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ドラクエ3
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もういいかげん世代交代をしなければならない時期のような気がする。私くらいまでの戦後世代は右肩上がりの経済成長の恩恵を強く受けてきており、サブカルチャーの影響は下の世代にも大きな影響を及ぼしている。しかし、戦前にも豊かな大衆文化はあったのだし、自分たちの担ってきた社会や文化とはどのようなものであったのかをより客観的に見直すべき時期が来ているのだろう。しかしながら、往々にして人は自分の覚えたことこそ最も本当に知ってはいないのかもしれない。竹内一郎氏の本について宮本大人氏がその問題点を指摘して、少なくともはてなでは多くの反応があったのを見た。毎日新聞の「マンガの居場所」で知っている人がいると思うが、緻密に論証を積み重ねていく正統的な学者であり、その誠実さは「マンガの居場所」の本からもうかがえるし、夏目房之介氏も絶大な信頼を置いている人だ。多少マンガを研究したいと思った人であれば夏目以後の研究成果
久々に娑婆に戻った感じで夜更かししているが(今日はである調にしよう)、80年代の証言を少しずつ書いていくようにしたい。Web2.0のブームで「総表現社会」などと言われているけれども、普通の人の表現欲のレベルでは80年代のコミックマーケットでかなりのところがすでに実現してしまったことである。2ちゃんねるやmixiに人が集まるのはそれがコミケットモデルに準じているからである(2ちゃんねらーもきっと女性のほうが多い)。80年代のパーソナルコンピュータの歴史も元をたどればアメリカ西海岸のサブカルチャーといえる。AppleIIが登場したのが1977年で、NECがマイクロコンピュータの組み立てキットであるTK-80を発売したのが1976年。私事ながら父は会社での生き残りを賭けて(笑)マイコンに没頭していたのでTK-80はいじらせてくれたがPC−8801以降はまともにさわらせてくれなかった。月刊アスキー
蕗谷虹児の話題が続いたところで、当然吉屋信子の話題を加えないと片手落ちなのだけど、実はいまだにきちんと読んでいないのだ。NANAの遠いルーツには吉屋信子の少女小説があるが、これまで何度も言及している高橋真琴の「さくら並木」などにその影響は明快である。最近の有名な作品なら「マリみて」のルーツだといえばたぶん良いのだろう。正直言って疎いけれど、紺野キタなどは好んで読んでいるからさじ加減によっては男でも読める。蕗谷虹児の最も初期の仕事に吉屋の「花物語」のさし絵があり、虹児は吉屋信子のさし絵によりスターになった。吉屋信子以来の伝統として「エス」が挙げられる。「百合辞典」というページにエスの解説があるが、上級生と下級生との間での恋愛的関係というのがパターン化されていたようにも読める。http://www.lares.dti.ne.jp/~maton/Terminology.htm「エス」はもちろん少
日本のポップカルチャー政策を担当する委員会から本が出されましたね。日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像作者: 中村伊知哉, 小野打恵出版社/メーカー: 日本経済新聞社発売日: 2006/05メディア: 単行本スタンフォード日本センター研究所長の中村伊知哉氏が世話役となってJAPA(日本ポップカルチャー委員会)が結成されています。http://www.ppp.am/委員人数が現在259名というのはかなり多いんじゃないでしょうか。中村伊知哉氏といえば大学在学中にガール・ロックバンドの「少年ナイフ」のディレクターを務め、知る人ぞ知る存在。「少年ナイフ」は1985年に海外レーベル(SUB POPなど)からアルバムをリリースして、1990年頃から知名度が高まり世界的に成功をおさめ、やはりSUB POPレーベルに所属していたニルヴァーナの前座をつとめ、ソニック・ユースなどオルタナ系のミュー
いまおたくと言うとなにかと萌えに結びつけられますが、そもそもおたく界隈でもっとも濃い人はたぶん特撮マニアあたりじゃなかったんでしょうか。私の大学時代の畏友も、ゴジラシリーズはすべて映画館に見に行きますし、ウルトラマンシリーズはもちろん日曜朝の戦隊ものシリーズも欠かさず見ているわけです。たとえば木走日記の以下のエントリでは、伊福部昭氏が亡くなった際の産経抄がこてんぱんにこき下ろされています。書いた記者もそこそこに知識をひけらかすのですが、特撮マニアをなめてはいけません(それ以前に読んで萎える面はありましたが)。http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060210ちなみに私が特殊マンガ読みを名乗っているのは有名なマンガは読んでいないもんねという逃げ道を確保しているわけで非常にずるいのですが、ほとんどのマンガマニアが読んでいないような盲点の作品はけっこう読んでいるぜと
マンガの表現の起源を調べるというのはなかなか大変なもので、もちろん資料へのアクセスが古くなるととても困難になるということがあるのだけど、最近は復刻ラッシュもあり、意外なところで意外なものを見ることがある。「てへっ」というと少女まんがの照れ笑いを思い出す人が多いだろうが、このせりふ、実は戦前の初期のナカムラマンガでよく使われていた。ナカムラマンガというと大城のぼるが有名になってしまったが謝花凡太郎と新関青花が代表的な作家である。1980年代から90年代に松本零士のコレクションから復刻した(竹内オサムや二上洋一が編集に参加している。横田順彌の名も見られる)、三一書房の「少年小説大系」の少年漫画編に再録された彼らの作品には「テヘッ」が結構頻出するのだ。大城のぼるの「愉快な探検隊」や謝花凡太郎の「まんが忠臣蔵」を見ると、チャンバラで首が飛んだり胴体真っ二つなんてシーンが頻出し、「あばしり一家」みた
「このマンガを読め!2006」を買って読んでみたが、低調で、いよいよベストテンも機能しなくなってきたと思わざるをえない。私はこれまでマンガはつまらなくなっていないと言い続けてきたが、自分自身にとってはつまらなくなっていないとしても、つまらなくなった、といわなければならないときが来ているように思える。もはや意味がないといわれてずいぶん経つベストテン企画だが、アンケート回答者は52人で、一人の持ち点が15点、つまり総点数は780点しかないのだから、11位にランクインした作品の得点がようやく10点、以下13位9点、16位8点、21位7点、27位6点、33位5点となっている。規則としては、ベスト5を選んで15点の持ち点から7点を上限として割り振る決まりになっているが、1作に最高で7点入れている人が何人かいて、5点になると数多くの人が入れているのだから、一人の票でそれほど大きく順位が左右されるのでは
今年マンガ界に起こった出来事に盗用発覚による絶版回収問題があった。これについては本にも書かれていてそれぞれに意見が出ていたが、最後の座談会での扱いはまったくお粗末なものであったとしかいいようがない。今回は法的な問題ではなく倫理的な問題であるから、私も書きづらいけれども、この問題について最低限抑えておかねばならないことがまるで認識されていないままに見当違いで低レベルなやりとりがされているのだ。他のマンガ作品からトレスしたことについては、法的には親告罪であるために、訴えられていないのだから犯罪のような法的な問題ではないが、オリジナリティを重んじるマンガ界では倫理的な問題とみなされるし、これについて擁護できることはほとんどないだろう。しかし、問題が大きくなったのは謝罪が原因である。これをもし、原作者の許諾をとって使ったならばそれについて非難するいわれはなく、盗用問題の当事者たちは同じ出版社で書い
私は以前ある少女まんが系のメーリングリストで年間ベストに必ず10作品選ぶことを課していたが、昨年あたりから限界が出てきた。40歳になるので過去のマンガを再評価し発掘しなければならないと思うようになってきたのである。それと同時に雑誌の数が女性マンガの領域では異常な数になってしまって、全部どころかまるで読み通すことができない、ということになった。会心の作品が描けてもその掲載誌が読めなければ、すでにコミックス化のアドバンテージも失われており、日の目を見ることがない。私の同世代の女性作家はそういう状況下にあるから、大作、野心作を書こうというモチベーションなどどれくらい維持できるだろうか。売れる女性作家(優れた作品を書く作家が必ずしも売れるわけではない)は男性誌に引き抜かれ、中堅の女性作家はかなり厳しい状況におかれている。この分野には批評家の数が絶対的に少なく、サルベージも困難な状態なのだ。今回のベ
えーと、タイトル通りです。眠れなかったのでアンテナを眺めていたらキャッチしました。実際に寝耳に水を垂らされたようなショック。以前のエントリで個人的事情でYOUNG YOUの定期購読はやめるって書いたのですが、まさか休刊するとは...なんだかんだいいながら20年前の月刊セブンティーンの休刊から創刊以来ほぼ毎号買っていた雑誌なので、私が言及すると不幸になるジンクスはこの雑誌には当てはまらないだろうと思ったのですが、ハチクロのアニメ化も功を奏さなかったのですね。コーラスをつぶすわけにいかなかったというのもあるかもしれませんが。そういえば今月の女性誌は逢坂みえこさんの名前が目立つなあと思っていたのですが、私にとってのYOUNG YOUは逢坂さんと坂井久仁江さんが描いている雑誌でありました。もちろん一般的には榛野なな恵さんのPapa Told Meが代表的作品といえるでしょう。90年代に私と同年代の
私の書くものについて、境界例的である(読むことで不快に感じることが十分考えられる)ことをまずお断りしておきます。マンガを娯楽として楽しみたい人はここは読まないように。今後書くかどうか悩むところですが今回だけあえて挙げてみます。境界例というのは、神経症と精神病(うつ病、統合失調症)の境界という意味で使われたものだそうです。現在この言葉はいろいろと誤解を招くため(たとえば正常と異常の境界というふうに誤解される)あまり表だっては使われません。次のページがうまくまとまっているでしょう。http://homepage3.nifty.com/kazano/bpd.html
若気の至りや思いつきで書いたエントリを自分で読んで少しうんざりしたのでひどいのは消そうと思って非公開にしましたが、移す作業もあまり進んでないので短期間だけ公開します。ブックマークをつけていただいてもまた近いうちに非公開になりますが、人気のあったエントリは移行する予定です。
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