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liang-kai.livejournal.com
「「改定常用漢字表に関する試案」に対する意見募集が締め切られたそうだ。常用漢字のことを忘れているあいだに、どんどんと進行しているようだ。 試案の細部については、いろいろな専門家が意見を書いているようなので、もうすこし、全体的かつ長期的な考えを述べたい。 これからも常用漢字表は必要だろうか。当面は必要かもしれないが、何年か後には不要になる可能性がある。なぜなら、文字と字体に関して国家が決めた漢字表を尊重したり、それに依存しなければいけないこと自体、自由主義社会における個人としては褒められた状況ではないからだ。自分が書いたり読んだりする文字は自分で決めればよい。用途に応じて必要なら、その範囲で標準化すればよい。 そもそも、これが漢字の規範だ、などと誰が言えるのか。漢字の利用者である各個人以外にはあるまい。 また、人名漢字なども議論になるが、人名というのは人の名前だ。ならば各個人が決めればよいこ
衆議院の解散とかもあって、ついついアップデートが遅れてしまった。 web上での常用漢字の議論は、どんどん進んでいるようだ。 もじのなまえ日本新聞協会の『新常用漢字表(仮称)』の字体に関する主張は、理論的に完全に間違っている 明窓浄机:YAMAMOMO「第3回ワークショップ: 文字 ―新常用漢字表を問う Part 2― 兼「文字研究会」(仮称)設立準備会」レポートこれらの議論を読んでいると、新聞協会などが主張していることのオカシサが明らかだ。常用漢字表に追加する文字の形を康煕字典体と異なるものにして、しんにょうの点を二点から一点にしたら、簡略化をどんどん膨張させていくことになり、「表外漢字字体表」のときに、表外字の簡略化を否定したことから、完全に180度方針転換となってしまう。 そんなことをしたら、常用漢字の改定のたびに、新しい簡略字体が生み出され、目安として国民に押しつけられることになって
新常用漢字表においては、一点しんにゅうで統一されている現行常用漢字の中に「、」など二点しんにゅうの文字が混在することになります。食偏の「餅、餌」なども同様です。漢字を教える場合、「これは二点しんにゅうで掲げられているけれど、書くときは一点しんにゅうでよい」というのは分かりにくく、「それならなぜこの字は一点しんにゅうにしないのか」という疑問が出るのは当然です。 ( 新聞協会、「『新常用漢字表(仮称)』に関する試案」への意見、p. 3) 何を言っているのか。手書きの楷書体などでは、確かに之繞の点は1点で書くのが普通だ。しかし、印刷書体の明朝体ではそれは2点で表現するのが伝統である。それを無理矢理に変えたのは当の常用漢字だったではないか。 「それならなぜこの字は一点しんにゅうにしないのか」だと? よくもこのような破廉恥なことが言えたものだ。漢字文化に対する傲岸不遜この上ない。それならば、こう言お
『新常用漢字(仮称)』に追加される印刷標準字体について、その之繞を従来の常用漢字の1点の形に統一すべきだという意見をしばしば聞く。教育関係者のあいだにその考えが多いらしい。たしかに、「統一されている」ことの利点がないわけではないが、だから1点に統一すべきだという主張は、論理の飛躍した暴論である。完全なナンセンスだと思う。その理由は以下のとおり。統一されているのが良いなら、なぜ之繞を含む文字のすべてを2点に統一するオプションも検討しないのか。そもそも、印刷書体に明朝体を使う以上、2点の方が歴史的に正しい(あるいは多数派だ)。1点の之繞の方が珍奇なデザインだ。だから、表外漢字字体表では2点にしたのではないか。それは、表内と表外との違いだ、というのは詭弁にすぎない。統一した方がよい、という論理なら、なぜ表外漢字字体表を1点に統一しなかったのか。表内と表外を意図的に違わせる根拠はない。表外漢字字体
「新常用漢字に「鷹」入れて…東京・三鷹など4市町が意見書」という記事が目に付いた。それによると、三鷹市など4市町が「鷹」の文字を新常用漢字表(仮称)に追加すべきとの意見書を文化庁に提出したとのこと。その記事によると、『「(三鷹)市の意見書では「『能ある鷹は爪を隠す』など、鷹の字は古来から多くのことわざや格言に使われ、文化的、教育的にも重要。誰でも読み書きできる漢字であるべき」と主張』とある。新常用漢字表(仮称)の最初の素案には含まれていたが、後になって削除されたからという。 このような要望をいちいち聞いていたら、例えば、印刷標準字体に入っている「燕」や「鶯」も入れたらどうかなど、それに類するいろいろな文字の追加要求の「意見」を、どんどん受け入れなければならなくなる。常用漢字表に含まれる文字の数は何倍にも膨れあがるに違いない。 常用漢字だけが「文化的、教育的にも重要」な漢字ではない。常用漢字
この記事は、記事を書いている主体である朝日新聞社の意見は述べていない、ただ新聞協会の意見を紹介しているだけである。新聞社としての主体的な判断できないのか。それとも、自社の考えを述べたくないのか。新聞協会の意見が、日本の新聞社の総意でないことがはっきりした以上、自社の見解を述べずに避けるのは、おかしくはないか。 とにかく、「しんにゅうを1点に統一する」などというのは、愚かな暴論である。規範的な漢字の形が、それがどの文字表に属するかによって、ころころ変わってどうするのか。文化審議会の前身の国語審議会が「印刷標準字体」を決めた時の字体の判断は、間違っていた、とでもいうのだろうか。間違ってはいない。明朝体で表現する場合には、しんにゅうは2点の方が伝統的で標準的な形なのだ。 もし本当に統一するというなら、しんにゅうは明朝体では2点に統一すべきだろう。手書きの場合は1点で書くのだ。その使い分けが「易し
…当用漢字表、常用漢字表ができて、国語の表記が易しくなった面は確かにあるわけで、これは、大きなプラス面だと思うんです。具体的に言うと、批判のある代用漢字の書換えなんですが、あの中で、完全に定着したものは、それだけ国語表記を易しくしたと言えるんです。「編輯」の「シュウ」が「輯」から「集」になった。それから「瀆*職」を「汚職」に変えたのは、新聞社で変えたことですが、刑法でもついに「汚職」に変わった。一般の人が見ても、あの「瀆職」という時を見たら意味は分かりませんけれども、「汚職」なら書いた方がいいなという気がします。 (* 「瀆」の字が欠けていたので補った。誤植であろう。) 「同音による書きかえ」(第3期国語審議会での報告の一つ)は、当用漢字表と常用漢字表のもつ決定的な問題点と関係している。しかし、この委員は、そういうことには気づきもせずに、じつに気楽に「それだけ国語表記を易しくしたと言えるん
漢字の集合は、任意に文字を選択した恣意的な集合だ。それは漢字の全体集合がどれだけか分からないからだ。また、どの程度の差違によって独立した文字を識別するかという、いわゆる粒度(granularity)や包摂規準(unification rule)の設定も恣意的に行われる。もちろん、合目的的に決定されるのであれば、恣意的でも実用になるわけだ。だから、比較的小規模の漢字集合というものが可能なのだし、それに漢字以外の文字を加えたものが日本語の文字集合として利用されている。 だから、従来ある特定の領域で使われてきた集合に入っているからとか、出現頻度が高いからとか、いろいろな理由から恣意的に文字が選択される。それは、当用漢字や常用漢字にも、JISやUnicodeなどの情報交換用の符号化された文字集合についてもいえるし、コンピュータメーカー固有の拡張文字集合や、Adobe-Japan1-6などの出版・印
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