だった鹿内春雄氏である。 当時の彼の抱いていた問題意識は「ニューメディア」時代の到来にフジサンケイグループはどう立ち向かうかだった。 手元に、「メディア軍団 0号」という1985年7月16日発行の資料がある。 フジサンケイコミュニケーショングループのCI推進室が発行するグループ内の情報誌で、面白いことに40歳以下の社員にのみ配られたものだ。 ここに発行前日に行われたフジサンケイグループ全体会議での鹿内春雄氏のスピーチの口述筆記が掲載されている。 この中で鹿内氏は、 >皆さん方もご存じのようにニュ」メディア時代、ニューメディア時代ということが言われます。 >で、テレビは変化
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