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画力アップ
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『ミニオンズ』を子ども向けキャラものアニメと思ってスルーしようとしているあなた、あなたは2つの大きな間違いを犯しているのに気がついているか? 1.子ども向けキャラものアニメの何が悪いのか? 2.『ミニオンズ』には大人だからこそ分かるギャグやディティールがいっぱいなのだ! 2の代表が音楽である。『ミニオンズ』は60年代が舞台ということもあり、当時のロックナンバーが数多く使用されている。この使われ方が秀逸なのだ。以下、解説するので見た人もこれから見る人も参考にしてみて! Happy Together(’67/The Turtles) オープニングを飾るのはタートルズの名曲。日本ではウォン・カーワイ『ブエノスアイレス』でおなじみである。「一緒にいると幸せ」というストレートなラブソングだが、ボスに仕えることが喜びであるミニオンズの習性を表している。 19th Nervous Breakdown(’
映画ファンからは酷評されているのに、なぜか世間一般では大絶賛という不可思議な作品『永遠の0』を観てきました。 結論から言うと「これは酷いことになっているな」という感想を抱きました。ただ、それは井筒和幸監督が指摘したような「特攻隊礼賛」についてや、「日本の右傾化の象徴」といった問題点についてではありません。いや、もちろん、井筒監督の指摘は正しいと思いますし、支持するのですが、個人的により問題としたいのは別の部分なのです。 それは言ってしまえば「日本で映画作品を作ること自体の困難さ」です。以下、具体的に説明していきます。 「宮部久蔵」のあまりにも類型的な人物造形 まずは『永遠の0』のストーリーを簡単に説明していきましょう。 司法試験に落ち続け、やる気のない毎日を送っている青年、慎太郎。彼は祖母の葬式をきっかけにして、自分には本当の祖父がいる、と知ります。彼の名は宮部久蔵。太平洋戦争当時、零戦パ
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』が標準以上のクオリティーを備えた極めて教育的で志の高い作品だと認めつつも、心の底から愛せない理由がある。 また、『ゼロ・ダーク・サーティ』の描き出す空気感が現代を象徴し、極めて批評的で感度の高い作品だと認めつつも、心を打たれない理由がある。 それが「誠実さ」の欠如だ、と言って、ピンとくる人はいるのだろうか。 なるほど、アン・リーは確かに3D映画でドラマを紡ぐ「正解」を見せてはくれた。凡百の、興行収入を割増しにするためだけに3Dを採用している作品とは、一線を画して語らねばなるまい。 そして、キャサリン・ピグローも『ハート・ロッカー』によって寄せられてしまった、アメリカの闇をリアルタイムで再現し続けるための語り部としての役割に向かい合い、成果を残してはいる。 そうした仕事ぶりに「誠実さ」を感じないと書けば、それこそ多くの人間の反感を食らうだろうし、
人質にとられた美女を救うべく、主人公は敵の待つ砦へと向かう。相方は老いぼれたスナイパー、そして短剣のみ。敵はマシンガンを抱えた兵士たちがうじゃうじゃと。しかし、主人公は挫けないし、屈しない。なぜなら、彼には正義感があるからだ。ジャック・リーチャー、その熱い信念がある限り、行く手を阻むものなど何処にもいない・・・ トム・クルーズ製作、主演で送る『アウトロー』のクライマックスを観て、そのあまりにもステレオタイプな図式に唖然としたのは自分だけではないだろう。ほとんど西部劇と見紛うかの如きストーリー展開は、とても21世紀に製作された映画とは思えない。それを、なんのエスプリもアイロニーもメタもなく提示しているのだから、陳腐さを越えてほとんど異形の物語として『アウトロー』は観客の目に映る。 原作は、ベストセラーとなったシリーズ。フリーの犯罪捜査官、ジャック・リーチャーが犯罪者達と対決するハードボイルド
峯岸みなみが、「お泊り愛」の謝罪動画に、坊主姿で登場したわけですが・・・ まあ、僕はAKB48には興味があるけどファンではない、という人間なので、実際、誰がプライベートで何してようが、どうでもいいんですよね。今回の事件も、明日から公開されるドキュメンタリー映画の宣伝だと思っていたし(笑)。今でもそうじゃないかと、少し思っていますけど。 そもそも、AKB48の恋愛禁止条例自体がバカげている。聞けば、秋元康はそんな条例、作った覚えないらしいじゃないですか。集団ヒステリーみたいなもんですよ。 だから、この動画に関しては、極めてエグいなあ、というのが第一印象。で、動画を信用すれば、峯岸は坊主にすることを自己判断でやってる。 坊主といえば、思い出すのはこれです。 まあ、魔女狩りですよね。 僕は、どんなに彼女の想いが真摯なものであろうと、髪を切って白装束でカメラの前で涙を流す、という行為は間違いだと思
ベスト10 1位 ラヴ・ストリームス('84 ジョン・カサヴェテス監督) 2位 戦火の馬('11 スティーヴン・スピルバーグ監督) 3位 刑事ベラミー('09 クロード・シャブロル監督) 4位 ル・アーヴルの靴みがき(’11 アキ・カウリスマキ監督) 5位 (『コラボ・モンスターズ!!』より)旧支配者のキャロル('12 高橋洋監督) 6位 THEY CALL HER ONE EYE〜血まみれの天使〜('74 ボー・アルネ・ヴィベニウス監督) 7位 裏切りのサーカス('11 トーマス・アルフレッドソン監督) 8位 ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン(’11ポール・フェイグ監督) 9位 生贄夫人('74 小沼勝監督) 10位 フランケンウィニー('12 ティム・バートン監督) <選出理由> ①カサヴェテスだから。 ②スピだから。 ③上品さと下衆さのバランス。 ④映画って何やってもいい
1月12日。京都某所にて、渡辺文樹監督の自主制作映画上映会に行ってきました。半休まで使って。ウフフ。 説明すると、渡辺監督というのは、スポンサーや配給会社を頼らず、自費と有志で製作費を集め、自ら完成したフィルムを持って全国を巡業し、上映会を行っている映画作家です。渡辺監督がこのような上映形態を余儀なくされているいきさつは多々ありますが、主な理由は以下の三つです。 1.内容が過激すぎてスポンサーがつかない。 2.内容が過激すぎて映画館が上映をしたがらない。 3.渡辺監督自身が反権力の人である。 1、2で問題になっているのはその内容というか、渡辺監督の作家性なのですが、渡辺監督が題材に選ぶのはいつも、日本のマスコミでタブーとされている事件や事実です。ちょっと作品のタイトルをいくつか挙げてみましょう。 『御巣鷹山』 『ノモンハン』 公開待機中『金正日』 タイトルだけでも、配給会社が見つかることは
映画好きの友人達と語るときは、やれ「ハリウッドは終わりだ」とか「日本映画は観る気がしない」だとか、オタク臭く偉そうなことばかり言っているのだが、実は作品単位で思い返すと、ハリウッドだろうが日本だろうが韓国だろうが、どこの映画も基本的には「商品」としての価値は存在しているものばかりだから、否定的な口上も腰を折られることが多くなってしまい、ストレスが溜まる。 『アリス・イン・ワンダーランド』にせよ『トランスフォーマー』にせよ何一つ面白いとは思わない。それでも、集客のツボを押さえたブロックバスターとしての出来は徹底していると認めねばならない。 『ROOKIES』にせよ『踊る大捜査線』にせよ、その内容が草の根も生えぬ砂漠の如き不毛さに満ち満ちていようとも、今映画をヒットさせようと思えば「あの」レベルを喜ぶ観客に合わせねばならない実情があるのだと知った後では、肩をすくめる以外に反応を失くしてしまう。
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