◆“人それぞれ” (あたまんなかがざわざわいうからさん) 僕は一時期もの凄く冷笑的な視座の只中にいて、「なんなの?バカなの?」とよく思っていた。 あるいは無関心を決め込んだりもしていた。 最近しつこいぐらいに「現状認識あるいは否定」からの「それでも」へのオブセッションめいたものを繰り返すのは、そんな当時の僕と、それを加速させるかのような空気、逃避と享楽を過剰に求める風潮への反発からだ。 (まあ僕のダメダメな脳みそじゃ、まだ音楽のフィールドでの話にとどまってる感はあるけどね) むやみやたらに肯定するのじゃダメ、ただ否定するだけでも意味がない。ましてや逃避なんて、もってのほかだ。 “人それぞれ”にも関わらず、 完全ではなくとも何かを伝え合い、共有し合い、分かり合い、人間はここまで来た。 僕は「個」の時代は大いに結構だと思っている。 ただそれが「弧」の時代になってはいけないと、