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今日は、この方のコメントです。 「力が正義という時代。家柄や血筋が通用しない時代。暴力渦巻く時代に弱き人たちが団結して知恵と勇気で乗り切るのが好きです。好きな時代を探してみたら、なるほど! 自分が何を書きたいのか、というのが明確になりました。ありがとうございました」(Hさん) 前に「書きたい時代」というテーマについて私見を述べましたが、結構、共感いただいた方が多かったです。 bunchiku.com 毎度毎度言ってますが、自分は何を書きたいのかという問い、それを突き詰める際に自分が関心ある時代を探っていくというのは一つの手法なんだと思います。 自分が好きな時代が分かれば、書きたいものの輪郭が浮き上がってくる。 中世の宮廷文化が好きなら、貴族たちの甘い恋愛物語なのか。 戦国乱世が好きなら、英雄たちの興亡のドラマか。 江戸時代なら、庶民の人情ものか。 でも普通であれば、僕たちはこの時代に生きて
今日は、この方のコメントです。 「風景描写は大事ですよね。自分の場合は異世界物を読むのも好きで、書いている訳ですが…… 「異世界ものに余計な風景描写はいらない。そこはよくある中世ヨーロッパ風のまちだったとでも書いとけばいい」 と言うのが、ちょっと違うだろって思いました。勿論、そういう中世ヨーロッパ風の街は異世界につき物です。でも、異世界であっても風景描写は大事だと思う。だって、異世界のいいところって、全てが空想で出来てるんですよ? もっとも神秘的な世界を創れるのが異世界じゃないかと思うんですけどね……まぁ、そう言う私も文章力にあまり自信ないので、偉そうな事は言えないのですが… だからと言って異世界だから風景描写をしないと言うのは、すごくその作品の世界観で損をしてると思う。出すぎた意見かもしれないですが……」(Nさん) この創作論(?)のかなり始めの頃に書いた風景描写の必要性。 実は今、それ
今日は、この方のコメントです。 「カタルシスのある作品って本当に気持ちが良いですよね。ハッピーエンドでもハッピーではないエンドでも、何かしらの答えを見つけ出したり、心に残るものがあると浄化された気持ちになります。そういうのが感動なのかな~と思いつつ書いていると、悩む事も多いけど達成感も大きいです。書いてる側にとっては、執筆自体がカタルシスなのかなと思いました」(Hさん) 僕もカタルシスがある作品が好きなんですよね。ところで、カタルシスって正確にはどういう意味だろう。ちょっとググってみます。 文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。 引用:コトバンク 感情移入による、感情の解放か。 なるほど、確かにそういうものでしょうね。 吉川英
今日はこの方のコメントです。 「長編は熱意が続かないので書けません!! でも長いからこそ、キャラやイベントにも深みが出てくるんだろうなと思うと、憧れはあります。みなさんモチベーション維持はどうしてるんでしょうか。大まかなプロットとかオチを作った上で肉付けをするのか、筆の勢いに任せて進めていくのか」(Kさん) Kさんのようなコメントは結構たくさん頂いた気がします。 このコメントのとおり、熱意が続かないと長編って書けないんですよ。 まあ、大抵エタるような気がします。 技術的なところは、以前やった「長編の書き方」特集で書いたので僕の考えはそちらを見ていただければと思いますが、やっぱり一番はモチベーションなんですよね。 bunchiku.com 僕の経験からすると、最初と二つ目の長編は相当苦労しました。 明日から、来週から、来月からと自分に言い訳して、結局、数か月も放り投げていたことがありました。
カクヨムの一大イベントであるカクヨムコンテストについて書いていきたいと思う。 まず、事実から検証する。 第5回カクヨムコンテスト長編部門には4,724作品がエントリーし、412作品が中間選考を突破、そして、20作品が大賞・特別賞に選ばれた。 短編部門は5,505作品がエントリーし、558作品が中間選考を突破、1作品が受賞。 まずこの事実から、賞を取るのは限りなく難しいということが言える。 特に短編賞は、ほとんど信じがたいほどの倍率だ。 ただ、今、振り返ってみると、あの当時は、コロナの猛威が全国を覆い、しかも先がみえない不安というものが経済活動にも影響を及ぼしていた時期だった。 そう言う意味において、第5回の受賞作がそれまでより少ない、そして受賞した作品がおおむね星(★)の数が多い作品だったのは、出版社としても冒険を犯せない、なるべくリスクを減らしたいという苦渋の選択だったのではないかと思っ
すらすら書けるジャンルとなかなか筆が進まないジャンルがある。 例をあげると、現在書いている、近未来の地球を舞台にしたSFミステリー「神の遺伝子」は書くのが非常に難しい。 なぜ難しいかというと、SFのS、つまりサイエンスという意味において、ある程度科学的な事実に即した物語にしなければならないだろうという思い込みがあり、こういうことがあり得るだろうかとイチイチ確かめないと進めないからだ。 加えて、ミステリーというのはやっぱり伏線なり、プロットの重要性が増すので、全体の構成を考えつつ、どこで手の内を明かしていくかということをしっかり考えないと物語が破綻するからだ。 かつて書いた、「ツァラトゥストラはかく語りき」という長編社会派ミステリーも完結させるのに、だいぶ時間がかかったことを思い出す。 かといって、ミステリーが嫌いと言うわけではない。 本で読むならミステリーが一番好きだ。 のめり込むと、無我
恋愛モノは人気ジャンルの一つでもあり、好きな人もたくさんいるだろう。 僕的にはほとんど読んだことがないジャンルなので、それをどうこういうのも少し憚られるのだが、自分なりに思うところもあるので、今日はそれについて少し書いてみたい。 まずそもそもなのだが、恋愛というのは、どんなジャンルであれ、というか人間がいる以上、必ずついて回るものだということである。 ファンタジーだろうが、ミステリーだろうが、SFだろうが、たいてい恋愛要素があり、それがキャラの個性を強め、物語をさらに面白くしていることが多い。 そう言う意味では恋愛ジャンルじゃなくとも、物語の中に恋愛要素を組み込んでいる人は相当いると思う。僕自身、物語の主だったキャラの中には必ず男女を入れるようにしている。それが恋愛に発展するかどうかは分からないが、常にそういう可能性を感じさせておきたいという意図があるからだ。 だが、実は恋愛というのはある
昨日、Mさんから、興味深い提案をいただきました。 「…… 『作者にお金を払わせて作品をアピールするシステム』を造れば良いと想うんですがねぇ。 カクヨム的にも「美味しい」ですし、真剣に書いてるかいい加減に書いてるかである程度、篩にも掛けられます。 ワタシなら自分の作品に一万課金しますがね(≧▽≦) ソレでダメならもっと努力して腕を磨くだけです。」 この、作者がカクヨムに対してお金を払うという仕組みは実は僕も結構ありだと思ってます。 カクヨムを始めたあたりは、広告もなく、しかもこんなに洗練されたサイトで書かせてもらっているんだから、利用料払うべきなんじゃないのって真面目に思いました。 そののち、ロイヤリティプログラムという、書き手に対して報酬を与えるプログラムまで作り、カクヨムさんは本当に書き手に対してなんて優しいサイトなんだと思ったりもしました。 でも…… 皆さん、リワードどんな感じなんです
皆さん、どこまで推敲して投稿しているのか分からないが、僕はカクヨムで書いていた時は結構書いたばっかりの状態でもまあこんなんでいいかと投稿した。 前回までの「長編の書き方」でも書いた通り、物語の途中の段階であまり細かいところを気にかけてもしょうがないかなと思うからだし、これも前に言ったが、考えて時間を止めるよりも勢いのままに書いてとにかく物語自体を前に進めたいと思うからだ。 こんなことを書くと、まるで書きかけの原稿を並べているだけと言ってるようなものだが、実際そんな感じがしないでもない。 ただ、こういう投稿の仕方は読んでもらいたいと思っている書き手の方にとっては、心情的に難しいかなとも思う。 なぜなら、あんまり適当に書けばなんだこれはって、そこで読むのをやめられてしまうし、一度抜けた人は大概二度と戻ってこないからだ。 つまり、カクヨムみたいな小説投稿サイトではPVは常に下降線を辿るということ
最後の一行を書き終えたときの気持ち。 この感動は長編を書いた人しか分からないと思います。 長かった道のり。 何度も挫折しかけ、それでも頑張って書いてきた。 そして今、目の前に自分の作品が誇らしげにある。 長編を書き終えた人は、自分を誇っていいと思います。 それだけのことをやり遂げたと思います。 しばらくは、この思いに浸ってのんびり過ごしていいと思います。 でも、ちょっと待って欲しいんです。 最後のひと仕事をして欲しいんです。 すぐじゃなくていい。 少し間をおいてからでいい。 自分の書いた物語を最初からもう一度読み直してほしいんです。 自分の書いた物語を推敲して欲しいんです。 小説投稿サイトだと、今さら前に書いたものを直してもなって思うかもしれませんが、それでも見直してほしいんです。 その時は一話ごとに読むんじゃなく、ワードか何かに全部くっつけた状態で、できれば縦書きで読んでみて欲しいんです
キャラを立たせる。 これは本当に難しい問題です。 こう書けばキャラが立つなんて答えはたぶんない。 だけど僕的に、こういう書き方はイマイチだなというのはあるので、今日はそれをテーマに書いてみたいと思います。 例えば、学園一の美少女キャラを登場させようとします。 そのキャラを登場させようとするときに、どう書きますか? ドアをとんとんと叩く音がした。 「空いてますよ」教授はそういって振り返った。 すると学園一の美少女、花咲麗が入ってきた。 まあ、こんな書き方もあるんでしょうね。 この女性が単なる端役ならこれでもまあいいでしょうけど、これがメイン級のキャラだとしたらキャラの説明としては弱すぎでしょうね。 ドアをとんとん叩く音がした。 「空いてますよ」教授はそういって振り返ったが、入ってきた少女を見た途端、思わず息を飲んだ。そして呟くように言った 「……もしかして君があの……」 博士の視線を感じ、体
前回は、書こうとする長編の世界観をイメージできるものを見つけようみたいな話で終わりました。 となると、次はプロットを作るということになるのですが、僕の場合は、そこがちと微妙なんです。なんというか、その世界観を考える時にプロットみたいなものを一緒に考えてしまうんですよね。 どういうことかというと、前回紹介した「リバイアサン」という僕の書いている長編で例えると、リバイアサンという聖書に描かれる怪物をイメージしたと昨日書きました。 でもそれだけじゃ、ただの怖い怪獣に過ぎません。 だから、リバイアサンというものをどう物語に生かそうかと考えていたら、他にもいろいろとキーワードがぽつぽつ浮かんできたんですよね。 腐臭漂う現代の姿、宗教に翻弄される人間、世界を破滅に追いやるアンチクライスト(獣)。特にアンチクライストは人であるという聖書の一文が、かなり自分の中で大きかった。 リバイアサンという存在を神が
ファンタジーには、なんというかゴールがある。 魔王を倒すとか、姫を救い出すとか、まあ、そんな類のものだ。 でもここが肝心なところだが、そのゴールが主人公にとって必然なものであるかどうかということが重要だ。 例えば魔王を倒すとして、どうしてその主人公がそんな危険なことをしなければならないのか、その理由が弱いとそのファンタジーのリアリティが一気になくなる。 ファンタジーの名作、ハリーポッターではその点は実にクリアだ。 主人公のハリーは生まれながらにして特別な存在として扱われている。 なぜか? 名を言ってはいけないあの人が、唯一、殺せなかった赤子だからだ。 それが物語を貫く謎となっている。 ハリーと名を言ってはいけないあの人との間にある奇妙な共通点。 名を言ってはいけないあの人を倒すためには、ハリーは死なねばならぬという予言。 最後にその理由が明かされた時、そうだったのかと深く納得する。 いずれ
長編をどこで終わらせるかということは、いろいろ議論があるだろう。 ちゃんと終わりを見据えているのであれば何も問題ないが、マンネリになってしまうことも少なくない。 たとえば、北斗の拳という漫画がある。 あくまでも僕個人の意見だが、あれはやっぱりラオウの死で終わった方が良かったのではないかと思う。 カイオウ編がだめだと言うのではない。ただ、ラオウの死までがあまりに完璧すぎて、そこで終わればまさに伝説となっただろうなと思うのだ。 だがそんなことを思いつつ、カイオウ編が始まったとき、まだ続くんだと喜んだ記憶も自分の中には確かにあったのだ。 つまり僕の言っていることは、全部終わったあとにあそこで終わってれば最高だったのにといういわゆる結果論にすぎない。 カイオウ編が僕にとって凄いと感じられたら、こんなことを思いもしなかっただろう。 ただそうは言っても、やっぱりカイオウ編は新しい物語であり、おそらく作
僕が聖書に興味を持ち始めた最初のきっかけは、たぶん20世紀の終わりのころだったと思います。その頃、世界が滅びるとかそんな本がたくさん出てましたが(ノストラダムスの大予言とか日本沈没とか)、その中に聖書の黙示録があったのです。 僕は黙示録の世界に引き込まれました。 七つのラッパを吹く天使、四人の騎士、龍(サタン)、666の獣、バビロンの大淫婦、新しい天と地…… 最初は、こうした謎めいた言葉や世界観に引き込まれましたが、今は、まさに現代と黙示録の世界との対比という視点で関心が深まっています。 四人の騎士がというものがいます。 黙示録には、こう書かれています。 「小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝
僕は別にキリスト教信者でもないし、聖書に造詣があるわけでもありませんが、意外と僕の書く作品には聖書を題材にしたものが多いです。 僕が聖書に惹かれるのは神と呼ばれる存在にあまりに理不尽な点が多いことと、それに振り回される人間たちのドラマが物凄く魅力的だからです。 例えば、アブラハムという人がいます。 アブラハムはいわばユダヤ人の始祖みたいな人で、神はアブラハムに約束の地を与え、お前の子孫を星の数ほど増やそうと言われた。 ところがそう言っているにも関わらず、神はアブラハムに試練を与えます。 ある日、神の声が聞こえて、大事な一人息子のイサクを神への捧げものとして、燔祭(いけにえの動物を祭壇上で焼き殺し、神にささげる)にせよと命じるんです。 アブラハムの葛藤は聖書には書かれていませんが、それってありですか? しかもイサクという息子は100歳近いアブラハムとサラの間に産まれた奇跡の子どもですよ。そん
僕は、常に何かにはまってないとだめなタイプで、しかも、はまった以上は結構突き詰めるまで頑張るタイプです。 学生時代はギター、麻雀、そして狂ったようにビリヤードにはまりましたし、仕事についてからは、サッカー、マラソン、そして今はまっているのが小説を書くことです。 そして、自分がはまったこと全てに共通するのは、自分が納得するまでとことんやるってことなんです。負けたからとか、上手くできないとか、そういう理由では辞めない。とにかく、頑張って練習する。 そうしているうちに、自分の器が見えてくるんですよね。 自分はこのくらいかなと。 そこまでたどり着いて、ようやく納得するんです。まあ、このくらいでいいかなと。そして続けたり、続けなかったりする。 そういう意味では、小説を書くことについては自分の器がまだ見えていないんですよね。だから必死に書く。いろいろ勉強して、どんどん書く。そういう過程にいる僕にとって
はじめに 面白い小説にするための小説技法 1 オチ 2 キャラクターの重要性 3 一話目の重要性 4 ストーリーとテーマ 5 風景描写 6 ハッピーエンドとバッドエンド 7 感動 8 魅力的な世界観 9 謎の提起 10 謎の提起 その2 11 女性キャラの書き方 12 魅力的な脇役 13 ネタづくり 14 長編の終わらせ方 今の時代に小説を書こうとするなら 1 時代のニーズ 2 書きたい時代 3 モチベーション 4 読者層 5 現在の心境 6 毎日書くこと 7 創作はボケ防止 8 芸能の世界 9 気持ちの余裕 10 定年 11 公募に向かない作品 長編の書き方 1 長編の書き方 その1 2 長編の書き方 その2 3 長編の書き方 その3 4 長編の書き方 その4 5 長編の書き方 その5 6 長編の書き方 その6 7 長編の書き方 その7 8 長編の書き方 その8 9 長編の書き方 その9
本が売れるか売れないかは、作品の出来よりも時代のニーズに沿ったものかどうかということが往々にあります。 ある意味、生前は全然売れなかったけど、死後に評価されるなんてことは文学だけでなく、あらゆる分野でざらにあることでしょう。 あのゴッホが書いた絵だって、生前に売れたのはたった一枚ですよ! 『赤いブドウ畑』(作:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ) 近代文学の歴史でも、写実主義、ロマン派、私小説、戦後派など、時代時代によっていろいろな文学が一世を風靡してきました。 結局、そういう流行ってのは今でもあって、時代を反映したものがやっぱり売れるんですよね。 そういう意味では、現代の異世界転生やハーレム系ラブコメの人気なんてのは、現代の流行ということなのかもしれません。 でも、そこをもう少し分析してみると、僕が感じる現代のキーワードは、「閉塞感」と「不透明」ということなんじゃないかと思うんですね。 人口減
僕がお金払って小説買うかどうか決める大きな要素の一つに、その作品又は作者に魅力的な世界観があるかどうかということがあります。 魅力的な世界観? 首を傾げる人もいるかもしれないし、これは僕しか思ってないかもしれないので、少し説明が必要かもしれません。 小説とはいわば作者が創造する世界です。 つまり作者と言うのはその小説を支配する神であり創造主でもあります。 だから小説には、その作者のこれまで培ってきた経験、知識、そして信念や想いが凝縮されているはずだと思うのです。 そうしたものが全て注ぎ込まれているのが小説だと思うのです。 当然そこには作者の個性が滲み出てきます。 成就されない恋愛を好む作者。若者の成長を好む作者。密室ミステリーを好む作者。緻密で壮大なファンタジーを好む作者。心理的、哲学的な話を好む作者。 そうした中でも、とりわけ際立ったまさにこれはこの人しか書けないだろうというくらい強烈な
僕は2019年6月18日にカクヨムを始めました。 これまで作家になりたいなどとは考えたこともなかったが、昔から空想したり、変なことをだらだらと思考するのが好きだったので、3年位前に思い付きで短編を書いてみました。 書いたはいいのですが、せっかく書いたんだからどこかに出してみようかと欲が出てきまして、ある地方文学賞に応募してみたんです。 まあ、結果は皆さんの予想どおりでしたが、でも逆に面白くなってきて、その後、もう一つ短編と長編を一本づつ書いて、それぞれまた合いそうなところに送ったのでした。 でもやっぱり駄目で、もう小説書くのはやめようかと思ってた矢先、去年の6月くらいに、なんとネットで小説を載せられることにようやく気付き、どうせやめるんなら、誰かに見てもらって、少しでも感想聞いてからやめようかと、つまり、そんな破れかぶれで始めたのがきっかけでした。 実はそのときは、カクヨムの他にも、な〇う
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