サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
アメリカ大統領選
ikapon.exblog.jp
僕はよく[TRPG論考]なんてタグをつけて、なんだか偉そうに語っているけど、そこに本来的な妥当性なんて何もないんだよ、っていうかそんなの分かっててやってるんだよほんとだよ信じてよ、というお話。 さて、「論考」などと銘打っていても、基本的に僕のやっていることは、自分の感じた印象を起点に議論を始めて、他者に何らかの印象を与えるところに議論を終える論考だ。 僕の書いたことに対して「なるほどね、それは確かにそうかも」とか思うならば、多分大前提として、起点とした僕の印象に対する「共感」が読み手にあるんだと思う。 例えば、この段階的ダメージの喪失という記事。 「当初のD&Dにおいて、ヒットポイントとは「段階的ダメージ」を表すものであった。」なんて語りだしているが、そうであったということに根拠なんて何もない。 ゲイリーガイギャックスにインタビューして聞き出したわけでもなければ、D&Dのルールブックにその
黄色い潜水艦でバルバロステイルズ、(実は持っていなかった)ハンターズムーン、エンドブレイカーの三冊を買ってきました。 で、エンドブレイカーのルールブックをぱらぱらと眺めていたのですが……。 > エンドブレイカーとは「終焉を終焉させる者」の意。 > 他人の「瞳」を見ることで、数週間後に起こるであろう、相手の“エンディング”を見る能力を持っています。すべてのエンドブレイカーは例外なく、「不幸なエンディングを叩き潰したい」という強い意志を持っています。 ……やっべ、戦慄した。 完璧じゃん。 この発想がどうして今まで出てこなかったんだろうってぐらい完璧じゃん。 じゃんじゃん。 GMが思いついた悲劇的な、救いのない、予定調和の、美しい物語。 そんな予定調和の悲劇を「見せられ」たら、そりゃあ、そいつをぶち壊してやりたいと思うじゃないか! マッチ売りの少女は、悲劇でなければならなかった。 その悲劇の物語
ドミニオン、プレイはもう5回目ぐらいかな? これまで、いまいちこのゲームの面白さが分からなかったのだけど、遂に、面白くなってきた。 このドミニオンもまた、「僕が一番ドミニオンをうまく扱えるんだ」という、能力証明への挑戦を楽しむ遊びだ(と僕は思う)。 したがって、「僕が一番ドミニオンをうまく扱えるなんて、そんなことがあるわけがない」と思っているうちは、楽しめないゲームなんじゃないかと思う。 つまり自分の心が「初心者であるつもり」のうちは、楽しみ方が分からないのも道理、ということだ。 それがあるとき覚醒を得る。 今の僕は、ドミニオンというゲームの全体像を掌握し、神が手を振るうが如く、自らの領土を思い描くとおりにデザインすることができる。 以前までの、おどおどとした貧弱な坊やは、もういない。 これまでずっと、自分よりも上の存在として見てきた友人たちとともに卓を囲み──僕は確信する。 彼らも中々や
昨日、友人たちと話していて納得がいかなかったので、自分の考えている問題意識を整理してみよう。 例えばソードワールド2.0でGMが、扉に掛かっている鍵を解除するための「解除判定」の目標値を決めようとする際、「この扉は一般的な家屋の扉だから、目標値は14にしよう」というような決め方をすることは、まずない。 実際のところは、「スカウト技能をもったキャラのスカウト技能レベルが2で器用度ボーナスは3だから、基準値は5で、2d6で7以上を出したら成功するぐらいがいいかな、じゃあ目標値は12にしよう」といったように、目標値をキャラクターの能力から逆算するGMが、ほとんどだと思う。 すると、どうなるか。 スカウトのプレイヤーが、スカウトの技能レベルを1にしても2にしても3にしても、結局のところ「7以上で成功する値」にGMは目標値をセッティングしてしまうことになる。 これでは、スカウト技能のレベルを上げて解
ちょっと世界樹SRSのクラス補正の1Lvあたりの平均値とってみた。 平均……各クラスのクラス補正を戦闘値ごとに(30Lv値-1Lv値)÷29して1Lvごとの平均値を算出、その値の9クラス平均値 1Lv目……1Lv目取得時のクラス補正の9クラス平均値 平均 1Lv目 命中 0.65 1.11 回避 0.58 0.55 魔導 0.61 0.67 抗魔 0.63 0.33 行動 0.99 1.11 耐久 2.52 2.44 精神 2.62 2.00 攻撃 0.90 0.77 考察) ・1Lv目取得とその後1Lvごとの成長値はトータル的に見てほぼ同程度の値に設定してある。 ・命中、回避、魔導、抗魔は16Lv成長で+10 ・行動と攻撃は16Lv成長で+15 ・耐久と精神は16Lv成長で+40 ……とか何とか適当ぶっこいてみた。 でもこの補正値表作るの、ソードワールドのレーティング表作るのと同じぐらい
シルバーレインRPGによって促進されるロールプレイ(しつこいようだが馬場論で言うキャラクタープレイね)はスパロボ的であるなぁと思った話。 つまり、「いけ、フィンファンネル!」とか、「あたるわけないでしょ、バァカ」とか、「うおぉぉおお、大雪山おろーし!」とか、そういうのを言うゲームであって、TRPG的なロールプレイとはまた違うものなのかもしれんなと。 ……うーん、必殺技名が入ってこないのは、このゲームの欠陥なんじゃないだろうか。 まあ、さておき。 思えば僕も、TRPGを始めたての頃に、そのような台詞を言うことに憧れたことがあった。 スレイヤーズを見ては「リナのファイアボールの言い方が甘いなぁ。もっとこう、溜めがほしいんだよな」などと違いの分かる人ぶっていたこともあった。 「サラマンダーの脚、イフリートの吐息……」なんて別のファイアボールの詠唱に心を動かされたこともあった。 セーラームーンの皆
シルバーレインRPGをやりました。 いろいろとよくできたゲームだと思うのですが、ロールプレイ(馬場論で言うところのキャラクタープレイ)が苦手なプレイヤーをサポートするシステムという狙いがあるとすれば、ロールプレイが苦手なプレイヤーの立場から言わせてもらうと、うまく機能していないかなという感想でした。 以下、ですます調を消して、と…… ------------------------------------ そもそも、(ロールプレイ支援システムをロールプレイが苦手なプレイヤーのためのサポートツールであるとした場合、その)最大の問題点は、そのシステムを作っているデザイナーがたいてい、「ロールプレイが好きで好きでたまらないロールプレイ優等人種」であることにあると思う。 ロールプレイが苦手なプレイヤーをサポートするためのツールなんてものは、ロールプレイが苦手な人種が作らないと、うまくいくわけがない
まあ、タイトルが喋りたいことの全てであるわけですが。 プレイヤーは、使用頻度の高い要素にリソースを割り振る。 当たり前だ。1セッションに10回以上出番のある〈槍〉技能を+1するのと、せいぜい5セッションに1回ぐらいしか出番のない〈跳躍〉技能を+1するのとでは、前者を選ぶに決まっている。 本来、両者の取得コストは50倍ぐらい違わなければならないはずなのである。ところが実際には碌な差はない。だったらプレイヤーは〈槍〉技能を選ぶ。実に合理的な選択だ。 ところがこの合理的な選択を「パワープレイ」と罵る人々が……まあ、最近はさほど見なくなったけれど。 ちなみに、使用頻度が高くても役に立つと感じられなければ、やはり取得対象にはなりにくい。 例えば高レベルのアリアンロッドで中途半端に回避を伸ばすプレイヤーは、素人かゲーム音痴のどちらかだ。 だから重要なのは使用頻度であり、それがどれぐらい役に立つか、なの
運によって結果が大きく左右されるタイプのゲームを、「運ゲー」……と呼ぶのは嫌なので、ここでは「ギャンブル性の高いゲーム」と呼ぶ。 僕の知っているTRPGでは、旧D&D、ガンドッグ、ルーンクエストなどがそれに該当すると思う。 ソードワールド2.0なんかも、最近のTRPGにしては、比較的ギャンブル性が高いほうだと思う。 まあ、平たく言えばキャラクターが死にやすいゲームだ。 死亡以外の要因でキャラロストがわりと頻繁に発生するゲームもある。 僕の経験したことのあるTRPGでは、ブレイドオブアルカナやダブルクロスなどがそれにあたる。 これらもギャンブル性の高いゲームと言っていいだろう。 さて、キャラクタープレイヤーとしては大変不謹慎ではあるのだが、「思い入れのあるキャラクター」というのは、ある意味「最高価値のチップ」である。 これを賭けて勝負をすることは、大変にスリリングな、極上のギャンブルとなりう
馬場ライブラリのゲーム性とパズル性との違いについてのコラムを読み返してみた。 『“ハイパーロボット”とパズルゲームの楽しみ』 基本的に僕は馬場ライブラリはあまり好きなほうではないのだけど、久々に読み直してみたら、今の自分の考えにぴしゃりと嵌った。 珍しいなー。 ただ、「正解(最適手)探し」は「ゲームでなくパズルである」と断言されているのには、いまだに首を捻る。 いや、言いたいことは分かるし、妥当だとも思う。 でも僕はそれ(最適手探しの遊び)をこれまでゲームだと思って触れてきたし、僕らの世代はわりとみんなそうなんじゃないだろうか? それをいきなり大上段に「それはゲームではない」と言われても、「いや、それらは確かに性質は違うけれど、どちらもゲームと呼んで差し支えないものなんじゃないか?」と反論したくなる自分がいる。 けど思い直す。 それらは確かに性質を異にするもので、やはり別の呼び方が与えられ
紙魚砂日記の記事を読んで思ったことなど。 もし本人がこんなところを見るようなことがあったら……まあ、有名税だと思ってご容赦ください(笑) だって仲間内の1人が頻繁に引用するんだもの。引用されたら見てしまうし、見たら考えてしまうし、考えたら表に出したくなる。 卓上ゲーム板用語の「当事者性」 これは紙魚砂さんの考えている「当事者性」とは、さっぱり別の問題を説明したものだと思う。 ゆえに、FEAR社の作品が「当事者性」という言葉をこちらの意味で用いているならば、紙魚砂さんの考えている「当事者性」と齟齬が生じるのも当たり前で…… つまり、TRPG業界において「当事者性」という言葉は、2通りの意味(用法)があると考えるのが妥当かと。 用法1は、この用語辞典に載っている定義。 事件の解決にNPCがでしゃばりすぎるべからず。 逆にNPC(国などの大きな組織、世界的な英雄など)がでしゃばらないと解決できな
秋葉の潜水艦で、スキルガイドとアルケミストワークス買ってくるついでに、横に置いてあったくいっくすたーとを買ってきました。 うん、これは良い漫画だ。 ネタがFEARゲーに偏ってる(というかFEARゲー限定。まあ掲載誌がゲーマーズフィールドなので当然といえば当然)ので、FEAR系に素養のない人には楽しさが若干ダウンするかもしれないですが、それ差っ引いてもTRPGプレイヤーなら幸せになれる漫画です。 僕が共感を覚えるのはサチピョンであることは言うまでもなかろうよ! まあ僕はダイス目が悪い人がいるなんて、そんな非科学的なことはミジンコたりとも信じていませんがね。そんなオカルト信じません。 しかしこの漫画読んでると、プレイヤーの能力のタイプって基本的には先天的なものなんだろうなぁとしみじみと思う。 サチピョンなんかはきっと何十年TRPGを続けてもモモやフミみたいな特性や能力を身に付けることはないんだ
他のキャラクターにちょっかいを出すキャラ → 攻めキャラ 他のキャラクターから弄られることで輝くキャラ → 受けキャラ と、このように僕が勝手に呼んでいるのだが。 個人的な経験では、攻めキャラを使ったほうが、キャラクターロールプレイがうまく回ることが多い気がする。 (誰も興味がないマイキャラ語りをすれば、クラリーネやリノアがそうだし、矛盾するようだがシトリンも攻めの要素を意識的に付加したキャラだ) プレイヤーの性質かもしれないが、100%受けキャラというのは多くても、100%攻めキャラというのはないからかもしれない。 100%受けキャラ同士というのは、対峙しても、相互無干渉で終わってしまう。 ----------------------------------- 例によっていきなりアニメとかに振るが、泉こなたと柊かがみはともに攻めの要素を持ったキャラである(と思う) (そして同時に受けの要
TRPGのシナリオ作成について書いてある記事を見ると、かなりの頻度で「5W1H」という言葉が出てくる。 TRPGのシナリオ作成においては、枝葉の演出にこだわるよりも、各NPCの行動指針をしっかり決めておけというのだ。 これはおそらく正しい。 ストーリーラインをきっちり決めておくタイプのシナリオよりも、ずっとセッションハンドリングが容易くなる。 ストーリーラインがきっちり決められているということは、一本道シナリオであるというのとほぼ同義なのだから、それはそうに決まっている。 …のだが。 個人的には、これではどうにも物足りない。 僕がシナリオを作る際に、ゲーム的数字的なもの以外で何かをやりたいと思ったら、それはストーリーを作ることしかないのだ。 これを封じられては、シナリオを作る楽しみが半減してしまう。 閑話休題。 よくTRPGは「参加者全員で物語を作る遊び」と言われるのだが、個人的にはどうも
麻雀がうちたくなる。 というかあの綺麗な雀牌を見てると、麻雀がやりたくなるんよね。 いや違うよ二次元の可愛い女の子と麻雀でにゃんにゃんしたいとかそんなのはちょっとだけしか。 ゲームにおいてトークンが担う役割ってのは実に目立たない。 実質主義者であればあるほど、その価値を軽視する。 しかし咲を見ていて、麻雀に占める雀牌の大事さを、そしてゲームにおけるトークンの大事さを感じてみたりした。 あれがカード麻雀だったら全然しょんぼりだよね。 牌の質感とか、卓に置いたときの音とか、そういうのが興奮を何倍にも倍増しているのだろう、とか思う──って何を今更って感じだけど。 2倍じゃ効かないね。3倍とか4倍とか、もっとかもしれない。 そりゃあやたらと高価な雀牌にも需要が出ようってものだよ。 つまり何が言いたいかっていうと。 僕らはもっとこう、ダイスとかの小物にお金をかけてもいいのかもしれない。 メタルフィギ
アニメイトでひょっと見つけたこいつ。SNEの完全新作ファンタジーらしいです。 イラストを見て、雰囲気を見て、ああこの手のはいいやと棚に戻そうと思ったのですが…。 「〈竜脈使い〉が操る竜の力──〈竜脈〉はストックしておけるダイスの出目として表される。」 はい、即買い決定。 そうかそうか、その手の動きはトランプの専売特許かと思っていたが、ダイスでそれをするという手があったか! もうこのルールを発想して採用したことに敬意を表して、中身の良し悪しの知ったこっちゃねぇ3800円くれてやるわ!と買ってまいりました。 以下、10分で適当に読んで書くルールサマリ。 ・判定は2d6+基準値の上方ロール。要するにいつもの。 ・ダメージ算出はちょっと特殊。[命中判定で使用したダイス2個のうちどちらか高いほうの出目]×[ランク]+[追加ダメージ]-[敵の装甲値]。[ランク]は通常1。スキルで攻撃した場合4とかにな
・原則、同じ1点であれば、ダメージよりも命中力のほうが、防護点よりも回避力のほうが強い。なので蹴りより拳、剣よりメイス、ラウンドシールドよりバックラー、チェインメイルよりスケイルアーマー。 ・火力型魔法使いは初期とにかく涙目。ボス戦までは頑張らずにMPを温存すること。6~7レベルあたりから世界が変わる。 ・火力のグラップラー。回避のフェンサー。いまいちぱっとしないファイターは後半になると戦闘特技で優遇される。 ・ファイターは基本的にはメイスが強いが、打撃武器が有効でない敵のために刃のついた武器も補助武器として用意しておくのがベスト。打撃限定のグラップラーに対するファイターの優位なので活用すべき。 ・《二刀流》が反則過ぎる。5レベル以降、基本的には二刀流>盾=両手武器。 ・ファイターでも防護点よりは回避力を重視すべき。金属鎧あまり要らない子。回避力の低い防具を装備したいなら、盾を装備し《防具
タイトルのようなことは不可能だとずっと思っていたが、ふと思いついた。 特定の条件下では、可能であるかもしれない。 まあ、世迷言の1つとして聞いてみてくださいよ。 まずPLの目的は、戦闘に勝利することである(とする)。 次にGMの目的は、PCたちを「苦戦させた上で」戦闘に勝利させることである(とする)。 このとき、両者の目的が合致しない場合がある。 PLはできる限り確実な勝ちを求める。すなわち、できるだけ楽勝しようと考える。 手を抜くとPCが楽勝してしまいそうなゲームバランスのとき、GMは本気で勝ちに行こうとするのである。 (ただし、GMの勝利条件は「PCを苦戦させること」であり「PCを負かすこと」ではない) ここから導き出される嘘っぽい結論。 『TRPGの理想的な戦闘バランスとは、PL側の戦術と運がGMのそれを上回れば「楽勝」でき、GMの戦術と運がPL側のそれを上回れば「苦戦」するようなバ
なんとなく数字を見ると面白そうなので並べてみた。 TRPG(4145) TRPG / テーブルトークRPG(2813) ソードワールド(1885) アリアンロッドRPG(1275) ダブルクロス(1186) Dungeons & Dragons(1026) ソードワールド2.0(899) トーキョーN◎VA(823) S=F、NW(799) D&Dサード(598) アルシャード・ガイア(534) ブレイドオブアルカナ(459) カオスフレア(434) クトゥルフ神話TRPG(404) デモンパラサイト (365) Aの魔法陣(341) SHADOWRUN/シャドウラン(336) アルシャードff(301) 以下、300人未満。多分。 で。 やはりソードワールド強い。まあ通過地点としてだろうけども。 次いでアリアンロッドまでは予想通り。と言いつつちょっと嬉しい。 第3位にダブルクロスが来たの
まだざっと眺めただけなんですが、これ凄いです。 マリーのアトリエシリーズみたいなのをTRPG化しようって発想までは誰でも思いつくんですが、それをここまでしっかり作られると脱帽するしかないというか。 アトリエシリーズとか、フォーチュンクエストシリーズみたいなゆるい感じのファンタジーが好きな人たちを引っ張り込んで、かつ定着させるだけの力を秘めているような… 現役で旧版ソードワールドに定着している人たちとかにすごく合いそう。 何が凄いって、シナリオスタイルが今の主流のTRPGの基本ロジックに乗っかっていない作品であること。 サンプルシナリオを見ると、まず目的が「ジャムを作る」。 フィールドに散策しに行って、材料を取ってくる。そこでバトル発生。 そうして採ってきた材料を「調合」して、依頼者に渡せばミッション終了とか、そういう流れ。 サンプルシナリオは実に、本文2ページ&シナリオデータ2ページで終了
ダイスを振った後、あるいは何らかの判定をした後などに、その結果に応じて後付けで絶対成功を起こすことのできる使用回数限定リソースというのは、面白いゲーム要素だと思う。 TRPGにおける例としては、トーキョーN◎VAの情報収集判定での報酬点使用や、ソードワールド2.0の(目標値が確定&開示されている判定に対する)指輪や腕輪破壊や、【剣の加護/運命変転】などがあげられる。 ちなみに、僕がこういったゲームリソースを面白いなぁと感じた最初は、『ぼくここ』の前の、一心不乱ライブRPGで使用していたアイテムカードである(ネタが局地的すぎます) そして、自作のアリアンロッド怪人RPGにおいて導入した「戦闘員カード」のルールは、この発想に基づいている(同上) 判定の結果に応じて、成功化するのに必要なリソースの量が異なったり、そもそもそのリソースを使用して成功できる状況が限定されたりするところが面白い。コステ
幾度となく同じような話をしている気がするが、まあ、思いついてしまったら書きたくなるもの。 僕らは、特定のコンシューマのRPGに対して「ゲーム性が高い」という評価を下したりする。 しかし、例えば馬場秀和氏は、コンピュータゲームの多くは「ゲーム」でなく「パズル」であると評価する。 つまり、氏の言う「ゲーム」の定義は、僕らの考える「ゲーム」と少しずれている、ということだ。 では、僕らの言う「ゲーム性が高い」とはどういうことなのだろうか? 1つ、結論を出してみた。 プレイヤーがどのような戦術を取ろうが、ほぼ自動的に「勝たされる」ゲームは、「ゲーム性が低い」。 逆に、プレイヤーが「負ける」可能性が十分にある(そしてもちろん、勝つ可能性も十分にある)ゲームは、「ゲーム性が高い」。 どうだろう? これはもちろんゲームの「難易度」と直結する話でもあるのだが、それ以前にTRPGであれば、GMの恣意がどれだけ
冬発表予定のリプレイの書き起こしをしていて、ふと、こんな発言を耳にした。 「シナリオってのは書くものじゃなくて、(自分の頭を指して)ここに入れておくものだろう」 そのプレイヤーはTRPGのセッション経験豊富で、プレイヤーとしてもGMとしてもまあ熟練者と言って間違いない。よって、少なくとも一つの真理ではあるんだろう。 (まあマイミクなのでここを見る可能性は高い。けど本人そんなこと言ったの覚えてない気はするw) 思い起こせば僕も昔はシナリオなんてほとんど「書く」ことはしなかった。 大学の授業中にシナリオを考え、書くのはせいぜい敵のデータとメモ書き程度のシナリオの断片だとか。 あとは全部頭の中に入れていて、ない部分はセッション中にその場ででっち上げていた。 (まあアドリブ能力が低いので難儀はしていたが……その節はプレイヤーの皆様、ご迷惑をおかけしました) それがいつからか、「きちんと書く」ように
ゲームシナリオ作成講座などというサイトの、「第4回:ゲームシステムを規定」するなどという記事を見て、シナリオ作成とはまったく関係ないことを考えた。 ここの「ソードワールドの場合」のところに、以下のような記述がある。 このゲームで(中略)魔法を使えない、もしくは魔法しか使えないキャラクター(中略)は、プレイヤーが思う通りの活躍が出来ない。 賢明なプレイヤーは、このゲームでそういったキャラクターをやるべきではないだろう。 パッと見、ちょいと的外れなことを言ってる気がするなぁと思ったけど、もうひとつ、逆に思ったことがある。 うん、確かに、武器と魔法を両方使いこなすキャラクターのほうが、プレイングは楽しそうだなと。 各PCについて、セッション中に取れる行動の実質的な選択肢が増え、戦術性が増すことだろう。 (ただし「役割分担」の要素は弱まるかもしれない。GMがその点を重視したい場合、この議論は適切で
というわけで教室に入ってくるシーンからリリリテイク。 ……ふむ、このキャラは絶対自分から自己紹介とかしないな。 「じゃあ教壇の横に立って、教室中を睨みつけます。……嘘です。目つきが悪いので、普通に前を見ているだけで睨んでいるように見えるだけです」 こんなところか。 そうすると、楠森七緒の姿が目に入ると。 「じゃあ今度は七緒を睨みます」 おい。 そして回想シーンへ。 七緒は隼人に嬉しそうにカメラを見せる。 「興味ねぇ」 「わ、ひどいよハヤトくん」 調子に乗ってNPCまで動かし始めました。 なんか、だよもん星人ぽいです。 「だってそりゃお前のだろ。俺がどう思っても関係ねぇだろ」 「それはそうだけど……ハヤトくんが喜んでくれると私も嬉しいんだよ」 「知るか」 「はぅー、ハヤトくんがいじめっ子だよー(泣)」 なるほど(手ぽむ) むしろNPCまで動かしたほうがPC1プレイするのが楽なんだ(酷い) そ
今日、ルーンクエストを遊ぶ夢を見た。 葉山さん(大学メンバーしか分からん)とか出てきた。 なんかやたら陽気で短い英語の歌とか歌った。 まあ葉山さんとか英語の歌とかは全然関係ないんだけど、目を覚ましてはたと気付いてしまった。 今まで一所懸命に、色々と解釈をしなおして、その真実を誤魔化してきたけど、もう言い訳ができないぐらいに分かってしまった……気がする。 俺がドキドキを感じるゲームって、ダイス目に殺されるゲームなんだ。 D&D、ルーンクエスト、シャドウラン、一歩下がってガンドッグ、三歩下がってソードワールド。 自分に落ち度がなければ死なないのなら、それは良くできたゲームだ。 そいつはゲームだ。 冒険者の人生じゃない。 ノーマルソードのダメージ、1~8が等確率で出るのは良くない……そう考えていた時期が僕にもありました。 でも、今なら思う──だからこそのD&D。 そんな環境下でHPが5とか7とか
前に紹介した3ToheiLogさんの漫画の基本快楽についての試論(2)と、OnePieceの人間関係(1) OnePieceとNANAを読んで思ったことがある。 ソードワールドの秋田みやびリプレイは「らき☆すた」モデル。 (この「愛のある擬似攻撃」という話を読んで僕が頭に浮かべていたのが、あずまんがではなくむしろこなたとかがみんの関係だったので、敢えてこう呼ばせていただく) もちろんソードワールドなんで一応外敵らしきものはいるけど、秋田リプレイを面白いものにしているものの正体は、外敵との闘争ではなく、パーティ内での絶妙な微笑ましい毒舌の飛ばし合いだと思う。 逆に、同じソードワールドでも、清松リプレイは「劇場版ドラえもん」あるいは「OnePiece」モデル。 外敵との闘争に主眼が置かれ、そこに十分なストレスを生じ、解決によりカタルシスを得るタイプ。 ……まあ、こっちは対比として置きたかっただ
怖えぇー! 「コスティキャンのゲーム論」で検索かけたら1ページ目にこのブログ出てくるとかマジやめてほしい(泣) 「深淵回廊」で上のほうに出てくるのはもういいから。 ほかは本当やめてくださいお願いします心臓に悪いです。 基本、「昨日書いたことは若気の至り」みたいなことばっかり書いてるんだから。 ……いい加減、どこか別のブログに変えたほうがいいんだろか。 あ、全然関係ないけど、レスくれてる方々ありがとうっす。 何かレスしないと悪いかなぁという気もしながら、でも書き加えたいことが特にないと書かなかったりする筆不精ですいません。 本題。 前にも軽く書いたことあったかなーという気もするんですが。 コスティキャンのゲーム論の中で、「視点の混乱」ってことが書かれています。 「感情移入」のところの下のほうですね。 僕はこれに大きな共感を覚えました。 典型的なのが、FEARさんのゲームとかに多い「メタ思考」
ちょっとうろ覚えなんだけどさ、カオスフレアとかで、素敵な台詞を吐いたプレイヤーにカード渡すじゃない? アレをさ、お菓子でやったらどうかなって思うんだ! カッコイイ台詞吐くたびに餌付けされんのw 面白くね?www ゲーム的効果? そんなものねぇよw もちろんアリアンロッドとかでも導入可能だぜ!? 正確には、思いついたというより、それに近い記述を見つけただけだったりはするが。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Stray thoughts』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く