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レイングッズ
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未来予報はいつも晴れ!前回の続き。 応永35(1428)年1月、室町殿足利義持が死去した。 義持は後継の将軍を指名せずに死去したので、幕府は義持の弟たちから籤引きで将軍を選ぶことに決め、籤引きは石清水八幡宮で実行された。その結果将軍に選ばれたのが、青蓮院准后義円、すなわち6代将軍足利義教で、このエピソードはご存じの方も多いであろう。 この措置に激怒したのが、鎌倉公方持氏である。持氏は義持の後継者に選ばれなかったばかりか、籤に名を連ねることすらできなかったのである。 とは言え、管領畠山満家以下の幕府の有力者たちが誰1人持氏を推す者がいなかったのも考えてみれば当然である。持氏がいかに足利将軍家の一門とは言え、初代尊氏から数えてすでに4世代を経ており、赤の他人も同然である。しかも、事あるごとに京都幕府に敵対してきた前科もある。そんな人物を主君に頂きたくないのは当然のことであろう。 だが、持氏がこ
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