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2009年02月09日 「いしいひさいち」と4コマ革命 漫画の神様といえば、言わずと知れた手塚治虫先生の事ですね。 ストーリー・ギャグ 少女モノ・4コマ・風刺漫画et・・・ 作品の質だけでなく、とにかくオールジャンル描いています。 けどいくら神様といえどその全てのジャンルでトップに立った訳ではありません。 生涯理解出来なかったといわれるスポーツ漫画の世界では、 スポ根モノの帝王・梶原一騎が君臨していました。 児童漫画界は藤子・F・不二雄がトップに立ち、 劇場アニメの世界でも宮崎駿が天下を取りました。 さて、じゃ4コマの世界はどうなのか? 誰が「4コマ界の手塚治虫」にふさわしいのか? 私は、いしいひさいち氏こそが、ソレにふさわしいと思っています。 とにかく、いしい氏は評論家の評価がやたら高いです。 私も氏の作品は好きですが、ちょっと評価高すぎなのでは? と、思ったり、思わなかったり・・・ い
2008年10月20日 最後に 「山中潤氏の語る『ガロ』」 最後まで読んでいただいた方々に感謝します。 何度も言い訳をしてしまいますが、 私は文章の勉強は、学校の作文の授業うけた程度の素人なので、 読みづらい部分や、変な表現も多々みられると思います。 なにより、お話をしていただいた、山中さん本人にも、 細かい間違いが多い等、不安な思いをさせてしまった事に、 改めて自分の未熟さを痛感し、反省する事しきりです・・・ 改めて申し訳ありませんでした。 今思うと、ブログに記事を載せるのも、 もったいつけずに、いっぺんにアップすればよかったのかもしれません。 とりあえず、記事はこれで終了ですが、 細かい間違いの箇所は後で訂正しますので、 まだこれが完成というワケではありません。 昔から憧れの雑誌だった『ガロ』 それが突然の休刊になり、 その裏には経営陣と編集部員との間のトラブルがあったと、 当時色々な
2009年01月25日 単行本が出ない いやいや不景気ですね。 いや、まぁそんな事、私に言われないでもわかってますよね。 漫画界も不景気ですよ。 出版不況ってヤツです。 単行本出した事無い私にはまだ無縁の話ですが、 今、単行本が売れなくなってるんですよね。 売れるのはメジャーの、もともと売れてる長期連載作品が中心。 漫画家は単行本収入が大きな財源なのに、 単行本が売れなくなってるってのは大打撃なんですよね。 で、どういう対策を出版社がとってるかというと・・・ まずページ減。 以前は180〜200ページの枚数じゃないと単行本にならなかったのに、 最近では160ページでも一冊の単行本にまとめられる。 丸々一話分は欠落してるってコトですね。 で、値段は今までと同じ・・・ 同じ・・・だったらいいんですけど、 マガジンコミックスは値上げする(した?)そうですね。 いやはや爪に火をともす様な対策ですね
山中潤氏の語る「ガロ」 2017年03月18日 また訃報が… 昨年から漫画家・漫画関係者の訃報が続いていて 悲しく思っておりましたが、 また一人、漫画関係者である『編集者』の方が亡くなられてしまいました。 白取千夏雄さん。 元「ガロ」副編集長として「4コマガロ」や 古屋兎丸先生や福満しげゆき先生を担当され、 故・やまだ紫先生の夫でもあった方です。 2005年に白血病が発症し、近年はメルケル細胞癌の闘病の末 昨日3/17に残念ながら亡くなられてしまったとフェイスブックで知りました。 白取さんのブログには その凄まじいまでの闘病の様子が記録されております。 http://shiratorichikao.blog.fc2.com 最期の更新は14日。 そして古屋兎丸先生のレスの承認をした所で 力つきてしまった…と推測されます。 私は白取さんとはご面識もなく、お会いした事もありませんが、 数年前、
2023年03月03日 『「たま」という船に乗っていた』増補版発売! 「たま」という船に乗っていた 増補改訂版石川 浩司双葉社2023-03-23 只今、私がwebアクションで連載中の、石川浩司さん原作の漫画『「たま」という船に乗っていた』ですが、その原作本はすでに絶版で入手が難しくなっておりました。 ですが、漫画版単行本も好評を得た事もあり、その原作の自叙伝が書き下ろしをふくめた増補改訂版として、3/23に発売する事が決定しました! 初版「ぴあ」刊版をお持ちでない方や、お持ちの方も、この機会に是非お買い求め下さいませ! 原作と漫画を読み比べてみるのも面白いですよ(^^) yota874harahara at 18:58│コメント(0)│自作の漫画話 2023年01月05日 2023年 2023年あけましておめでとうございます! 本年も漫画『「たま」という船に乗っていた』を宜しくお願いいた
2008年10月11日 山中潤氏の語る「ガロ」序文 かつて「ガロ」という漫画雑誌がありました。 (現在でも正式には休刊してませんが、ほぼ休刊状態です) 漫画家だけでなく、芸術家やミュージシャンらにも影響を与え、 普通の雑誌には載らない様な作品も平気で掲載され、 日本のサブカルチャーや漫画史を語る上で避けて通る事のできない伝説の雑誌です。 そういった雑誌が、大手出版社ではなく青林堂という、 長井勝一という小柄な人物の個人会社的な小さな出版社から、 商業的に苦しくても、30年以上の長きにわたり刊行されていました。 私は「たま」ファンでして、 その「たま」のパーカッション・石川浩司(ランニングの人)が無類のつげ義春ファンだったので、 私もつげ義春に衝撃をうけファンになり、それをきっかけに「ガロ」を知り、 それからずっと「ガロ」というのは憧れの雑誌でした。 私はそういった思いと、このブログのテーマ
2008年03月18日 大泉サロン・2 少女漫画家版トキワ荘、大泉サロン。 それがあった時代1970年(昭和45年)以前・・・ つまり60年代の少女漫画はどういうモノだったのか? それはお涙頂戴の悲劇や、いかにも少女趣味な世界。 それ以外にはコミカルなギャグ的なモノくらいしかなく、 いずれにも共通しているのは、瞳にキラキラお星様がちりばめられた少女が主人公だという事。 少女漫画をよく知らない人や、世代が上の人は現在の少女漫画に対してもこれと同じイメージを抱いているかもしれません。 その現状を打破すべく、少年漫画にも負けない新しい革命的な少女漫画を描こうと立ち上がったのが、 その大泉サロンにいた漫画家たち。萩尾望都や竹宮惠子らいわゆる"花の24年組" そして、増山のりえ。 その彼女らの果たした功績を語ってみましょう。 当時の少女漫画の地位はかなり低く、少年漫画に比べて原稿料は安いモノでした。
2008年03月16日 大泉サロン 漫画家たちが集ったアパートは何もトキワ荘だけではありません。 同時期の「劇画工房」も似た境遇でしたし、 他にも無名で終わった漫画家たちが、トキワ荘の様な生活を送っていた事もきっとあったのではないかと思われます。 そして、時代は70年代の話になりますが、 その「トキワ荘」にも負けないくらいのスゴイ面子の漫画家が住んでいたり、 タムロしていたアパートが他にもあったのです。 それが通称「大泉サロン」 別名「少女漫画家たちのトキワ荘」 住人は「ポーの一族」の萩尾望都と「風と樹の詩」の竹宮惠子。 少女漫画に革命をもたらした「花の24年組」の中心メンバーです。 そして彼女らの同人誌仲間・アシ・友人として、 山岸涼子・山田ミネコ・佐藤史生・ささやななえ・・・ 等、そうそうたるメンバーが集っていました。 そのわりに語られるコトが極端に少ない大泉サロンについて語ってみたい
2008年06月13日 大事なおしらせ アクセス数がまだ多いうちに大事なおしらせをしたいと思います。 再び連載をゲットするまでは連絡はしないと誓ってましたが、 (その連載も未だ遠い状態ですが・・・) 私のこのブログがこうして異常なアクセス数を記録してしまっている今、 キチンと本人に事情を伝えなくてはいけないと思い、 水曜日。私は久しぶりに師匠・ながいけん閣下に電話しました。 本当に、怒られると思ってかなり緊張しました。 なんだかシドロモドロな説明になっちゃいましたが、 師匠は「別にかまわないよ」と許してくれました。 だからと言って甘えて調子のってはいけません。 調子にのるのは私の悪いクセです。 前置きが長くなってしまいました。 本題に入ります。 「原稿紛失」という共通点でもって、 師匠・ながいけん氏と今回の雷句氏とを重ねてみている方が多い様ですが、 「国王巡幸」の回の原稿は、サンデー編集部
2008年06月11日 納得いかない言葉狩り 一連の雷句氏の騒動で、サンデー連載作家が以前にブログ等でこぼした編集者に対するグチというか、批判がネット上で再度クローズアップされてきています。 その中で私が気になったのは「絶対可憐チルドレン」の椎名高志氏の話です。 椎名氏はけっこう編集者に対するグチをこぼします。 さて、その椎名氏の話ですが、 作中で「外人」という言葉を使いたかったのだが、NGで、 「外国人」ならOKと言われたが、言葉の響きが気に入らず、 ならば「外人さん」ではどうだ?と、折衷案を編集者に提案しますが、 それでもやっぱりNGだったと・・・ それだけならまだ「仕方ないね」ですむ話なんですが、 問題はここから。 その後「名探偵コナン」にてフツーにその 「外人さん」 というセリフが使われていた・・・・ だいたいそんな話です。 何年もサンデーで描き続け、小学館漫画賞まで受賞した (渦
2008年06月10日 サンデー騒動 いや、ビックリしました。 昨日この414件もこのブログにチェックが入っていました。 はじめての3ケタのチェック数です。 雷句誠氏がサンデーを訴えた事。 並びに編集部への実名批判。 その事に対し興味をもたれている方がそれだけたくさんいるのですね。 私もデビューはサンデーです。 そして増刊で一年間連載していました。 連載中、担当編集者とのやりとりで色々理不尽な事を言われたり、バカ扱いされて、かなり頭きた事もありますが、自分がまだ20半ばの若造のド新人だから仕方ないと我慢していました。 雷句氏のように、原稿をぞんざいに扱われたとか、罵倒されたという事もなかったので、 我慢できたのだと思います。 ただ、「天下の小学館にあんな漫画載せるのはおかしい」と、 現在は講談社に移籍したある漫画家の悪口を言った事は今でも強く記憶に残っています。 漫画家と編集者とのオフレコ
2008年06月07日 原稿紛失 少年サンデーで連載され、アニメ化もされた大ヒット作「金色のガッシュ」 その作者の雷句誠氏が、そのサンデーの発行元の小学館を提訴したそうです。 理由は原稿の紛失。 カラー原画が行方不明とのコト。 雷句氏といえば、最近小学館との決別を宣言して話題になりましたが、 なぜ決別するのかの理由が今になってわかりましたね。 しかし、こういう原稿紛失ってのはわりとよくあるコトなんですよ。 漫画家の中でもけっこう気にしない人もいるとは思います。 けど、そういうのに甘えて原稿管理を出版社が怠るのはいただけません。 出版社が原稿を大事にしないってのは昔からの漫画界の悪習の一つでして、 過去にもこういったトラブルで訴訟沙汰ってのは何回もありました。 唐沢なをき氏や小池田マヤ氏とか・・・ 確か他にも裁判の顛末を本にした漫画家の方もいたはずです。 こういうコトもあってか、だいぶ最近で
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