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ヴィリリオ/パランからジャン・ヌーヴェルへ──転回点としての一九六八年 | 五十嵐太郎 From Virilio/Parent to Jean Nouvel: Turning Point 1968 | Igarashi Taro 一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この夏にそれまで近づくことの禁じられた海岸線を自由に探索できるようになり、トーチカの点在する破棄された前線を不思議な風景として眺めていたという★一。 そしてこの年、ジャン・ヌーヴェルはフランスで生まれた。 パリは燃えていた 一九六八年、パリのカルチェ・ラ
いま長谷川堯が再読されるのはなぜですか? | 中谷礼仁 Why Reference Takashi Hasegawa's Work Now? | Nakatani Norihito 長谷川堯は建築評論家である。彼の一連の著作、そのなかでもとりわけ重要な初期の著作集が書店から姿を消して久しい。興味を持つ少数の人は、それらを所蔵する図書館に行くか、あるいはなけなしの金をはたいて古書店でそれを入手するかであった。著者も二十代の頃そのようにして彼の本を手に入れた。だから氏の著作集が復刊されることになったことはすばらしいことだと思う。 しかしなかでも、当方が自ら入手した『神殿か獄舎か』(相模書房、一九七二)は、復刊決定後においてなお、なけなしの金をはたいて買ったことがぴったりくる本であったという印象が消えない。文字通り心血を注いだ著作に対して、読者がその「血」を買った。そんな特別な取引が成立しえたと
「更地と集合住宅」──多摩丘陵におけるニュータウンと集合住宅の分節 | 塚本由晴 Vacant Lots and Communal Housing | Tsukamoto Yoshiharu ニュータウンに行くと感じることがある。それは、これは建築のロマンなのか? 土木のロマンなのか? それとも政治のロマンなのか? ということである。そんな問題のたてかた自体間違っている、それはすべてにとってのロマンなのだと自分に言い聞かせてみるのだが、やはり納得できない何かが残る。特に海浜部の埋立地に建設されるニュータウンなどでは[図1]、インフラストラクチャーが整備されただけの高性能な更地が潜在化させている都市の可能性に、期待とともに感動さえ感じることがある。更地に付された「基盤」という呼び名に対して少し軽蔑的ニュアンスを込めて「上もの」と呼ばれる建築は、ここではただ都市的な密度を作り出すだけの要素であ
死体と去勢──あるいは「他なる女」の表象 | 松浦寿輝 Corpse and Castration: Or the Symbol of the "Feminine Other" | Matuura Hisaki ファロスとしての「知」 これは必ずしもわれわれがここで論じている一九世紀西欧という特定の歴史的文化圏に限ったことではなかろうが、「知」の主体としての「人間」と言うとき、その「人間」という言葉がインド=ヨーロッパ系の言語ではしばしば自動的に「男」を意味するという事実それ自体によっても示唆されるように、少なくとも共同体の成員間に共有される通俗的なイメージ現象の水準では、そうした認識論的主体のありかたが男性的な徴の下に表象されてきたことは否定しがたい。カテゴリー的認識を可能にする合理主義的理性は「男」によって担われ、「女」はむしろそうした理性の行使によって探究され解明される客体の側に位置
日本人と結婚式教会 | 五十嵐太郎 Japanese and Wedding Chapel | Igarashi Taro 最近、東海圏の結婚式教会をまわっている。例えば、五一メートルの高さを誇る豊橋のサン・パトリス大聖堂(二〇〇一)、南フランスのエズ村をイメージした風景に囲まれた岡崎のセント・ソレイユ(一九九九)、名古屋ウエディングビレッジのラ・プラス・ルミエ教会(二〇〇二)などだ。案内してもらうついでに、スタッフにたずねると、ほとんどがここ数年に登場したもので、目ぼしい教会は一九九〇年代後半以降につくられたと考えてよいだろう。ちなみに、結婚式教会とは、筆者の造語であり、信者をもたず、結婚式のためだけに建設された教会のことを意味する★一。現在では宗教的な機能をもつ本物の教会が、過去の建築様式にこだわらずに設計され、街にうもれているのに対し、結婚式教会は多くがゴシック様式を採用し、周囲から
チャールズ、チャールズ──ポスト・モダンの折衷主義と保守主義 | 五十嵐太郎 Charles vs. Charles: Postmodern Eclecticism and Conservatism | Igarashi Taro 二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(一九七七)は、このように第一部の冒頭でミノル・ヤマサキが設計したプルーイット・アイゴー団地が爆破された事件を劇的に紹介する★一[図1]。この団地は犯罪率が高く、建物が破損されつづけ、何度も修理を試みたのだが、結局、ダイナマイトで破壊されることになってしまった。なにが失敗だったのか。ジェンクスは、高層アパートがCIAMの理念にもとづき建設され、「居住者の建築コードと一致しない純粋主義者の言語によって
ミレニアムの都市(前編)──一九九九年、ポストバブルの東京論 | 五十嵐太郎 The City in the Millenium Part 1: Tokyo Studies in the Postbubble Era, 1999 | Igarashi Taro 情報端末としての建築 電飾、看板、ファーストフード、カラオケ、ゲームセンター、カフェ、居酒屋、ドラッグストア、電化製品の量販店、百貨店、金融ビル、JR線の高架、スクランブル交差点。数々の情報と人々が行き交い、数々のストリートにつながる渋谷のターミナル。そして「二〇〇〇年へのカウントダウンを目指して、渋谷にQFRONTが誕生する」★一[図1]。QFRONT、すなわちQueen of the FRONTは、二一世紀の高度情報化社会における前衛のクイーンを目指し、渋谷の活性化のために設立された。二〇世紀前半の近代建築が機械をモデルとしたの
新宗教の建築・都市、その戦略論序説 | 五十嵐太郎 Learning from Tenri: "The Heavenly City" | Igarashi Taro 世界軸1──一八七五年 宗教的人間にとって 空間は均質ではない。 ──M・エリア─デ★一 その日、あらかじめ屋敷は入念に掃除されていたのだが、教祖(おやさま)がまず先に庭の中を歩いたところ、ある一点において足がぴたりと地面にくっついて動かなくなる。教祖がその地点にしるしを付け、続いて、信者たちは目隠しをしながら歩くと、やはり同じ場所で吸い寄せられるように立ち止まった[図1]。それが天からの寿命薬を受けるという甘露台のぢば(地場)であり、天理教における世界の中心、すなわち人間創造の場が明らかにされた瞬間でもあった。明治八年、陰暦の五月二六日のことである。ここは後に教団名が市に冠せられるところの中枢になるのだが、当時はまだ小さな農
暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 | 田中純 Cryptic Democracy:Jefferson's Legacy | Tanaka Jun 1 サイファーパンクのフェティシズム hIwDM/OfwL7gnVUBBACUhies4/fE/gh3h7g3xNAtQN0In6LuRBxZlwiN /MVOfgcv LEHPart9UQHrgp8b9w76r2JPqBCw83BSVaaj8ZdHsTQrj7UeRxSdTRCeRNsl3EgQ R19OE+jl2wHkrlaqN6QrX8YY8s1v8sRLCCuZleZl /yQ01lNDiywLP4rZ79Tip6YA AAAkyfm48S2td14lUDH0z9+rM9ceF9vYhkupLMxpGwZeUfD2Jn1V=qf5t ここに掲げた文字列は五文字の英単語から、PGP(Pretty Good Privac
過防備都市1──情報社会はいかにわれわれを管理するのか | 五十嵐太郎 Fortified Cities 1: How does the Information Society Control Us? | Igarashi Taro 二重の網目をはりめぐらす、セキュリティ・ネットワーク 全国の子持ちの皆さん! 自分の息子や娘が犯罪に巻き込まれたり、逆に犯罪を起こしたりするんじゃないか不安じゃありませんか。あたし、室井佑月は東京の治安をよくし、若者に夢を与えることを約束します。 �『東京新聞』一〇月八日 作家の室井佑月は、「バーチャル総選挙」という新聞のコーナーにおいて、自らが立候補した場合の公約を次のように要約している。「一、国会議員の財産は一代限りに。二、一〇代のボランティアを義務化。三、警察官を大幅に増員します」。第一の公約は、治安のいい場所が高級住宅街になっていることへの疑問から導か
磯崎新の夢/レム・コールハースの現実 | 浅田彰 Review The Dream of Arata Isozaki/The Reality of Ren Koolhaas | Asada Asada 磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊からなる充実した書物(タイトルにもかかわらず現代建築史の資料としてもきわめて価値が高い)も出版された[図1]。そのインパクトは、実現された建築群に勝るとも劣らない。六〇年代の〈空中都市〉の、いかにもメタボリズム的な未来志向と、磯崎新独特の廃墟志向の重ね合わせ[図2・3]★二。七〇年代の〈電脳都市〉──とくに「コンピュータ・エイディッド・シティ」の、中央計算機を想定する点では古びてしまった、しかし巨大な被膜に覆われた空間の内部を自由に分
動物化するグラフィティ/タトゥー 都市/身体の表面への偏執 | 南後由和 Animalizing Graffiti / Tattoos: Paranoia on the Urban / Body Surface | Yoshikazu Nango 1 背景 日本では、九〇年前後から横浜市中区、旧東急東横線の桜木町駅─高島町駅間約一・四キロメートルに及ぶ高架下の壁面に多くの若者が競い合って「グラフィティ(graffiti)」を描くようになり、桜木町はグラフィティの「聖地」とまで言われるようになった[図1]★一。九〇年代半ば以降は、同所に限らず、鉄道・車道沿線、看板、電柱、道路標識、住宅などに描かれたグラフィティが各地で増殖し、それらはもはや都市の「風景」の一部となっている。例えば渋谷や原宿の映像を撮る際、グラフィティが入り込まない風景を撮ることのほうが難しいと言っても過言ではない。グラフィテ
都市の解剖学 剥離・切断・露出 | 小澤京子 Urban Anatomy: Exfoliation, Amputation, and Exposure | Kyoko Ozawa 1 皮を剥がれた建築 建築物をひとつの身体に喩えるならば、皮膚にあたるのは外壁である。建築物が時間の手に晒され続ける限り、傷や病、あるいは老いは、不断にその皮膚を脅かし続けることとなる。しかし、この建築の外皮へ、あるいは内部と外部との境界を巡る病理へととりわけ執拗な眼差しが注がれたのが、一八世紀の「紙上建築」という分野なのではないだろうか。それは、廃墟表象における崩れゆく皮膚であり、また幻想じみた建築図面における開口部への窃視欲動である。 例えばベルナルド・ベロットによる《ドレスデン─クロイツキルヒェの廃墟》。これは、一七六〇年のプロシア軍の砲撃によって崩壊した、ドレスデン最古の教会の姿を描いたものだ(ちなみに砲
時間の都市 空間の都市──時空の「現在」のエコノミー | 若林幹夫 City of Time, City of Space: Time and Space in the Economy of the "Present" | Wakabayashi Mikio 1 時間としての空間 人文地理学に「時間地理学(time geography)」と呼ばれる一分野がある★一。自然地理学と人文地理学を問わず一般に地理学は、土地空間上の事物や出来事の配置や関係を地図平面上の分布や配置として記述し、そこに現われる構造や関係の原理や法則を考察するのだが、時間地理学が採用する記述法は、「時間」と「地理」とが結びついた一見すると自家撞着的なその名称が示しているように、通常イメージされるであろう地理学の記述法とは異なっている。それは人間の行動を普通の地図のような二次元的な平面上の軌跡としてではなく、土地空間上の距
九〇年代社会学/都市論の動向をめぐって | 若林幹夫 An Introduction to Books on Sociology: Urban Studies in the 90s | Wakabayashi Mikio しばしば語られるように、八〇年代は記号論やテクスト論、消費社会論的な都市論隆盛の時代であった。それは、八〇年代の日本の経済的好況=バブルの下での都市の消費社会化、記号の操作を媒介とする都市や都市空間それ自体の商品化とほぼ正確に対応していたと言うことができる。やはり八〇年代に流行した、明治・大正・昭和初期の「モダン都市生活」を余裕をもって回顧する「モダン都市論」も、経済成長の末に現われた景気の高原状態のうえで、現在の都市生活の正統性を過去に求めるという社会意識の現われであった。だが、その後のバブル崩壊と経済的停滞は、都市をめぐる視線を八〇年代的なバブルが覆っていた都市の表層
地図、統計、写真──大都市の相貌 | 若林幹夫 Map, Statistic, Photograph | Wakabayashi Mikio 1『東京─大都会の顔─』 一九五二年に岩波写真文庫の一冊として刊行された『東京─大都会の顔─』の冒頭には、「この本の読みかた」として次の文章が掲げられている。 東京に関して、その歴史的懐古、首都的性格、或いは戦災の報告は、また別の課題になるであろう。ここでは大都会のもつ一般的な容貌を、東京に代表させて説明する。読者はまず東京の地図を用意されたい。カメラは地図上の各地点で、ほとんど二十四時間とは違わぬ間に見られる現実を把える。一見すればきわめて無秩序なその各様相は、綜合して一種の秩序、大都会の秩序を暗示する。写真説明はみな統計資料によっている。その信憑性については特に注意を払ったが、統計の価値は、読者がその中からどれだけの意味を汲みとるかにある。我々は
「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?1──定義・マニフェスト編 | 藤村龍至 What is the Mission of "Critical Engineering-ism" ? 1: Definition / Manifesto Edition | Ryuji Fujimura 二〇〇〇年以降、東京の都心部では高速で大規模な開発が進み、湾岸地区ではタワーマンションが、バイパス道路沿いにはメガショッピングモールが、それぞれ大量に建設されている。それら都市・建築をめぐる量、規模、変化の速度に対して、社会学者や哲学者は建築家の議論の遅れを指摘するものの★一、現実の都市空間への働きかけとしては「脱空間化」★二といった建築家不要論や、「高速道路やタワーマンションはほぼ自動的に設計される」★三といった諦観に留まっている。 商業空間や不動産開発の場面に代表されるように、人々の心理を巧みに刺激
誰が何を盗むのか?──「パクリ」と類似とアイデンティティの倫理学 | 増田聡 Who Steals What?: Ethics of "Pakuri", Resemblance, and Identity | Satoshi Masuda 例えば、日名子暁『パクリの戦後史』(ワニのNEW新書、一九九九)という書名に惹かれ読んでみるならば、こんにちのわれわれは肩すかしをくらった感を拭いきれないだろう。「暗躍する裏経済師たち」と副題が付された本書は、M資金詐欺やネズミ講など戦後の経済犯罪の数々を通史的に描いたものである。「パクリ」とはそもそも、法に抵触するすれすれのところで経済的詐欺を行なうその手口を指す用語であった。それが音楽をはじめとする文化的テクストにおける剽窃や盗作を指すものとして転用された経緯についてはつまびらかにしない(一九六〇年代にはすでに業界用語として流通していたという説もある
イメージの/による葬儀──コロッソスとしての記念碑 | 田中純 Funus Imaginarium: Memorial as Colossus | Tanaka Jun 1 英雄というプレテクスト ニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地利用をめぐっては、選出された七つの建築家チームによる九つの計画案が二〇〇二年一二月一八日に発表された。展覧会や集会を通し市民の意見を広く集めたうえで、翌年の二月四日にローアーマンハッタン開発公団(LMDC)とニューヨーク・ニュージャージー港湾局は、案を二つに絞った。そのひとつはダニエル・リベスキンド事務所による案[図1─5]であり、もうひとつは建築家チームTHINK(坂茂、フレデリック・シュヴァルツ、ラファエル・ヴィニオリ、ケン・スミス)の案である★一。 そして、同じ月の二七日、リベスキンド事務所の案「メモリー・ファウンデーションズ」が最終案に選ばれた。
装飾という群衆 神経系都市論の系譜 | 田中純 Ornament as Mass: Geneology of Neuronal Urban Studies | Tanaka Jun 1 身体・イメージ空間の襞 一九六〇年代にマーシャル・マクルーハンが『メディアの理解』で電気メディアを身体外部への中枢神経系の拡張であると述べるのに先だち、二〇世紀初頭のゲオルク・ジンメルやヴァルター・ベンヤミンの都市論は、近代都市の経験が人間の神経に及ぼす作用を通じて、都市における人間身体を一種のサイボーグととらえる一方、都市をひとつの「身体空間」として描きだしていた。 ジンメルは論文「大都市と精神生活」(一九〇三)で、外的、内的な刺激の迅速な交代が「神経生活の高揚」を生む大都市では、刺激があまりに過剰で強力すぎるための一種の適応現象として、独特な「倦怠」という無感覚状態が生まれているとした。この「事物の相違
アルゴリズムで表層と深層を架橋せよ | 柄沢祐輔+南後由和+藤村龍至 Cross-link between Superficial Layer and Deeper Layer with Algorithm | Yuusuke Karasawa, Yoshikazu Nango, Ryuji Fujimura リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京では一八〇本もの高層タワーが林立している状況があります。それまでは数十本でしたが、ここ数年で倍増した。このような都市のスカイスケープの激変についてそれぞれの立場からコメントをいただければと思います。 藤村龍至──世界経済のグローバルな動きの反映として、高層ビルの林立のような現象が起こっているということはあると思います。しかし、
富士山と東京ディズニーランド | 桂英史 Mount Fuji and Tokyo Disneyland | Katsura Eishi はじめに これからわれわれは東京ディズニーランドという謎の空間を読み解く作業に着手する。二〇世紀が終わろうとしている今、文明批判や近代批判は、百花繚乱の様相を呈している。環境保護運動やジェンダー論といったフィールドなども、その範疇に入るのかもしれない。メディア・テクノロジーの飛躍的な進化に伴って、「リアリティ」や「身体」あるいは「質感」といった文脈で、文明批判や近代批判が論じられることも少なくない。しかしながら、そのフィールド独自に文明批判や近代批判が論じられ、そこに論理的な妥当性があるにしても、依然として文明批判や近代批判の輪郭はぼんやりとしたまま、われわれの日常に淀んでいる。とりわけ、「日本近代」や「日本文化」などというテーマに近づこうとすればするほ
自然の無関心──畠山直哉の鉱物的都市写真 | 田中純 Indifference of Nature: Mineral City Landscape of Naoya Hatakeyama | Tanaka Jun 1 「都市とその起源」 写真家畠山直哉には、石灰石鉱山を扱った連作《ライム・ヒルズ》(一九八六─九〇)、《ライム・ワークス》(一九九一─九四)、《ブラスト》(一九九七─九九)がある。《ライム・ヒルズ》は採掘場、《ライム・ワークス》は石灰精製工場およびセメント工場を被写体とし、《ブラスト》は石灰岩の山をダイナマイトで爆破する瞬間を撮影している。 《ライム・ヒルズ》のなかで石灰石鉱山は、黄昏時の赤みがかった光に包まれながら、運搬用ダンプカーの車輪の軌跡とライトの光跡とともに、削り取られて段状になった岩肌を晒している。高みから俯瞰された眺めには、ショベルカーをはじめとする工事用機械以外
1971年生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科准教授/メディア論・音楽学。大阪市立大学文学研究科。 (最終更新:2010年11月5日) [文化所有のポリティクス 4] 文化的所有物の多層性 | 増田聡 Multi-Layered Cultural Property | Satoshi Masuda アメリカの憲法学者、ローレンス・レッシグが提唱するクリエイティヴ・コモンズ(以下CC)は、近年急速に進行する文化産業や政府による著作権の過剰保護への対抗運動とし...パン編、NTT出版、二〇〇五)を参照。 ★二──増田聡+谷口文和『音楽未来形──デジタル時代の音楽... 『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.27-28 [文化所有のポリティクス 1] 香水の著作権を望むのは誰だ | 増田聡 Who Wants Copyrights of Perfume?
なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡 Why Do You Want to Talk about Music ? : Toward Ethics of Music | Satoshi Masuda 誕生から約一世紀半にわたる音楽学の歴史は、テクスト中心主義からコンテクスト主義へのゆるやかな移行の歴史として描くことができる。人文学の一分科としての音楽学が確立されたのは一九世紀後期のドイツでのことであるが、そこでは国民国家イデオロギーを底流としつつ、当時世界に君臨していたドイツ芸術音楽を中心とするヨーロッパ音楽を主な対象に、優れた音楽作品「それ自体」の来歴を実証的に後づけ、その構造を「客観的」に構造分析する作業が学科の中核をなしていた。いわゆる歴史的音楽学=音楽史学と、音楽理論の二つが音楽研究の中心的なディシプリンであったわけだ。しかし一方で、「諸民族の音楽の比
〈民俗学者〉としての藤森照信 その歩く/見る/聞く作法を考える | 菊地暁 Terunobu Fujimori as Folklorist: Regarding His 'Walk/Look/Listen' Method | Akira Kikuchi どんな思想も文学も、目玉が死んだらおしまいだ★一。 正直に言おう。ファンである。 私は藤森照信の良き読者とはいいがたいが、愛読者であることは間違いない。『タンポポの綿毛』は新聞連載時から毎週心待ちにしていたし、「建築探偵」シリーズのページを繰って近代建築めぐりの旅心を誘われたことも一度や二度ではない。そんな私が藤森を論じるなど、おこがましいにもほどがある。おまけに、私の本業はいちおう民俗学。建築史は門外漢なので、彼のアカデミックな評価に関しては当然ながら不適格だ。 というわけで、ここで筆を擱いても私としては一向に差し支えないのだが、さすがに
東京のタイポ・モルフォロジー | 塚本由晴+藤村龍至 Typology/ Morphology of Tokyo | Tsukamoto Yoshiharu, Ryuji Fujimura このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ばれる一連の政策によって、東京都心では二〇〇〇年以降の七年間で二〇〇棟もの超高層建築物が建設されたという★一。かつてはランドマークとして機能していた東京タワーも、林立する超高層ビルのなかに埋もれてしまった[図1]。 「都市再生」の動きそのものは、八〇年代から全世界で同時多発的に進んできた。一九七〇年代、イギリスでは、急成長した日本企業との競争など、経済の国際化が進んだ結果、リバプール、マンチェスター、バーミンガムといった伝統的な工業都市では産業の空
アビ・ヴァールブルク 『異教的ルネサンス』 | 森田團 Book Review3──Aby Warburg, The Renewal of Pagan Antiquith | Dan Morita アビ・ヴァールブルクの仕事は、エルンスト・H・ゴンブリッチによる伝記の翻訳(『アビ・ヴァールブルク伝──ある知的生涯』、鈴木杜幾子訳、晶文社、一九八六)以来、松枝到によって編まれた論集(『ヴァールブルク学派──文化科学の革新』、平凡社、一九九八)、田中純の労作(『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』、青土社、二〇〇一)、そして伊藤博明と加藤哲弘を中心にした翻訳者グループによる著作集(『ヴァールブルク著作集』、ありな書房、二〇〇三─)の刊行などによって、その全貌を明かしつつある。進藤英樹の翻訳による『異教的ルネサンス』もまた、『ルター時代の言葉と図像に見る異教的=古代的予言』(一九二〇)の初訳を含む
多摩ニュータウン自然地形案──地形をめぐる諸関係のダイナミクス | 木下剛+根本哲夫 Proposal for Tama New Town Geographical Features: Dynamics of Geographical Relationships | Kinoshita Takeshi, Nemoto Tetsuo 多摩ニュータウン──自然地形案とは何か かつて、多摩ニュータウンに「自然地形案」と呼ばれる開発計画が立案されたことがあった。多摩丘陵の自然地形の特質を住宅地の空間構成に反映させたこの計画案が立案されたのは一九六五年である。多摩ニュータウンの計画は一九六三年にスタートしたから、したがって自然地形案は多摩ニュータウンの歴史の中でごく初期の計画案ということになる。一九六〇年代といえば、地形的特質を無視した宅地造成が幅を効かせていた時代だ。そのような時代にあって何故に自
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