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画力アップ
d.hatena.ne.jp/gamma_ut
田島正樹氏が今までの勤め先を辞すに際してこれまでの職場でいかに嫌われてきたかを振り返っている。いわく「人望がないどころの話ではない。すべての人から、程度の差はあれ嫌悪されているのはまず間違いのないところである。事務局へ足を運ぶと、人々の顔ににわかに緊張が走る。歩いていると、向こうからやってくる教員が目を伏せる。話しかけると、誰もが恐怖で蒼ざめる。そんなわけで、学内では私は、出来るだけ人目にふれないように、ひっそりと目を伏せながら歩くようにしてきた」と*1。嫌われやすい人、煙たがられる人というのはだいたい広い意味で「余計なことを言う人」だろう。その「余計なこと」が(集団にとって)つまらなければ本当に白い眼で見られるし、少し面白くても飽きられれば終わり。だから飽きられないくらいまで面白さを磨くか、面倒になって去るかということになる。「真理を見る人は二人いる。子供と狂人。」狂人ではなく愚者だった
財産とはなんだろうか。最近電車の中で、あるいは寝る前に読んでいるアランの『定義集』によればこうだ。FORTUNE 財産この言葉の二重の意味[富、運;訳者注]には、学ぶところが多い。そこでは富の起源が純粋な偶然に帰されている(それが財産という言葉の本来の意味である)。そこには語の深い意味が示されている。なぜなら、ある運との出会いなくして仕事は豊かなものとならないから。そういうわけで、財産が正しいかどうか問うことは、くじ引きが公正であるかどうか問うことである。 『アラン 定義集』神谷幹夫訳、岩波文庫、p.88 日本には「金の切れ目が縁の切れ目」という諺もあることだし、アランの定義にある「運」を「縁」といい換えても良いかもしれない。あるいはひっくり返して「縁の切れ目が金の切れ目」と言うこともできる。あらゆる縁が絶えてしまったら金も無くなる、ということになるだろうか。 ところで、内田樹氏が最近
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