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今、リバタリアンのシンクタンクもどきを作るかどうかという懸案事項があり、実はまだ何も考えていないのだが、この連休中に少しは行動に移そうかと思っている。 実は私は、リバタリアンシンクタンクもどきを作ろうと思ったことが過去にもある。 お恥ずかしながら、あの滑稽極まりないバカ丸出しのトンデモ大賞作家の副島隆彦とリバタリアンサイト作ろうとしたのが最初であった。もうかれこれ10年以上前のことだ。 言い訳をすれば、そのころは、私は副島がそこまでイカれた本物のバカだとは知らなかったのだ。しかし、副島が本当のいかれた馬鹿であることはすぐに判明した。 リバタリアンサイトを作ろうと思って副島に声をかけた結果が、あの副島のバカサイトになっていったのだから、なんともお恥ずかしい限りではある。もとより、あのサイトには私は直接はタッチしてないのではあるが、あのバカをあそこまで増長させた責任の一端は私にもあるのかもしれ
高橋氏は、いわゆるリフレ派というやつに近いのだろう。私はいわゆるリフレ派が書いた本を読んだ記憶がないので詳しいことは知らないが、リフレ派代表を高橋氏の説とするとサイバーなんちゃってリバタリアン氏の見解の相違はここが大きいだろう。 私が、どちらに軍配を上げるかといえば、当然、高橋氏のほうだ。 では、どちらがより自由主義的かといえば、どちらも国家主義的だ。ただ高橋氏はリフレ政策は”普通の国”のスタンスだと言ってる訳である。 一方サイバーなんちゃってリバタリアン氏は、電波政策以外は具体的なことを何も考えていないから具体性も乏しいし、論理があまりに薄っぺらい。どちらが正しいかという以前にサイバーなんちゃってリバタリアン氏には論点になるネタが存在しない。サイバーなんちゃってリバタリアン氏が高橋氏の説を素朴貨幣数量説に過ぎないと批判しているのは、その基本的な経済学理解の薄っぺらさをあらわしていると私に
ポール グレアムが書いているが、コンピュータ言語においてその原理となる数学は普遍的である。100年後も1000年後も全く古びることもなく変わることもない。数学とはそういうものだからだ。 コンピューターの基礎理論となる数学は、チューリングマシンの理論と、ラムダ計算の数学理論が早い時期に出来上がっていた。コンピュータがそれを実装するのは、それよりも大分遅れるが、最初に生まれたコンピューターの高級言語であるFortranとLispが未だに使われているのは、それぞれが数学理論を純粋な形で実装したものであったからだろう。Fortranはチューリングマシンの手続き型処理の原型であり、Lispは、ラムダ計算の関数型言語の実装だった。その後、この2つ以外の計算機の原理となるものは発明発見されていない。オブジェクト指向とかはこういった数学的原理ではなく、極端に言えば関数に局所変数を持たせるというアイデアにす
ここ最近、Javaを体系的に学んでいるのだが、よい本を探していると外国人の書いた本しか見当たらず、日本人の教科書作成能力の低さを痛感する。 読む価値のある本は、全て外国人が書いた本、またはその翻訳本であり、日本人が書いたオリジナルなテキストでよいものは皆無といえる状況だ。さらに日本人の書いたものはあちらの人間が書いた本をぱくりつつ、さらに分かりにくくわざわざ間違った解説をつけ加えているものも多い。(幸いにしてそういう本は寿命がものすごく短いが、Bookoffなどでよく100円で売られている。) これはプログラム言語の解説書に限らないだろう。 経済学でも、日本人の書いた本など読むだけ無駄であり、どうせ読むなら絶対にアメリカ人の書いた定評のあるテキストを読むべきだ。 これは、当然に日本の学問レベルの低さをあらわしているが、もちろん日本人にも一部、優秀な学者はいる。しかしそういった人間でもTex
日本の法律が抱える問題はあまたあるが、債権本位主義の問題は根本的で根が深い病だ。 これを早急に抜本改正し、正常化する必要がある。 この問題については、牧瀬義博氏という法学者が昔から研究している。 次に牧瀬氏の著書「マネーと日本の進路」から抜粋しておく。 ”最近の研究によると、民法に大きな誤りのあることが分かった。その誤りというのは、民法はもともと債務本位に決めなければならないのに、債権本位に決められているということである。債権と債務が逆である。 民法典は、1898年施行されて以来、今日まで一度もこの根本問題に疑問が投げかけられたことはなかった。 民法は人が生活に必要な衣食住を入手するための法律である。したがって、民法はその中に衣食住を入手するために必要な法律制度を定めていなければならない。そして、日本民法は債権によって衣食住を入手すると定め、米国民法は、債務によって衣食住を入手すると定めて
”古代社会では債務不履行に対するペナルティーは過酷なものであった。 古代ローマでは、ごく少額を返済しそこねるだけで、債務者は全財産を没収され、競売にかけれられかねなかった。極端な場合、債務者は借金を払い終えるまで牢屋に入れられた。 西欧では一九世紀まで見られた債務者監獄の制度だ。 つまり債務不履行のペナルティーは単なる法的な解決策ではなく、まさしく懲罰と呼ぶにふさわしいものだった。 だが、債務不履行の罰が奴隷身分への転落だった古代ギリシャに比べれば、それでも大幅な改善だったのである。 イギリスで債務者監獄が廃止され有限責任会社の制度が発明されるのは、ローマが滅亡してから1500年ほど先のことだが、それによって資本市場のありようが改良され、世界経済の爆発的成長に点火する一助となったのである。” == 以上は、「豊かさの誕生」からの抜粋だが、このように債務不履行を窃盗と同じと見なし、債権者側に
日本のプロバイダー責任法と、アメリカのプロバイダー責任の違いについて、また少し著作権絡みの話を纏めておこう。 アメリカの電気通信法(1996)は、プロバイダー責任の免責事由を定めている。 通常、発信者(Publisher)と、頒布者(distributor)の著作権侵害責任について、新聞社や出版社などのPublisherには厳格責任(strict liability)となっており、distributorである書店などは過失責任となっているが、これに対しインターネットプロバイダーの著作権侵害に対する厳格責任を免責するのが電気通信法である。#しかし特許侵害などに対しては、プロバイダーに対しても厳格責任は適用される。 またデジタルミレニアム著作権法(DMCA=Digital Millenium Copyright Act、1998)では、Notice and takedownというルールが定めら
ミルトンフリードマンの「資本主義と自由」が日経BP社から新訳で復刊したが、その後書きを高橋洋一氏が書いている。私は本屋で後書きのところだけ、立ち読みした。 しかしこのフリードマンの名著を持っていない人間は、すぐにでも買って読むべきだろう。 その後書きの中で、なぜ自由化をするのかという現状肯定派の問いに対して、高橋氏は本来、自由が原則であって、それを規制するのであれば規制する側に挙証責任があると書いている。だが、現状は規制された状態がデフォルトであるので、自由化する側に挙証責任を転嫁されてしまう。そこで、これを説明するのに、高橋氏は”フリードマン論法”を用いたそうだ。 つまり、規制状態の問題をつらつらと挙げたわけだ。 こういう挙証責任の転換は、現代の自由主義論者には常につきまとう。殆どの人間は現状肯定的な感覚で動いているから、現実を正常化するのだでは通らず、改革、進歩させると主張しないと現状
去年は1本しかブログに書かなかった。いろいろと大変な年であったためだ。まず自分が緊急入院して死線を彷徨った。なんとか死ななかったが、治ったわけではない。そしてその後、父が永眠し、伯母も二人亡くなった。 父が亡くなった後もいろいろと雑事が多く、日本は生きるのも死ぬのも大変だと感じた。 人は皆いつかは亡くなるわけだが、あまり死について考えたことはなかった。苦しまずにぽっくり死ねたらいいなと誰もが思うようなことを考えていたくらいだ。宗教は葬式などにつきものなので、宗教は死後の世界を大体認めているのだろうと思っていたが、浄土真宗などは死後の世界を認めていないらしい。だから法事などは全て寺側の金儲けの為にやっていることになる。w 人間にとって宗教とスピリチュアリズムとどっちが先だったのかといえば、おそらくスピリチュアリズムが先だったろう。 おそらくこの100年位前までは、スピリチュアルなものはリアル
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