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買ってよかったもの
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このまえ、森岡正博の『感じない男』(ちくま文庫)を読んだ。 賛成できない箇所は多数あれど、大切な論点を挙げている本であると思う。 筆者の主張のなかでも重要なのが、「男は不感症である」というものだ。女性はセックスを全身で感じ、絶頂後も余韻を味わうことができるというのに、男性はせいぜい下腹部くらいでしか快楽を得られない。射精の快感もほとんどは「排出」の感覚である。しかも空しい。汚い。 わたしはこの「射精=排出説」(わたしが勝手に呼んでるだけ)を読んで、なるほど、と思った。みさくらなんこつ先生の作品を読んでみると、フタナリ女子校生が巨根から精液、乳房から母乳、口から唾液、と全身からあらゆる体液を火山のような勢いで噴出しながら絶頂している。周囲にはハートマークが飛散し、あたかもその快楽の迸りを表現しているかのようである。 それに対してわたしの射精のなんと貧相なことか。射精の快楽などというものは、
エメトフィリアという語はあまり聞き慣れないものだが、嘔吐性愛、すなわち、他人の嘔吐を見ることないし自ら嘔吐することによって興奮するフェティシズムのことである。emetophilia という語は、「私は嘔吐する」を意味する古代ギリシア語に、ペトフィリアやらフィロソフィーやらでおなじみの「私は愛する」を意味する古代ギリシア語がくっついたものであるらしい*1。 なかなか格好良い名称を与えられているわりに、これを主題に扱っている学術論文は、私の知る限り一つしか無い*2。それが Robert J. Stoller が1982年に発表した論文、"Erotic Vomiting"である。 ここでは、三人の女性の症例が紹介されている。嘔吐の開放感によって性的興奮をえるという四十代のレズビアン女性、幼いころ義父から折檻を受ける最中に嘔吐して以来その行為のたびにオーガズムにいたるという女性、さらに誰かが屈辱的
雑 久里洋二はおもに前世紀に実験的なアニメーション作品で名を馳せた人だ。 海外の賞を数多く受賞していて、国内でも紫綬褒章までもらっている、たいへん評価の高い作家だが、遅れてきた世代である私たちにとっては馴染みのない人物だろう。作品集がDVDで出ているが、品切れになってしまった。 実験的作品である以上、同時代性の文脈におかねば評価できない、という意見もあろうかと思う。だが、久里の遊び心に満ちた映像にはそういう問題を棚上げしておいても失せない面白さがある。むしろ、実験の時代を過ぎた今だからこそ感じられる面白さがある、といってもよい。 幸いというべきか、YouTubeで主要な作品が観られるから、ここで紹介してみたい。 「愛」(1963年) 武満徹のミュジック・コンクレート作品「ヴォーカリズムA・I」に映像をつけたもの。声は岸田今日子と水島弘。 武満による、不思議な広がりと切迫感のある音
雑 今朝のことである。「アンと花子」のオープニングをぼんやり眺めていたら、キャストに茂木健一郎という名を発見した。ほお何事だろうと思って見てみた。衝撃的だった。 台詞が棒読みだとか演技が下手だとかいうのは仕方ないとして、茂木健一郎があまりにも茂木健一郎なのである。 なにかいい翻訳本のネタはないかと聞く編集者に、花子が「赤毛のアン」の訳稿を差し出すというシーンなのだが、終戦からそう経たぬ村岡邸にあって、出版社の社長を演じる茂木健一郎だけが端的に茂木健一郎として屹立している。伸ばしたナンのような顔、遥か深淵を覗き込むかに見えなくもない胡乱な瞳、そしてその上に搭載されたスチールウール状の髪というお馴染みの姿は、どう考えても全身で茂木健一郎を表現しているのである。鯨が魚ではなく哺乳類なのと同じ蓋然性で、茂木健一郎は平成の世に生きる茂木健一郎であった。まさに茂木健一郎のクオリア。会話の最中にも「
雑 「真意が伝わらなかった」という言い訳が流行っている。 これを使う人は「真意の伝わるような言い方ができなかった」ということで形式的には謝罪するのだが、一番言いたいことはもちろん「みんな俺の発言を正しく読めていない」である。これに対しては、「お前は読み手の側に責任転嫁している」という応酬がある。 ここで注目しておきたいのは、「発言を正しく読めていない」なる主張の前提には、読み手の解釈よりも、発言者側の意図のほうが上位に位置するという発想がある、ということだ。それに対して、「真意が伝わらなかった」という言い方がおかしいと考える人は、言った側の主張する「真意」よりも、その発言がいかに読まれうる仕方のほうを重要だと考えている。 後者の考え方に従うと、発言者は、発言のもつあらゆる解釈可能性に対して責任を負わなければならないことになる。もちろん解釈可能性は無限にあるわけではない。竹田某の発言は
雑 戸田山和久『論文の教室』(NHK出版、2002年)に載っているダメ論文のサンプルは傑作です。名古屋大で多くの学生を指導してきた教授だからこそできる文体模写だといえるでしょう。 さっきはてブを見ていたら女子小学生が書いた(という体裁の)文章が話題になっているようでした。 no title(現在はリンク切れ) はてなブックマーク - 小学生の、女の子で、生理、タンポン作ってる、子は、いますか - Yahoo!知恵袋 質問者のほうは、他にしている回答・質問を見ればおっさんであることがすぐに分かります。一方で回答者のほうを見てみると、一読しただけではリアル女子小学生なのかどうか判断しかねます。ブコメでも意見が割れているようです。 私は大学に入ってからの数年間、女子を含む多くの小学生に中学受験国語を指導してきました。とりわけ今年度は記述対策に重点を置き、毎日のように女子小学生の提出して
雑 ここ数日、暇なときにpixivで自分の性癖にあったタグを見つけては、そのイラストを全て確認していくという作業に取り組んでいる。極めて不毛である。 pixivにはイラストにタグをつける機能がある。投稿者と閲覧者の両方がタグをつけられること、投稿者はタグロックをできること、検索のためだけでなくコミュニケーションのツールとしても使われる(たとえば「タグ大大喜利」)ことなど概ねニコニコ動画のタグ機能と同じようなものである。 というか「百科事典」まであるあたり完全にニコニコ動画のパクりなのではないかと思われる。「ピクシブ百科事典」が検索で引っかかったときのウザさは全盛期の「はてなキーワード」にも比肩しうるものである。キャラクターの名前を検索したら「ピクシブ百科事典」が出てきたのだが、載ってる画像が公式のものでないのでイマイチなんのこっちゃ分からなくてパソコンを窓から投げ捨てる、というのも巷で
雑 スカトロジストはなんでウンコに興奮するんですか、というのはよくされる質問であるが、難しい問題であり、そもそも変な問いである。これがオマンコだったら、なんでオマンコに興奮するんですか、という質問は受け入れられない。エベレストに挑むジョージ・マロリーのごとき清々しい笑顔で「そこにオマンコがあるから」といって一蹴されるのがオチだろう。オマンコに反応するのは当たり前ということになっているのだ。 だが、オマンコに興奮するときであっても、実際はオマンコ「それ自体」に反応しているわけではなく、それに結び付けられた諸幻想に見せられているのに過ぎない。興奮はオマンコのほうにあるのではなく、それを見る私たちのほうにある。 だから、同じオマンコに興奮するといっても、粘液に濡れた肉襞がぬらぬらと光っている様子にエロを見出す人あれば、くぱあと開いた膣口に涎を垂らす人もいるわけで、その興奮は千差万別なのである
雑 私は高校時代に自慰行為の過程で肛門を損ねて以来、断続的に痔を患っている。ちょっと前には一時回復の兆しがあったのだが、とある飲み会で食べたレバーによる食中毒によって、その希望は肛門とともにズタズタに引き裂かれてしまった。 ここ数年にわたって私を悩ませてきたのは、痔という病気に対する無理解である。ある知り合いは、痔というのは水虫と同じような、中年の暑苦しいオヤジがその暑苦しさゆえに罹ってしまう生活習慣病のようなものだと考えていた。これは肛門科に行ってみれば分かることだが、実際は若者の患者もけっこう多い。 また、症状についても「肛門が痛くなる病気でボラギノールを外にサッと塗るか中にチューっと注入すると治る」という程度の認識が一般的であろう。これは別に間違いではないのだが、実際の苦痛を考えると、全く言葉が足りないのだ。花粉症なんかよりずっと辛いんだぞ! と声を大にして言いたいのだ。 だか
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