以下は、ギー・ドゥボールと双璧をなすシチュアシオニストの理論的支柱だった思想家、ラウル・ヴァネーゲムによる論考「コロナウイルス」の翻訳である。訳出はあたっては、リード文もあわせ『ランディ・マタン』に掲載された仏語原文(https://lundi.am/Coronavirus-Raoul-Vaneigem)を底本とした。なお[ ]内は、邦訳のさいに付した訳注である。 じっさいにあからさまな生権力がふるわれているフランスや南欧の状況にたいするここでの分析を、うわべだけの対応の影で進行する棄民化のなかで、むしろ漠然とより強固な権力が待望されている感さえある日本の現状にそのまま対応させるとしたら、いささか早計になるだろう。だがいずれにせよ、経済的な合理化=データ化によってもたらされた、ただ「生き延びる」という惨状を脱し、日常生活の革命やフーリエ主義的な評議会主義=コミューン主義のほうへという、六〇