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横浜コミュニティラボのMさんのfbで知った小冊子。この「良くしようとするのはやめたほうがいい」という、ギクリとさせられるタイトルだけで読みたくなって取り寄せてみた。我々は深く考えることもなく「よくする」という言葉を使いがちだ。内容は横浜寿町の福祉センターで長年相談員として勤められた村田由夫さんの講演録をベースにしたもので、ドヤ街のアルコール依存症患者たちと関わり続けた当事者による経験談として大変興味深かった。 −−−−−−−− (以下引用) この良くするってことはね、やっぱりどうあがこうとも、ある側面では、相手を支配したり管理したりっていうことですよ。で、これに対して、パワーレスというか、そういうこと(相手を良くすること)はできないんだ、ということを受け入れる、認めるってのは非常に大事なことのような気がするのです。 <中略> もう一つ、AA(※アルコホリック・アノニマスというアルコール依存
先月の11月18日のこと。研究室の学生が進めている立体インフォグラフィックスの実験を授業の中でやってみた。この取り組みには、単にインフォグラフィックスを立体化する、というのではなくて、見るだけの状態を越えて、作っていく過程を組み込むことで、ある特定の情報をより自分事として捉えることができるのではないか、という問いがある。 プリンタとカッティングマシンを併用して60部の設計図を複製する。それを履修生達は自分でチマチマと組み立てていく。 指示に沿って折っていくと、上のような立体が出来上がる。リズミカルに並んだ折り目の中に、1年生が入学してから4年生となって卒業していく間の月日が、階段のメタファで表現されている。さて、この立体を作ってみて大変面白いのが、これ自体は極めて客観的な事実で、同じものなのに、学生達は自分が今どこにいるかを勝手に投影して、それによって感じ方が大きく変わることだ。 4年生は
「アクティブラーニング」と呼ばれる学習取り組みがだいぶ一般的になった。先生が話し、学生は黙って話を聞いて学ぶ、という一方通行型の学習観から切り替わり始めたのは、(たしか)90年頃。素朴な観点では、教える側は、「言えば聞く、聞けばわかる」と思いがちだが、人間が学ぶことのメカニズムは非常に状況的なもので、たとえば一斉講義では、どんなに教員が努力して一生懸命わかりやすく話をしても、受け取る学習者の頭の中にはたったの数%しか残らないという。 教育者たちは、講義による伝達が幻想であることを受けとめた上で、「教員の自己満足をやめよう」「自分が喋るよりも、学生達に対話させ、もっと主体的に学ぶように視点を切り替えよう」「スローペースであっても、その場その場に起こっている関わり合いの変化をよく解釈しよう」と方向性を切り替えてきた、という長年の経緯がある。 人は一人ではなく、他者から学ぶ。学習とはあらかじめど
興味深いレポートを読んだ。経産省の次官・若手未来戦略プロジェクトによる「21世紀からの日本への問いかけ」(PDF)というもので、経産省の菅原郁郎事務次官が30歳前後の若手キャリアと議論して作成した非公式の提言書である。未来を描きにくい世の中であるが、若手を積極的に登用して既成概念を壊して活路となるビジョンを見出そうとする姿勢が見えて、素晴らしい活動だ。 日経の記事より引用。 今も英語やプログラミング教育を重視しようという動きがあります。これは短期的には正しい方向性だと思います。ただあまりにそれを重視しすぎると、他国にはない日本の「なくしてはいけないもの」を犠牲にする可能性がある。日本は植民地化されず、固有の言語で独自の文化を育んできた歴史があります。グローバル化が進む世界では、その日本独自の価値観こそ競争力を生み出しうるのではないでしょうか。 www.nikkei.com 日本という地理的
みんながうすうすと感じてはいるが、なんだか言語化できないこと、というのが時々ある。 ここ最近、「デザイン思考」に関する議論はもう一周したんだなー、と感じさせる文章を目にすることが増えてきた。デザイン思考は、(専門家にとっては)あたりまえのことを形式知にして名前をつけ共通言語化し、誰にでもクリエイティブに考えることはできるんだ、と人々の創造性の裾野を大きく広げた。その功績は偉大である。でもそうは言っても、デザインは方法論だけで構成されているわけでもないわけで。 現在日本ではビジネスにおけるデザインの重要性に注目が集まり,「デザイン思考」の活用への興味・関心が高まっているが,そのほとんどはIDEO とスタンフォード大学d.school が提唱する狭義の「デザイン思考」であり,これまでデザイン論やデザイン研究が追究してきた世界の多様なデザインの考え方や捉え方,思想・信念・文化を踏まえた「(本来の
10月15日(土)のこと。2016年度の産業技術大学院大学の人間中心デザインプログラム、デザインリテラシー編で「デザイン態度論」を担当してきた。 人間中心デザインプログラムは、社会人向け専門職大学院のデザインスクールとしては、今のところ日本で唯一の人間中心設計 / UXデザインを体系的に学ぶことができる専門課程であり、履歴書の最終学歴として書ける大学院の学位(履修証明)になること、公立(公立大学法人)のため学費が安いこと、志気の高い人が集まった濃いネットワークが出来ることなど、いろんな点で結構な人気のようだ。入試が先着順のため今年は募集開始なんと数分で枠がうまってしまったそうである。 aiit.ac.jp 僕は2010年からデザインの発想論を担当していたが、今年はプログラムディレクターの安藤先生の依頼で、「デザイン態度論」という科目を持つことになった。 多様なチームメンバーと共にデザインに
先日の演習の時に同僚と雑談していて、気になったことをメモ。 最近は「デザイン思考」ブームも一段落しているが、いろんな分野でデザインを学びたい人はまだまだとても多い。そういった状況の中で教育者側が初心者向けのデザインの授業を持つ時に、デザイナ—たちが職業の中で確立して来た「知識」を教えることが中心になってしまいがちなところがある、ということについて。 デザイナーが教壇に立つ場合も教育の専門家ではないことが多いわけで、専門の知識を伝えることについて何か問題があるのかに気がついてない人も多い。 部外者からはセンスと思われているデザインも実はさまざまな形式知の固まりである。例えばグラフィックデザインの場合で言えば、色使いの基本や書体の文字詰め、画面の力学など、洗練された画面を構築するセオリー。それから、デザイナーたちが手がけたデザイン事例。こういったものはお手本として具体的な例が示されているので紹
10月19日(土)、フライブルグからウルムに移動した。この街は世界最大の大聖堂で有名だけれど、今回の旅の最大の目的地はこの古ぼけた校舎。デザインを学んだ者なら知らない人はいないHfG、通称 "ウルム造形大学"の跡地である。ちょっと前まではウルム大学(?)が入っていたとの記事をネットで読んだが、今はNPOが施設を管理してデザイン事務所などに貸し出したりしているようだ。 特に管理は厳しいということもなく、普通に中に入ることが出来る。うーん、この校舎に入れるとは、感無量。このデザインスクールの教育を色濃く反映している武蔵美基礎デ関係者のみなさんにとっては聖地のようなところだと思う。同僚のK先生(基礎デ卒)に自慢しよう。 校舎はMax billによる設計。かなり目立つ場所にサインが残されていた。 学食跡。土曜と言うこともあり、ちょうど結婚パーティが企画されていてあくせくと数名が準備していた。そんな
前編の続き。 今回は、デザインプロジェクトに参加するけれども、トラディショナルなデザインとはスキルセットが異なる専門職種をいくつかとりあげます。 1:デザインリサーチャー もしデザインファームで働くことを目指してる場合には、デザインプロセスの前半部分を中心に磨いて得意分野にする、というのが良いのではないかと思います。まず、どのようにデザインを進めるか(デザインプロセス)はいろんなモデルが提唱されていますが、とりあえず僕の授業のスライドを掲載します。 これは富士ゼロックスの発表しているモデルを引用したもので、社会人向け大学院の産技大人間中心デザインプログラムの「発想法」の資料として描きました。(黄色の部分が見にくいですが、ここはアニメーション込みでどこに発想が関わるのかを解説している部分です)というわけで、少し文脈は違うのですが、とりあえず、1〜6はいわゆる人間中心デザインプロセスとしては極
ちょっと間が開いたが、ブログ読者からのお問い合わせに答えてみよう、の第2弾。質問者の方は大学では文系の学問を学んでいたそうで、社会人になってしばらく経ってからデザインを学びたいと考えておられるそう。そこで頂いた質問は、「いわゆる"デザイン"のバックグラウンドがない者ができることには,例えばどんなことがあるのか」。 近年、"デザイン思考"という言葉が普及したのに伴って、デザインは「デザイナー」だけがやるものではない、という共通理解も徐々に出来てきたように思います。しかしながらその一方でデザイン思考を学んでも旧態依然とした社会の中でどのように活かせるのかのイメージが持ちにくいというのは多くの人が感じていることでしょう。特に「どういう仕事に繋がるのか」が見えないようで、学生達にもよく聞かれることです。というわけで指導してる立場としては、この質問にはちゃんと答える必要性を感じています。 結論から先
グラフィックデザインのセオリーとして50年ほど前にスイスから発信されたタイポグラフィ、通称スイス・スタイルは今日まで大きな影響をもつ。しかしながら、僕ら外国人としてはなかなかスイススタイルを生み出した文化的な背景までは理解することができない。というわけでせっかくヨーロッパにいるのだから、と現地まで調べに行ってきた。 チューリヒはスイスの主要都市。高地らしく冷たく澄んだ秋の空気をまとい、凛とした雰囲気を持った大変美しい街だった。 スイスには、意外なことにスイス語というのがなく、戦後復興期には文書に4つの公用語(ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語)を併記する必要があったという。今はそれに加えて英語も入るだろう。さまざまな言語を配置することに対して他の国よりも何倍も意識的になる必要があり、かつ特定の言語や主張に偏らない客観性を高める必要があったため、1950年代にインターナショナルな
2016 - 03 - 01 廃棄物専門スーパーでの顧客体験を考えた話 オブザベーション danish culture デザインリサーチ 先週のこと、世界初の廃棄物専門スーパーマーケット wefood が大学の近くにオープンした。いわゆる賞味期限間近のものを格安で仕入れるディスカウントストアとは違って、「廃棄物」扱いになった品物を提携先からタダで仕入れてきて売る、というのが世界初の試みということらしい。 ほとぼりさめた頃に行こうかと思っていたのだけど、日本の皆さんもすごい勢いでシェアしているので気になってちょっと予定を早めて行ってきた。人気で品薄との噂を聞いて開店(15:00)と同時に行ってみたら、すでに結構な行列がw 地元でも話題になっているのでみんな物珍しさで来ているんだろうな。 たしかに品数は少なく、日本の農産物直売所よりもだいぶ少ない。いくつか野菜買ってみた(葱、パプリカ、レタス)
いつも大学や調査先で議論したり悶々と考えたりしているわりは参加型デザインについてはまとめるのがヘビーすぎて,ここではほとんど書いてないが,たまには書いておきたい. さて,参加型デザインを簡単に解説すれば,デザイナーだけでデザインするのではなくて,実際の利用者をデザインプロセスに積極的に巻き込みながら進めていくアプローチのことで北欧で40年ほど前に始まった取り組みである.ちなみにベテラン研究者の方々曰く「本当の意味でのParticipatory Design(参加型デザイン)とは,スカンジナビアの社会民主主義のカルチャーによって成されたもので,我々のやっていることだけが正統派なのだ」と誇りをもって主張しているし,一方で若手は「元々は"自分たちの働く職場なのに,その職場の改革に参加出来ないのはおかしいだろう"という異議申し立ての労働運動から発するものだし,参加するのが当たり前でなかった時代に参
日本から高齢者のコミュニティの調査に来られた研究者と飲んでいる時に,ふとRitaのことを思い出した.元気にしているかな.彼女はグラフィックデザイナーで,高齢者の認知症の人々を対象に,コミュニケーションデザインは如何なる可能性を持つのか,という研究をしている.5月末頃に僕らのリサーチグループにゲストで来てくれて,彼女のトークを聞いたんだった. Ritaはポルトガル人の女性.もうすこし詳しく言うと,ポルトガルの名門ポルト大とアヴェイロ大が共同設立したID+(The Research Institute for Design, Media and Culture)という研究所に所属している,エリート博士課程プログラムの学生である. 春の時期に王立デザインスクールのCoDesign専攻に研究で滞在していて,同じGive&Takeプロジェクトに参加していたのだ. 認知症の進行過程をみんなが理解できる
8月5日(木)、近くにあるデンマーク王立デザインスクールの卒展を見に行く。海軍の施設をリノベーションした重厚なキャンパスの一角にあるギャラリー。 しばらく展示しっぱなしのようで、夏休み明け直後ということもあり、ほとんどお客さんもいない。 ここは北欧デザインの牙城で、日本で言えば東京芸大のような伝統的な美大。そのため展示はクオリティの高い表現作品がほとんどだが、その中で数少ないプロセス重視のCoDesign専攻は、ビジュアル的にはあまり美しくないがw思想が美しくて、かなり異彩を放っている。以前話を聞かせてもらった際にとても気になっていたR君たちのチームのプロジェクト、Codesign with youth in Kosovoが素晴らしいアクティビティで感動したので、レポートにまとめておきたい。 ・Codesign with youth in Kosovoは王立デザインスクール(デンマーク)の
(鹿児島県阿久根新港脇の浜ん小浦にて 2023年10月29日) __ そういえば毎年の終わりにはまとめを書いていたのをすっかり忘れていた(ギリギリセーフ)。 2023年は鹿児島県阿久根市でのフィールドワークが2回できて、元気な学生たちと調査活動できたことは素晴らしいことだった。扉写真は、キャンプファイヤーをしたことがないというある学生の声に応えてやってみた、港付近の浜での焚き火。早くも懐かしい。1月に報告書提出と同時に学生たちともお別れで、毎度のことながら寂しいことである。 あとは、教務委員長の役職から外れたことでだいぶ余裕ができたにもかかわらず、思ったほど研究の時間取れなかったことが心残り。やはり何か犠牲にしなくてはならないようだ。いよいよ追い込まれてきた。来年は頑張ろう・・・。 ___ 2023年の活動 1|学術活動 【学会発表】新井田統, 照井亮, 上平崇仁他, 「共創メディアとし
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