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„Eugenik ist die Selbststeuerung der menschlichen Evolution“: Logo der zweiten Internationalen Eugenik-Konferenz, 1921 アメリカでは、1907年のインディアナ州で世界初の断種法が成立し、その後34州で断種法が導入された。池見[1940]は、アメリカを「世界最初の断種実施国」であり、「大仕掛けな断種実験場」とよぶ(池見[1940]332)。アメリカ優生学は1910~20年代にピークをむかえ、30年代にナチスとの協力関係が顕著になるにつれて衰退したが、断種の実施そのものはむしろナチスの刺激を受けて1930~40年代にピークに達する*1 。 米本他[2000]によると、「アメリカの優生運動は、社会改革というよりは倫理的変革という意味合いが濃厚であった*2 」。アメリカ社会が優生学
オランプ・ドゥ・グージュ『女権宣言」』(訳:辻村みよ子著「女性と人権」) 前文 母親・娘・姉妹たち、国民の女性代表者たちは、国民議会の構成員になることを要求する。そして、女性の諸権利に対する無知、忘却または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮して、女性の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。女性の権力と男性の権力の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。女性市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法と良俗の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、母性の苦痛のなかにある、美しさと勇気とに優れた女性が、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、以下のような女性お
アフリカの女性戦士「アマゾン」ー19世紀ダホメー王国の女性軍団 掲載:2016-03-25 執筆:富永智津子 はじめに 舞台は西アフリカのダホメー王国(現在のベニン共和国)。わずか東西100キロほどの幅でギニア湾に面するその沿岸地域は、数多くの民族によって住み分けが行われ、多くの小王国が栄枯盛衰を繰り返していた。15世紀ころからヨーロッパ人が渡来し、基地を建設して奴隷貿易を盛んに行うようになる。このヨーロッパ人との奴隷貿易を独占して頭角を現したのがフォン人の王国ダホメーであり、その繁栄の中心にいたのが、ゲゾ王(在位1818~1858)であった。「アマゾン」と呼ばれて当時ヨーロッパにひろく知れわたった女性軍団の最盛期は、このゲゾ王の最盛期と重なっている。ちなみに、ダホメー王国は、奴隷貿易が衰退したのちは、パーム油の生産と輸出を経済的基盤として繁栄を続けたが、1894年フランス軍に敗北し、植民
フランス人権宣言(全文) 前文 国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する。 第1条(自由・権利の平等) 人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益
ジェンダー視点で見る新しい世界史通史 歴史を形成してきた「ひと」とは何か。「近代市民」モデルを問い直す!
フェミニズムの第2の波と「ジェンダー」の発見(三成美保) 2024/03/15 更新(修正) 初出:三成美保『ジェンダーの法史学』勁草書房、2005年、一部改変 (1)フェミニズム フェミニズムの2つの波 1960年代後半、欧米諸国でフェミニズムが再生した。フェミニズム・ルネサンス以降のいわゆる「フェミニズムの第2の波」がジェンダー概念を再定式化したことはよく知られる。フェミニズムは19世紀を通じて女性参政権や高等教育権の獲得をめざしてきたが、20世紀初頭にそれらが達成され、運動はしだいに低迷した。沈滞をうちやぶったのが、「ウーマン・リブ」Women's Liberation(1960-70年代の女性運動をさす)とよばれる新しい女性解放運動である。1970年代後半以降、19世紀以降のフェミニズムとの連続性と相違を意識的に示すために、ウーマン・リブ以前のフェミニズムは「第1の波」、ウーマン・
マスキュリニティの歴史 執筆:三成美保 掲載:20140311 ◆男性史の意義 「マスキュリニティ(男性性/男らしさ)」の定義は、ジェンダー秩序の「ヘゲモニー(覇権)」を決定するため、きわめて重要である。それにもかかわらず、マスキュリニティは男性の自然的な特性とみなされ、ともすれば自明視されてきた。ここに、マスキュリニティを分析対象とする積極的意義がある。「男性/男性性」の構築過程を歴史的に問うのが、「男性史/男性性の歴史」である。男性史は「男性学」と緊密なつながりをもつ。男性学の成果としての「序列化」「紐帯」をめぐる新しい理論は、男性史分析にも有益である(→*【特集2】男性性(マスキュリニティ))。 ◆覇権的/従属的マスキュリニティ 「序列化」に関する代表的理論が、R.コンネルの「覇権的/従属的マスキュリニティ」論である。多くの社会で政治的・文化的な支配権を掌握したのは男性である(父権制
軍事性暴力小史 2014.03.21 富永智津子 BC21世紀頃(メソポタミア) ウル第三王朝の2つの行政文書は、捕虜となった197人の女性と子どもが神殿に奉納され、さまざまな労働に従事させられていたことを示している。また、織物労働者や妾として王家で養われた場合もあった(ゲルダ・ラーナー『男性支配の起源と歴史』三一書房1996:110~111) BC8~9頃(古代ギリシア) ホメロスの叙事詩『イリアス』に描かれる戦時下(トロイア戦争)の女性たち。この叙事詩の第一歌は、囚われてギリシア軍の総帥アガメムノンの妾となった祭司の娘クリュセイスをめぐる駆け引きから始まる。娘の返還を要求する祭司に対しアガメムノン曰く「・・・娘を返すつもりはない。故郷を遠くアルゴスなるわが屋敷で機を織り、わしの夜伽をつとめながら老いを迎えるまではな。・・・」(ホメロス『イリアス』(上)松平千秋訳、岩波文庫、1992:1
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