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奈良時代、平安時代と婚姻関係によって天皇家とのつながりを強めて権力を握り、貴族のトップに君臨した藤原氏。平安時代半ばの藤原道長・頼通親子の時代にその栄華は頂点に達します。 ところが、学校の歴史の授業では藤原頼通以降、藤原氏の名前を聞くことがほとんどなくなり、「あれ?そういえば藤原氏ってどうなっちゃったの?」状態ですよね。 じつは藤原氏は現代までずっと続いており、子孫の方もご健在です。 今回は、道長以降の藤原氏についてご紹介したいと思います。 藤原道長の子孫について。藤原氏ってどうなったの? 道長の代で栄華を極めた藤原氏でしたが、その繁栄は長くは続きませんでした。 平安時代の一族内の政争を経て、摂政・関白は藤原氏の中でも「藤原北家(ほっけ)」と呼ばれる家が代々担うことが定着していきます。道長・頼通も藤原北家の嫡流でした。 藤原道長の外孫に当たる天皇は後一条・後朱雀・後冷泉天皇の3人。息子の頼
戦国時代の後北条氏は、関東地方で100年ほど繁栄していた有力な一族です。 家紋は三角形を3つ使っている三つ鱗(ミツウロコ)ですが、その由来はどこにあるのでしょうか。 使用していた武将についても気になりますね。 また、この家紋は任天堂のゲーム「ゼルダの伝説」に登場するトライフォースとの関連が指摘されているのですが、実情はどうなのでしょうか。 今回は、北条家の家紋「三つ鱗」を掘り下げていきたいと思います。 北条家の家紋「三つ鱗(ミツウロコ)」とは? まずは北条家の家紋「三つ鱗(ミツウロコ)」について、色々な角度から掘り下げていきたいと思います。 「三つ鱗」が使用された時期:2代目北条氏綱 戦国時代の北条家が「三つ鱗」を家紋とするようになったのは、初代早雲を継いだ2代目氏綱の代からだそうです。 2代目の頃から伊勢の代わりに北条の苗字を使用することになりました。 北条家は関東統一を目指していたこと
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