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foujita2003.hatenablog.com
昼下がり、神保町を切り上げて半蔵門線に乗りこみ、表参道で銀座線に乗り換えて、渋谷で下車。丸ノ内線の四ツ谷駅の地上に出る瞬間や、同じく丸ノ内線の御茶ノ水駅に入る直前に聖橋のふもとの神田川の脇に出る瞬間とおなじように、終点の渋谷駅に到着する直前の銀座線がトンネルから高架に出る瞬間もいつも胸躍る。 荻原二郎《1939年8月9日 東京高速鉄道渋谷駅》、荻原二郎著『昭和10年東京郊外電車ハイキング(下)』RM LIBRARY 71(ネコ・パブリッシング、2005年7月)より。 ゾロゾロと人びとが改札の外へと吐き出されていったあとの閑散としたホームで、表参道方面の地下線路をのぞむ。右は普請中の東急文化会館の跡地で、左が宮益坂。青山の高台は地下線路で、銀座線の終点・渋谷駅は山手線の上の高架に位置する。すなわち、まっすぐ進むとおのずと線路のさきは地下線路となり、渋谷は文字どおりに「谷」だということを実感す
正午浅草。銀座線を田原町で下車して階段をのぼって、焼きそばの匂いがプーンとただよってくると、浅草に来たなア! と、いつもふつふつと嬉しくなる。このごろは浅草に来るのは飲酒目当てで日没時ばかりだった、昼の浅草はひさしぶりだなあと地上に出て、さらにふつふつと嬉しい。と、浅草の地に降り立つといつもそれだけで気持ちがふわふわ。テクテクと吾妻橋に向かって歩く途上、昼食にオムライスを食べて、ひと休み。無事に腹ごしらえが済んだところで、浅草松屋の前に立ち、イソイソと東武電車の改札を目指してゆく。もうすぐ、東武電車で隅田川の鉄橋を渡るあの瞬間がやってくると思うと、気が急いて仕方がないのだった。 市川崑『青春怪談』(昭和30年4月封切・日活)より。松屋前の地下鉄の出口のあたりに来ると、いつもなんとはなしにこの映画を思い出している。浅草松屋前の階段をあがって、北原三枝とその父・山村聰が地上に出ると、吾妻橋の手
紅野敏郎『「學鐙」を読む』雄松堂出版(asin:4841905162)を繰って、この一週間は、丸善のことばかり考えていた。と、丸善にまつわるあれこれに思いを馳せているうちにふと思い出したのが、東京都美術館の《1920年代・日本展》図録(1988年刊)に載っていた、「MAVO」の「O」の大浦周蔵による「丸善インキ」の広告塔のこと。《1920年代・日本展》図録はずいぶん前から図書館でちょくちょく閲覧していたものだった。この充実度、部屋の本棚に架蔵したいなあと思いつつも、まあ図書館にゆけばいつだって閲覧は可能だし、と、古書展などで見かけるたびになんとなく機会を逸してしまっていた。しかーし、頭のなかが大浦周蔵の丸善インキ広告塔でいっぱいになってしまった今こそ、《1920年代・日本展》図録を購入する絶好のチャンスのような気がする。 ……というようなことを、昨夜さる席でつぶやいたところ、小宮山書店にて
昭和8(1933)年師走の東京の空の下。 12月11日に京成電車の日暮里・上野間が開通。日暮里から2つの地下駅、寛永寺坂駅と博物館動物園駅を経て、寺田寅彦記すところの《上野公園西郷銅像の踏んばった脚の下あたりの地下》*1の上野公園駅が京成電車の終点となった。一方、東京地下鉄道は京橋駅(昭和7年12月24日開通)から次はいよいよ銀座への開通を目指して、地下工事に邁進しているところ(銀座駅の開通は翌昭和9年3月3日)。12月14日には築地の東京市中央卸売市場の完成式、その十日後、皇太子が誕生して祝祭ムードにあふれるなか、数寄屋橋では日劇の開場式が挙行、隣りの東京朝日新聞社の建物には「奉祝」イルミネーションが輝き、29日には皇太子の御命名式を祝う花電車が銀座の町をネオンを輝かせながら走っていた。有楽町ではいよいよ東京宝塚劇場が開場しようとしているところ。新国劇の上演台本を原作とする内田吐夢監督の
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