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中東情勢
blog.goo.ne.jp/sasayaki_1948
わたくしが棲んでいます由布院には天照大神や宇奈岐日女命・速津日女命(媛踏鞴五十鈴媛命)・萬幡豊秋津師姫が住んでいたと考えられますが、宇奈岐日女命は宇奈岐日女命神社にて認める事ができ、速津日女命は金鱗湖の天祖神社にてその痕跡を認められますが、天照大神と萬幡豊秋津師姫は全く認められません。萬幡豊秋津師姫は天之忍穂耳命と一緒に朝倉~彦山方面に移動したものと考えられ、納得出来ますが、天照大神は何故か町内の何処にも痕跡が無いのです。之は不思議であります。 安本美典さまと仰る、高名な古代史家が居られます。安本氏はまず、何天皇の時代であるかの論証を、統計を用いた『世紀別天皇平均在位年数』や『中国』・『西洋』の王との比較在位を調べ、初代神武天皇から現在までの『天皇の代と没年』のグラフを表して、検討され、グラフの延長線での神武天皇(初代天皇の意味)は西暦280年~290年、卑弥呼(239年頃)は天照大神に考
本日(2011.11.7)からブログをはじめました。 よろしくお願いします。 海○○人さま、初めまして、わたくしは大分県由布市湯布院町に住む秋永祥治(あきながしょうじ)と申します。S23年福岡県久留米市篠山町生まれの62歳です。父・祖父等の実家は福岡県浮羽郡田主丸町以真恵という所で農家でした。久留米地域には秋永の姓は数が少なく学校でも珍しがられていました。父はH2年に亡くなりましたが、生前秋永家の由来を訊ねたことがあります。海軍将校だった父も青年のころ興味を抱いたらしく、菩提寺の過去帳等でいろいろ調べたところ、詳しいことは解らなかったが、『以前は柳川?の藩士であったが、お家騒動で脱藩して田主丸で農民として住むことになった。と想われる。』由。一緒に脱藩時、他の秋永姓のものは、大分県の耶馬溪の方に逃げたらしい。と父から聴いていました。それ以前のことは不明でした。 九州では秋永の姓は、福岡県は田
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