サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
kazoku.sub.jp
本願寺の現状 中外日報(平成21年10月17日、24日)門主の"お言葉" 「至宝」が分からぬ本願寺の「至宝展示」 「南無阿弥陀仏は、今すでに、ここに届いてくださっています。だから、みんなすでに助かっているのです。お念仏を称えておれば、死ねば、誰でも浄土へ往けるのです」 これが門主をはじめ、全国末寺の住職、布教使の長年にわたる、本願寺の説教です。 この幹に肉付けする枝葉として、自慢話やら笑い話、家族の内輪話、新聞の切り抜きをおりまぜるのが、お決まりのパターン。こんな話を聞かされてきた人たちが、 「だれでも死んだら極楽」 「死んだら仏」 の十劫安心に陥るのも当然でしょう。 その本願寺トップの大谷光真門主が、親鸞聖人750回忌法要でこう述べたといいます。 「阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきである南無阿弥陀仏が、私に届いたところが信心です」 これは、少なくとも言葉の上からは、大きな前進といえるでし
本願寺の現状 「親鸞聖人の教えのすべて」と銘打つ内容は? 「平生業成」〜平生の救いは教え勧められているのか?〜 次に「平生業成」。 親鸞聖人90年のみ教えすべてを漢字四字で表された、いわば浄土真宗の一枚看板です。 ですから、「平生業成」とはどんなことかを知らなければ、親鸞聖人の教えは絶対に分かりません。 その「平生業成」について、本願寺派門主・大谷光真氏は、「愚の力」でこう説明します。 浄土真宗には、「平生業成」という言葉があります。 往生は普段から決まっている、死ぬ間際に決まるのではない、という教えです。(「愚の力」82ページ) 「平生」を「普段」と言い換え、「死ぬ間際ではない」と念を押す。 その通りです。 「業成」を「往生が決まっている」と解釈しているのも、「往生の業事・成弁」を略した言葉が「業成」ですから、間違いとは言えません。 すると、本願寺がようやく正しい教えを説くようになった、
本願寺の現状 「親鸞聖人の教えのすべて」と銘打つ内容は? 大谷光真氏(本願寺門主)の新刊、「愚の力」について 本願寺門主・大谷光真氏が、「愚の力」という新刊を出しました。 「浄土真宗本願寺」ですから、「親鸞聖人の教えを伝える」団体のはずです。 「門主」ですから、その「トップ」です。 「親鸞聖人の教え」を伝えるべく、その教団トップとして発刊した本が、「愚の力」です。 実際に本の帯には力強く、 「親鸞聖人の教えのすべて」 と銘打っていますから、「あれは入門書だから」とか「一般向けなので聖人の核心までは迫れていない」などの逃げ口上は通用しない、ということです。 さて、その新刊「愚の力」に、「親鸞聖人の教え」が、どのように明らかにされているのか、(あるいは、何も明らかになっていないのか)、引用されているいくつかの仏語(仏教の言葉)をキーワードとして、項目を区切りながら検証してゆきたいと思います。
浄土真宗は一体どんな教えなの? それは聞いてはいけないんだ。 祖母から強制されたことは一度もない 強制されたことはありません。 恩徳讃の意味分かった 寺の法話ピンとこない事ばかり 寺に生まれても分からなかったこと 善知識はおられない。 めざせ甲子園から 親鸞会の講師に どんな人生設計も死で崩れる。 両親は大変なことをしてくれていた 本当に感謝せずにおれません。 おまえの将来は心配してないからな 分かって貰えないと思いました 前向きになり、キチンと生活できる 因果の道理を教えていただいて… 人生観がしっかりした 東大理科三類(医学部)合格。 親子の会話がなかったのに 幸せな時間を嬉しく思います。 学業をおろそかにする? 東大大学院「全優」成績表公開 親子関係が悪くなる? 初めて親の恩が知らされた。 子供が顕真学院に行く? 考え直すよう言われます。 月に2、3回富山に行く? 何度参詣するかは個
本願寺の現状 中外日報 平成21年2月3日 「成人の不安に思う」 親鸞会は「信心一つ」の親鸞聖人の教えを明らかにする 本願寺本山で行われた成人式で、多くの新成人が「将来の不安」を口にしたことを憂慮し、大谷光真門主は、こう述べられたとのことです。 「いつの世にも青年の将来への不安はありますが、これはそういった単純なものではなく、世の中をも含めた不安を感じているのだと思います。 そういうことを思います時に、私たち一人一人のいのちを大切にする生き方、世の中を築いてゆかねばならないことを痛感致します」 「お念仏とともに歩む人生、そこから人々の心のつながりを築いてゆく、支え合う生き方を築いてゆくことの大切さを思う今日です」 またもや、 「お念仏とともに歩む人生が大切」 という意味不明な言葉。 果たして「新成人」たちは、この門主の話を聞いて、「将来の不安」が解消されたのでしょうか。 生きる方角はハッキ
家族の会の正体 目次 メンバーは本願寺僧侶その他数名 はじめに… なぜ親鸞会をおとしめるのか 本願寺との歴史的対立 オウムも親鸞会も一緒にしたかった 故意に悪印象を与えている 事実を知りながら故意に歪曲 親鸞会を攻撃的と思わせたい 検証や調査もせず虚偽の情報を掲載 親鸞会これが『非オープン』? これはどこの世界の話ですか 意図的な誇張と極端な飛躍 恋愛まで管理されると思わせたい? 根拠なき推測と憶測を繰り返す 浄土真宗親鸞会はカルト宗教なのか 具体性はないまま「危険だ」 有名国立大学でも特定できない実体 調査で実体がないことが明らかに 資料 「根拠なき」親鸞会への批難1 悪意と偏見から平気で「カルト集団」呼ばわりする寺報配布 資料 「根拠なき」親鸞会への批難2 鳥取県の本願寺末寺K寺とJ寺 家族の会は郵便物が届かない 「あて所に尋ねあたりません」 と郵便物が返っくるのです。実体のない団体な
ある夕方の一場面 「らっしゃい、らっしゃい!安いよ、安いよ~大特価セールだよー」 (何!大特価!?) 「今日限りの大特価セール、のがしちゃだめだよー!」 (何!今日限りなのか!) 「半額当たり前!1万円の品が3900円になってるよー」 (や、安い!) と、品を手に取り 「これ下さい」 まあ、よくある風景ですね。 まったく買おうと思ってなくても「安い」「今日だけ」と聞くと心動くもの。 これを後になって 「洗脳だ!」 「マインド・コントロールだ!」 といって怒る人はないし、もしあれば、その人の方がちょっとと思われるのはでしょう。 ところが、現実にはもっとひどいことがあったりします。 と、いうのは 「何!仏教聞いてる!それは宗教だ!変だ!洗脳だ~!!」 という人。 仏教に何が教えられているかも尋ねず、どんな形で学んでいるかも知らず、ただ「仏教」というだけで、これでは、ちょっと?・・・、ね。 実際
本願寺の現状 平成20年11月28日「中外図書室」『一日一生』 回峰2度の酒井大阿闍莉 謙虚に赤裸々に人生語る 「仏教の目的」を知らずに「仏教」を語る人が多い 『一日一生』───天台宗の荒行といわれる千日回峰行を、二度も行った酒井雄哉氏が、「平易な語り口で赤裸々に自分の人生を語った一冊」と紹介されています。 その中で、「何もすることがなかったから」始めたのが千日回峰行、と語られていることに書評子は、「そんな謙虚な語り口に、読者はどうしても『生き仏』を感じてしまう」とのこと。 まず、「千日回峰行」とはどんなものか、簡単にお話してみましょう。 比叡山の天台宗は、『法華経』の教えを如実に修行せんとする宗派ですが、聖道自力難行の名にふさわしく、今でも千日回峰行なる荒行があります。 まず12年間は、結界の中で修行し、山から下りない厳しい不文律があります。 真夜中の零時前に起床して、山上山下の行者道を
本願寺の現状 平成20年11月28日「中外寄稿」 『真宗大谷派に質問する』 日常の平易な言葉で分かりやすく伝える「親鸞会」 「親鸞の教えに霞をかける小川一乗氏」 「(平和、人権のことを)いわゆる現代語、世間語でもって真宗を語ろうとする風潮が強いのですが、いかがなものか、危惧を持っている」 と述べた小川一乗氏(真宗大谷派教学研究所所長、当時)を、次のように批判した小森龍邦氏(部落解放同盟広島県連合会顧問)の寄稿です。 「仏教が平易な日常の言葉で語られなければ、釈尊と親鸞の思想は遠い位置に置き去りにされる格好になると思います」 「教学の行詰まりを難しい言葉や概念の提示だけで逃げるのではなく───」 「高尚な仏教的概念も平易な言葉で、万人に通じるようでなければ、概念の難しい表現が、人々をだますのに都合よく使われることになります」 「難しい概念を平易にもみほぐす努力を怠ってきたことが、たとえば『他
本願寺の現状 中外日報(平成20年12月20日) 「誰でも彼でも、死んだらお助け」なのか? 親鸞会が常に問題提起してきた点 本願寺派門主の法話に見られる「変化」 11月22、23日、本願寺で本山恒例の「秋の法要」が営まれ、中外日報に「ご門主」の「ご親教(法話)が、掲載されました。 タイトルは「浄土真宗は生死を超える」。サブタイトルに「ダイヤモンドのような信心一つでお浄土に」とあるので、期待して読み進めました。 「まず思いますことは、亡くなられた方は、この世で形あるものとしてはもう会うことができませんが、阿弥陀如来の光の中にあるものとして、お念仏を通じて会えるといえるのではないでしょうか」 (中略) 「次に、往生された方、亡くなられた方についての思いです。……」 ここで、ご門主さまは、 「亡くなられた方」は、みな「往生された方」である。 と言われていることになります。 もし「亡くなられた方」
親鸞会会員の声 堀川武雄さん (5)月に二、三回、富山まで行くこと 何度参詣するかは、それぞれの自由です。 一回の人もいるし、二回の人もいます。 別に月に何回と決められたものではありません。 親鸞会を悪く言う人は、お金の無駄遣い、なんでそこまで仏教を聞きにいくんだ、とか、マインドコントロールされているからだ、という批判にすぐなりがちですが、結局これは、仏教で教えられていることが分からないと、理解できないと思います。 「家族の会」の僧侶の人たちは、何も仏教を知らないようですから、わざわざ富山まで聞きに行く気持ちは分からないのでしょう。 むしろ、私に言わせれば、もっと正しい親鸞聖人の教えが各地の寺でも説かれていれば、こんなに苦労しなくていいのに、という気持ちにもなります。 結局、現在の仏教が、まるで生きている人の幸福に無関係なものになってしまったので、本当の仏教を聞きたい方は、遠くても富山へで
親鸞会会員の声 親鸞会講師の講演会に来た東本願寺住職の告白 「あの、入っていいですか」 講演会の終わりごろ、顔を出したのは、60歳前後の男性だった。 「実は、私は東本願寺末寺の住職です。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、今日は来ました。 アニメ『王舎城の悲劇』で、韋提希が救われて、 『ようこそ、ようこそ』 と喜ぶ場面が大好きです」 後日、その住職のいる山奥の寺を訪ねました。 元は天台宗で、蓮如上人が三河に来られた時、真宗に替わったといいます。 開口一番、 「信心決定は、あきらめた」。 住職の口から飛び出た言葉に驚きました。 「"信心決定"と今、言われましたね」 「もう30年以上前、親鸞会発行の『どちらがウソか』などを読んで、信心決定しなきゃならんと思った。しかし、もう無理だ」 本当の親鸞聖人の教えとのご縁がないまま、30年以上の歳月が流れ、初めて親鸞会の講演会に来た時には、獲信はもうあきらめ
本願寺の現状 本願寺新報(平成20年7月20日より 「いまから読もう レッツ!正信偈」を読んで 「いまから読もう レッツ!正信偈」 龍谷大学の辻元講師による、『正信偈』の解説のコーナーです。 今号は、冒頭二行、 「帰命無量寿如来 南無不可思議光」 の、「帰命」と「南無」についてのようです。 見出しには、 「帰命と南無は同じ意味」 とあり、親鸞聖人の、 「帰命は本願招喚の勅命なり」 という『教行信証』のお言葉が、紹介されています。 文中には、この「本願招喚の勅命」とは、 「私を招き、呼び続けておられる阿弥陀仏の本願の仰せである」 と説明があり、さらに『尊号真像銘文』の意訳が、次の二箇所、載せられています。 「『帰命』とは『南無』であり、また、『帰命』というのは阿弥陀仏の本願の仰せにしたがうという意味である」 「『帰命』とは、お釈迦様と阿弥陀仏の二尊の仰せのままにその招きにしたがうという言葉で
御名号こそ真宗の正しい本尊 東本願寺が毎年春に開催する「蓮如上人御影道中」は、上人の御影とともに、京都の本願寺と、吉崎別院(福井県あわら市)とを歩いて往復する行事です。 「御影道中」は、江戸時代から続いています。 10人ほどの世話人(供奉人)が、御輿の御影とともに、240キロを1週間かけて福井へ向かう「ご下向」と、吉崎での御忌法要のあと、また歩いて本願寺へ戻る「ご上洛」に分かれています。 各地で出迎える門徒は、お立ち寄り所で法話を聞き、ともに、蓮如上人の北陸教化のご苦労を偲ぶことになっています。中村さん宅は、代々お立ち寄り所になっていました。 そのとき起きた、ある事件についての手記を紹介します。 本当は本願寺も知っている 中村依子さん お立ち寄りの日付が決まり、せっかく集まる近隣の人々に、親鸞聖人の本当のみ教えを聞法してほしいと思い、私は親鸞会の講師を招待しました。到着予定の1時間前から、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『親鸞会と本願寺10の相違点 親鸞会批判の真実』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く