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パリ五輪
chihiblog.seesaa.net
わたし、昔、小学生の通学路。 帰り道、男の子たちに混じって、 いつも石を蹴りとばして、帰ってきていたこと。 で、途中で見失わないように、家まで運んであげられると 本当に嬉しかったんだけど、そのとき、私は この石はもしかして、お父さんなんじゃないかとか。 (お父さん、確か会社行ってるはずだけど) でも、死んだおじいちゃんかもしれないとか、 あるときは死んだ~さんかもしれないとか。 そうよくわからないけど、 「そうであるのだから、私はこの石を絶対に この通学路で見失ってはいけない、どんな草むらに彼が 行ってしまおうが、絶対に手を使わずに、そこから蹴り上げて、 恐ろしい横断歩道もわたり切って、絶対に家に連れて行くんだ。」 いつもそんな風に思って、必死に蹴って帰ったものです。 不思議と空き缶とかはデカイし、蹴っていても 家まで「お父さんだから持ち帰ろう」 みたいには思ったことはありませんでした。
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