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中東情勢
kagawa100.hatenadiary.org
2003年、アメリカはイラク戦争を「衝撃と畏怖」と命名した。1996年にアメリカで発行された同名の軍事理論の研究書名に由来するのだそうだ。戦争をいかに短期間で終結させるかを研究した内容で「核兵器を使用せずに、広島と長崎への原爆投下が日本人に与えたのと同等の衝撃を敵に与えれば、戦意を奪い」早期に戦争を終結させることができる、などと論じられているという。 アメリカはまさにイラクはおろか全世界を「畏怖」させたかったに違いない。58年前、日本は広島への一発でアメリカに「畏怖」してしまった。ポツダム宣言受諾による「無条件降伏」である。 そのアメリカの畏怖作戦に服さなかったただ一人の日本人がいた。賀川豊彦である。国家存続のためにあらゆる屈辱を飲み込む覚悟を決めた日本で、厚木飛行場に降り立ったばかりのマッカーサーに敢然と意見したのだから普通でない。この賀川の思いを新聞の一面をつぶして提供した当時の読売新
賀川豊彦の自伝小説『石の枕を立てて』をkindleshopにアップしました。『死線を越えて』三部作の続編です。 Christian Todayで「社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯」の連載が始まっています。 http://www.christiantoday.co.jp/articles/18469/20160107/kagawa-toyohiko-1.htm 社会的弱者の友として―賀川豊彦の生涯(1)暗い出生 2016年1月7日21時09分 執筆者 : 栗栖ひろみ 兵庫県神戸区兵庫島上町(ひょうごしまかみまち)にある「賀川回漕店」はたいそう繁盛していた。店主の賀川純一は商売上手で、郷里徳島県の産物「阿波藍(あわあい)」(染物の原料)の輸送で財産を築き上げ、裕福な暮らしをしていた。 しかしながら、彼は自分の家族のことはあまり顧みない男であり、正妻みちと別居し、芸者の萱生(かおう)かめとの
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