あくまでイメージの話 私にとって散文とは、表面をなぞるものであり囲うもの。言葉は曖昧で、実体がなくて、常に不完全で、それゆえに「まさにこれ」と指で指して示すことができず、伝えたい事柄の周囲を行ったり来たりして覆うことでその中心にあるものを連想させる。寄せて返す波のようであり、くっつきそうでありながらなかなかくっつかない恋愛漫画の男女のよう。文学的な文章を書くコツとして「私は悲しかった」といった直接的な表現は避けて別の言葉を使うことというものがあるが、それのことだ。自然と言葉数が増える。言葉の包囲網が対象の輪郭を浮き上がらせ、内容を推し量らせる。 これに対して詩は骨であり、その骨に備わるであろう肉を感じさせるところに詩の決定的な力がある。濃縮された言葉があるというよりは、言葉の野太い真理が横たわってそこにあって、その力強い真理が周囲に様々の情念を引き寄せる。唱えられた一つの言葉が、唱えられて