■「鉄道を拒否した町-行徳」と言うけれど・・・ 江戸時代に、江戸と水路で直結され、房総への玄関口として大いに栄えた行徳が、明治以降衰退し、1969年(昭和44年)に営団地下鉄東西線が開通するまでさびれていた、大きな原因の一つが、鉄道-今のJR総武線-が通らなかったためだと言われています。 明治時代以降、鉄道が各地に延びていったとき、それまで宿場町として栄えたようなところは、鉄道によって既得権が侵されるとして、鉄道敷設に反対した結果、かえってさびれていったとされ、行徳もその典型的な一例で、総武線は行徳を避けて通ってしまったというのです。 ちなみに総武線(総武鉄道)の開通は明治27年(1894年)です。 でも、この話を聞くと、ちょっと変に感じるところがあります。 行徳が反対したからと言って、総武線が小岩-市川を通っているのはちょっと迂回しすぎではないかと思えるのです。 次の地図を見てみましょう