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買ってよかったもの
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埼玉から千葉へ引越して三週間くらい経ったけれども未だ慣れない。土地勘のない地域に暮らすことと他人との同居がいっぺんに始まったものだから少し目をまわしている。夜遅くに帰ってきても食事と話し相手があることには幾分助けられていて、あとは部屋が全体的に眩しいくらいに明るいことも嬉しかった。僕が今まで暮らしていた埼玉のアパートは西日が強く差し込んで台所がオレンジ色に染まった光景がそれはそれで美しかったのだが、朝早くから白いカーテン越しの光が差し込む部屋に越してみると、隠れる場所がどこにも無いほどに部屋の隅々まで光が回り、蒲団から出ていくほかにないという気になって目が覚める。本当は朝から晩まで蒲団から出ずに過ごしていたい程度には僕は怠け者だから、できれば埼玉でも千葉でもなく蒲団に暮らしたい。それでは生活にならないから千葉に馴染むほかないのだが場所はどこでもよくて、長い目でみればこれからも住所は転々とす
年末年始に撮っていたビデオを適当に繋ぎ合わせた。真冬の朝に寝袋から這い出してカメラ持って出て行く元気はすごいなと我ながら思うけれど、そのときは習慣になっていたから大したことはなかった。今は何もせずにぼんやりしたり朝寝坊するのが毎日の習慣となっていて、また少しづつ何かを始めようかと考えつつ今日は何もせずに眠る。部屋に銀マットを敷いて寝袋で眠ることは多分もう無く、見たことのない別の冬が来る。四月まで続くと思えば一年の半分くらいは冬だ。
震災から一月余りが過ぎ、写真家の高橋さんとNさんと僕の三名で、福島に咲いた桜を見に行くことにした。夜明け前に出発して国道を北上すること数時間、山間部に入ると雪混じりの雨が降り始め、車窓風景も雪景色へ変わり、東京から来た格好のままでは寒かった。「滝桜」で知られる三春町へ着く頃には雨が止み、例年の混雑には及ばないながら観光客も多く来ていた。 前日からほとんど眠らずにいたので駐車場に停めた車内でしばらく仮眠をとった後、三春の市街地を少し歩いた。町役場の割れた窓にはダンボールが張られ、蔵を改築した史料館にはヒビが入って休館になるなど、目をこらせば被害は残っているが、町はだいたい平常の様子に戻っているように見えた。高台に上って眺めた市街地は小さいながら、各所に大きな枝垂れ桜が点在している。それらの桜と史跡などを巡って歩けば半日ほどは楽しめそうだ。 川内村のニシマキさんの家に泊めていただき、夕食をご馳
東京の地震被害については、会社の階段の剥がれた壁にはテープが貼られ、倒れた自販機が起こされて、業務はとりあえず元に戻った。あとはテレビさえ見なければ、何事もなかったように思える。 それでも福島の事故については書かずにいられなかった。正体のよく解らないものに人々は不安を煽られやすい一方で、情報の取入れかたを工夫すれば冷静でもいられる。「チェルノブイリとは大きく異なる」という記事を読めば安心を得られるし、誰だって、不安を引き寄せるような記事を読みたくはない。素人判断でなく専門家に聞くべきだと考えるのも解る。専門家が安全だといえば安全なのかもしれない。当面のあいだは。 現在のインターネットの意義とは、テレビで解説する専門家から「わかりやすい」知識を一方的に受けるのでなく、在野の人々がそれらの知識を検証することじゃないかと思う。僕のようなただの会社員が何を書いても、大して読まれはしないけれど、書く
映画および原作小説『海炭市叙景』をきっかけに、小説が書かれる舞台について考えをめぐらせた。ある土地に暮らす人々の群像劇を書くためには、先に、その土地についての描写が必要となる。佐藤泰志の出身地である函館をモデルとした海炭市には、炭鉱があり、港があり、市電が走っている。海峡に突きでた山は、かつて海に浮かぶ孤島だった。市街地はその島へと続く砂嘴の上にある。このような地形は「陸繋砂洲」または「トンボロ」と呼ばれる。 今、満夫が立っている場所は砂嘴だったのだそうだ。何千年か何万年かは知らない。とにかく想像もつかない厖大な年月をすぎて、砂や石が海底に堆積し、陸地としての姿をあらわし、海の中にぽつんと孤立していた島と繋った。その島は、今ではなだらかでふっくらとした山であり、砂嘴の上に作られた海炭市の、ほとんど、どの通りからも眺めることができる。 (佐藤泰志『海炭市叙景』 第一章 3 「この海岸に」)
一枚目の写真は、木更津市の久津間海岸、二枚目は鋸南町、三枚目は鴨川市。こんな風景のなかに今年も立っていたい。どちらかといえば、深い海よりも、水たまりのような浅い海のほうが好きだなと思う。いつか海水面が上昇するときのことは以前書いたけれど(海進 - トンボロ)、一方では、たった二万年前には東京湾の大部分が陸地であったように、陸と海の明らかな境目なんか無い。なんだか自分も含めて多くの人々は追い詰められたような気になって海を眺めるけれども、転がり落ちたさきの海が、水たまりのような干潟であったなら、照れ笑いするより他にないよな。 振り返ればキリがないから長くは書かないけど2001年2月にサイトを始めてから十周年を迎えました。書いたり消したり取り繕ってみても世間に晒している自分は変わらないし、開設時からの読者もいるので今さらどうしようもない。過去の恥ずかしいことは照れ笑いしつつ全部置いといて次の十年
大家さんにもらった規格外のキウイが大量にあるのでジャムを作ることにした。勿論、生で食べてもおいしいのだけど、続けて何個も食べていると腹は冷えるし舌が痺れる。グラニュー糖といっしょにぐつぐつと煮込んでやれば優しい味になるはずだ。来たるべき長い冬にそなえての保存食にもなる。キウイのへたを切り落として皮をむき、薄く切り分けていく。どうせ煮崩れてしまうのだから綺麗に切ることはないし、初めから微塵切りにしても構わない。ちなみに今回使ったキウイは43個。 グラニュー糖を1kg用意して、その半量をキウイとともに鍋へ入れる。本当はペクチンという物質(フルーチェに入ってるやつ)があるとジャム作りにはいいのだが、なくても作れるので使わないことにした。長めに煮込んでやれば、とろみは出てくるはずだし、何よりも買いに行くのが面倒だった。焦がさないよう弱火にしてコンロに鍋をかけ、キウイの水分が出てくるまで待つ。煮立っ
敬愛するブログ「平民新聞」の平民金子さんと会った。書きたいことが有りすぎて上手く整理できないけれど、拙いながら書いてみようと思う。 初めて平民新聞を読んだのは2008年1月21日のことだった。はてなブックマークの新着記事から見つけた、「エノキ炒め」という記事に衝撃を受けたのを覚えている。ブログには何を書いても自由なのだと目が覚める思いだった。ブログの更新を毎日追いかけるようになり、「猫と私」、「カレーの一生」、「残雪遊覧日記」といった素敵な記事を立て続けに読んだ。いずれも僕にとっては写真やブログについての考え方を覆すものだった。 当時の僕は少なからず平民さんと似通った生活をしていて、料理にはカセットコンロを使い、風呂の無いアパートに暮らしていた(今も住んでる)。こういう生活している人は僕のほかにいるんだろうかと閉塞感を持っていたときに、平民新聞を知って、世界が一挙に広がったように思われた。
下り列車のホームに立っていた木曜日の夜、背後から俺のカバンを掴んだ手に気付き、振り返ると猫背のお婆さんが頭を下げた。しんどいから電車が来るまで掴まっていてもいいかと言う。それから彼女は済まなそうな顔をして、あなたと同じくらいの孫がいるという話や、戦争がなくて今はいいねといった話を始めたのだが、まもなく列車が到着したので会話は三分ほどで途切れた。おそらく自分には誰かに手を差し伸べるような甲斐性はないが、掴まれた手を振り払うほどの冷淡さはなく、その体を支えようと試みる程度のことはするらしい。 猫を見つければ立ち止まって写真を撮り、自販機を見つければ缶コーヒーを飲み、夜遅くまで東京を歩いている。すれちがっただけの人や猫に何らかの感情を持つのは面倒に思われる。得意とはいえない接客業に戻ったのは単に給料が良いからだと言ってみたいが、客と話すことは毎日楽しくて仕方ない。けれども余計なことは考えないほう
三泊四日で大阪に行ってきました。写真と動画。
あさって7月15日に会社を辞めて、20日に新しい会社の面接、16~19日の三泊四日で関西旅行となりました。東名高速の港北PAまでは電車と徒歩で向かい、あとは手を挙げて、乗せてもらえる車を待つことになります。今までに30台くらい乗せてもらった経験では、段ボールに目的地を書くより、ただ手を挙げるだけのほうが止まりやすい。 というわけで17・18日は大阪にいますので、お会いできる方がいれば yuki アットマーク evenfall.org に連絡ください。大阪へ行くのは初めてで、通天閣とグリコ看板のほかに何があるのか、まったく解っておりません。おすすめの場所があれば、ぜひ教えてください! ちなみに下の写真は、以前、名古屋まで行ったときに掲げた段ボールです。風が強かったから踏んづけて撮りました。
埼玉から海へ出掛けていくより、海が埼玉まで押し寄せてくればいい。下の画像のように、大宮台地は半島となって、浦和が岬になる。遠浅の海には無数の支柱が立てられて海苔の養殖が始まる。房総半島は本州からほとんど切り離され、谷地の奥深くまで海が入り込む。べつに夢の話というわけでもなく、そう遠くない過去には海面上昇期があったのだから、いつか判らないけれど再び海は押し寄せる。たとえば2074年に浦和で暮らしている90歳の俺が、岬に立って海を眺めていてほしい。 カシミール3Dを使って、海水面が10メートル上昇したときの関東を再現した。
2010.4.26 小網代 - ルートラボ LatLongLab 東武東上線、湘南新宿ライン、京浜急行を乗り継いで、三崎口駅へ着いたときには正午をまわっていた。 京急久里浜線の線路はここで途切れているけれど、本来は油壺を通って三崎の市街地まで伸ばす計画があった。三崎口までを暫定的に開通させたのが1975年のことで、それから延伸の目途が立たず2005年に事業廃止、計画は再検討となっている。 いつか再び延伸が決まったときには、三浦半島の過疎化がさらに進んでいて、国道を走るのは老人の運転するトラクターと軽トラだけになる。京急線では一日に一便だけの汽車が、キャベツと三浦ダイコンを満載した貨車を牽いて、横浜を目指してゴトゴトと走っていくのだが、時々、横須賀の山中で急勾配のために立往生してしまい、なかなか辿り着けない。俺が生きているうちに、そんな未来が訪れることを望む。 国道を外れ、小網代の森へと降り
ベケットは単純明快にパフォーマンスを拒絶した。アヴェドンが撮影の準備をしていると、ベケットは「これは私にはひどい苦痛なんだ」と言った。アヴェドンはベケットの意向を尊重し何枚か撮ってやめたが、撮れたかどうか不安だった。 だがベケットの肖像はよく撮れていた。いまわれわれが見ると、アヴェドンの写真のなかでもすぐれたもののひとつである。パフォーマンスを拒絶したベケットは見事にベケットであった。あえていえば、ベケットはベケットその人を演じていたのである。パフォーマンスとは自分自身であること以上ではない。 ――多木浩二 『肖像写真』 (岩波新書) 上の二枚の写真は、いまさっき、部屋の隅っこに座り、セルフタイマーを使って撮影した自分。
久々に書いてみた短編小説のようなもの、推敲せずに載せる4129字。 1 維管束を流れる液体に惹きつけられた昆虫たちが、枝葉をつたって上空へ向かう行列を作る。昆虫を追いかけて長い虫取り網を持った子どもたちが長い階段を昇り始める。子どもらに連れられて私も階段の入り口に立った。本来は非常用に造られたらしい階段には、落ち葉が厚く積もり、滑り止めのために据えられた横木が、錆びた金具で留められている。目前の景色だけを見れば、さながら登山道のようだった。深い緑のなかにあって風はなく、私たちのほかには歩く者の姿もない。 手摺りには蟻たちの行列が上へ続いており、何かの小さな破片を運んでいる。クロアゲハが羽ばたきと滑空を繰り返しながら昇って行く。子どもの追いかけるオオクワガタは未だ見当たらないが、落ち葉の陰などに身を潜めながら、鉄塔の先端を目指して歩いているに違いない。 鉄塔が、幹と枝とを大きく上に広げること
埼玉県和光市白子二丁目。このあたりは川越街道の白子宿として栄えた町だが、観光地として整備されている訳でもなく、平日の昼間に訪れるような若い男など俺のほかにいない。東武東上線の車窓から眺めていて、和光市と成増のあいだ、深く抉られた地形に、以前から関心があったのだった。旧街道と白子川の交わるあたり、熊野神社に向かった。志木からは片道一時間のサイクリング。 開運利益洞窟めぐりと書かれているが、白子川に抉られた崖の斜面、鬱蒼とした林のなかで、開運などと考えるやつはいない。 富士山の溶岩で作られたという洞窟。こんなに手間をかけたのに誰も来ないな。 洞窟の内部は、ISO 6400、F4、1/10秒でようやく写せたほどに暗い。天井の突起に頭をぶつけた。 夏に来たら涼しかろうと思うが、冬に来たからといって暖かくはない。 長さ二十メートルの洞窟に、十五分も滞在していたが、誰も来なかった。 日露戦
埼玉県志木市から東へ向かった、年末年始の四日間の記録。 小料理屋に入ってラーメン半チャン定食を頼み、日本レコード大賞を見ながら、茶碗に盛られたチャーハンを食った。旨い。 手賀沼公園に泊まった。眠れない夜が明けると、人々と鳥と猫に、テントを囲まれていた。 利根川の堤防に上がり、河口を目指して走った。このあたりは縄文時代の海面上昇期に古鬼怒湾と呼ばれる海の底だった為、平坦な地面が広がっている。現在も、海から74kmの地点では、河床の高さは海水面よりも低い。堤防がいったん切れてしまえば、水は一帯を被いつくして滞留するだろう。利根川の両岸には幾つもの「水神社」を見たけれど、関連はよく知らない。この日は、遮るもののない平野を渡ってきた強風と、青空から一転して急に降りだした冷たい雨に悩まされた。 川の流れる風景は、けっして優しくはないのに、いつも川に惹かれるのは、何故か。 大晦日には人の気配
仕事20091125 今年は、大学に休学届を出して、自転車屋のバイトを始め、さらにはカメラマンに転職するなど忙しい年だった。流されているといえば流されていて、自分の意思なんてものは多分無く、ただ、計画性なしに機材を買い揃えたりしている。理想の異性がいないように理想の仕事も無い、というか理想を持っていない、あるいは常に修正され続けている。だから仕事を続けるかどうかは考えないことにした。 今は、関東地方のどこかで、ブライダルフォトを撮っている。格好つけずに言えば婚礼写真だけど、格好つけることが仕事だから仕方ない。
サービスエリアの芝生に張ったテントから這い出すと、雨はすでに上がり、朝日が差していた。台風の進路を確かめるため休憩所のテレビを見に行く。台風と合わせて強い地震にも見舞われた静岡が映されている。 遅れて起きてきた二人とコーヒーを飲みながら旅程について話した。彼らはともに青函フェリーで北海道へ渡り、会社員のTさんは飛行機で帰路に着く。大学生のK君は出会った人々に千羽鶴を折ってもらい、ひめゆりの塔に届けるまで旅行を続けるという。頼まれたので俺も一羽の鶴を折った。テントの前で記念写真を撮り、車に向かって手を振る二人を撮らせてもらい、住所交換をして別れた。 従業員用出入口の場所を人に教えてもらい、高速道路の外へ出る。一般道までは結構な距離を歩くから頑張ってと励まされた。今回は軽登山靴を履いているから何キロでも難なく歩いていける。雨上がりの道に落ちている栗、浄水場の遺構、咲いている黄色い花、飼料の積ま
旅行中に部屋から何かを盗まれるより、部屋の鍵を落とすことのほうが怖いから、鍵をかけずに出発した。朝早くに出ようと思っていたのに豪雨と雷と眠気に阻まれ、昼過ぎにようやくアパートを出る。電車とバスを乗りついで東北自動車道の蓮田SAに着いたのは午後三時半だった。従業員用の出入口を通って一般道から高速道路に入ることは容易いし、べつに違法でもないけれど、不思議だなあと思う。七十リットルの大きなバックパックを背負っている旅行者など、普通は高速道路上で見かけることはない。俺はどこから来たんだろうか。 数日前に髪は短く切り揃えていたし、前日にユニクロで買ったばかりの真新しい安物のシャツも着ている。天気はいつ崩れてもおかしくないが当分は大丈夫そうだ。サービスエリアの出口に近い、休憩所から見えやすい場所に立つと、思いきって左手を挙げた。付近で休んでいた人々の視線を一気に集める。誇らしいような照れくさいような感
今日の虹と陸橋20090727 雨上がりに強い西日が差しているのだから虹が出ていないはずがないし、陸橋のてっぺんまで歩いていけば見えないはずがない、見えているものを撮れないはずもないが、あるいは虹など出ていないのかもしれないと不安になる。現に、車は速度を落とさずに行き交っている。 陸橋の上に立ちつくして南東の空に架かる虹を見続けた。うっとりして見とれてしまうほど美しい訳でもなく、涙を流すほど美しい訳でもなく、そもそも美しいのかどうか解らない。欄干から身を乗りだして写真を撮り続けていると、背後から女の声で「綺麗ですねー」と聴こえた。振り返れば道路の向こう側に、乳母車を押した若い母親がいる。綺麗ですねー、と叫び返した。二人のあいだを車がせわしく行き交い、また、空を見上げる。 二十分近くも陸橋の上から虹を見続けていた。乳母車を押した若い母親は坂道を下りていき、路線バスは唸りながら坂を上り、赤色灯
雨が降ると思い出すのは、那覇の安宿に引き籠もっていたときのこと。 二段ベッドの上段を一泊千円で借りてカーテンを閉め切り、サーターアンダギーなどを頬張りながら寝転がっていた。隣室には四十代と思われるおっさんが個室に長期滞在、というより住み着いていて、この人もまたテレビを見たり部屋に引き籠もったり、時々は共用の台所に立って料理など作ったりしながら、ほとんど宿のなかで過ごしていた。何をして生計を立てているのか判らない。なぜここに暮らしているのかを訊ねたいと思ったが、話しかけることさえできずに、目が合えば会釈する程度だった。 その宿に着くまではテント暮らしを長く続けていた僕は、台風が過ぎ去っても尚、宿を離れることができずに、一日中ベッドで眠り続けていた。近所のスーパーで大きなキャベツを買い、大雑把に刻んで炒め、ラーメンにのせて食らうような適当な食生活だった。面倒なときは食事さえ作らずに眠って遣り過
ノート 120080530 昨年の六月から七月にかけて付けていた日記に少し手を加えて、写真と一緒に今さら載せてみようと思う。自分が何を考えていたのか思い出したい。途中まではただの旅行記だ。 2007.6.28 志木―浦和―松戸―成田 110.6km 2007.6.29 Anchorage 着, 26 street hostel 泊 成田ではテントを張らず公園のベンチに寝転がっていたらほとんど眠れず、空港では自転車を積むのに別料金で百三十ドルと言われて係員と口論になり、シアトルまでの飛行機では韓国人の大学講師と喋っていてやはり眠れず(楽しかったけど)、乗り継いだ飛行機でも緊張して眠れなかった。ふらふらになってアンカレジ到着。 夕飯を買って宿に行くと、綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。この人がボーイフレンドと一緒にアルゼンチンから自転車で走ってきたこと、アラスカに着いてから子どもが生まれて、ホ
部屋と猫 20080823 NHKアーカイブス ターシャからの贈りもの を見た。普段はテレビを見ることなどあまりないのだが、朝の十時ごろに寝ぼけて電源を入れるとターシャ・テューダーが映っており、そのまま蒲団にくるまって八十分間の番組を見てしまった。今日は昼過ぎになっても気温が十月上旬並みの十八度しかなく、けれど白い空から雨粒が落ちる気配もない。夏のあいだは室温が四十度を超えて蒸し風呂のようだった僕の部屋にも、やっとのことで平穏が訪れた、としみじみ思う。 窓の外から猫の鳴き声が聴こえて、どこにいるのかと玄関の扉を開けると、扉のすぐそばに寝転んでいた猫が慌てて階段を駆け下りていった。どうせすぐに戻ってくるだろうと思い、プランターの土のうえにエサを置いた。三分ほど待って扉を開けてみると、エサは持ち去られていて、階段の下から猫がこちらを見上げている。 部屋とネットと俺と猫 を書いてから、猫と出会う
足りないもの #2 20081001 覚えたって大した意味もないのに数字を記憶するのが好きだ。クレジットカードの番号、家族の生年月日と生まれた時刻、液晶モニタが表示できる16777216色、以前はもっと言えた円周率3.14 1592 6535 8979 3238 4626 4338 3279 5028 8419 7619 3993 7510等々。自分の頭を試したい訳ではないけれど、視野に入ってくる情報を出来るかぎり留めておきたい、解っていたいとは思っていた。 俺が数字から、もしくは数学から離れてしまったのは、知ることにはキリがないと思ったからだ、と今にして考える。円周率はそもそも無理数だから終わりがないけれど、そういうことでもなくて、数学のごく初歩的なところでつまづいた。高校のときに見たテレビ番組で秋山仁が言っていた「0.999... は 1 と完全に等しい」ことが未だに理解できない。極限
配送料の話の続き 20080704 この一言で配送料はタダになる@ヨドバシカメラ - iGirl ヤマダ電機とid:asami81氏の違いを知りたい - はてな匿名ダイアリー ← 俺 ヨドバシの価値とサービスについて - iGirl 元の匿名記事にも書いたけれど、値引き要求が「脅迫的な方法」を取るかどうかは重要じゃないんです。 ヤマダ電機は、決してタダ働きを強要していたのではない。優越的地位を利用して、あくまで「婉曲的に」労働者派遣を要請していた。結果として被る損害は同じだけれど、外から見ればメーカー側が自発的に派遣しているだけで、ヤマダは何も脅迫なんかしてないよ、ということになる。恫喝するような違法性がないから発覚しづらく、その分、悪質だった。 id:asami81さんが店頭において恫喝などしていないのは承知しています。プリントアウトしたのを見せただけで店員さんが「自発的に」送料無料にし
今日の増田 20080619 俺が「はてな匿名ダイアリー」(増田)を利用するのは、べつに匿名で何か言いたいとかではなくて、トンボロに書くよりもたくさんの人に見てもらえるから、という単純な理由によります。近藤淳也さんは早いところ増田を「はてラボ」から正式サービスに格上げしてくれないかなと思うのですが、収益上げるのが難しいんだろうな。月額五十ポイントくらいなら払うよ。 部屋とネットと俺と猫 引き籠もりの俺に「かっこいい」タグを付けてくれた人、ありがとう。現状はあまりかっこよくないのですが、十年後、二十年後には格好よくなっていたいです。
当サイトでは、30代、40代と、人生の節目に向けての転職をしたい方を中心にした、転職を上手くいくための情報を発信しています。 当サイトが推薦する、新しい就職先の選択の仕方は、 最初の段階の場合は、エージェントの良し悪しが把握していない為に、複数登録する 転職をしたい際には、1社ではなく、少なくとも3社位にして就職活動を開始する 推薦する転職エージェントはこのWEBページの下に掲載しています。何のために数多く転職エージェントの面談に行くのか? といえば1つの転職エージェントのみで就職活動した場合、理想的な助言を貰っているのか、また、紹介が理想的なのかが分からないからです。色々と比較検討を行う事で、条件の優劣の選択がつきます。 転職エージェントは税理士とか病院施設のお医者さんと同様に、良いアドバイザーもいればそうではないアドバイザーもいると考えられます。最初の転職エージェントが、たまたま無能な
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