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地方で目立ったブランドのあるエリアでも、追随するブランドやプロダクトがなければ、そのユーザー体験はリアルでありながらオンラインショップ以下かもしれない。 【前半からのつづき】 かいつまんで言うと、職人さんの織っているものを見て可能性を信じて、それを自分の思うターゲットへ向けてブランドデザインして売ってみた、といった感じです。 いつでも辞められるように、最小限の原資でスタートし、東京でのポップアップなどを経て強めた手応えから、追加発注、追加発注で、(まだ微々たるものですが)徐々に売上を伸ばしています。機屋さんにも満足のいく工賃、報酬をとってもらっているので、このブランドが売れるほど応援できる、同じ目的に向かっていられる関係は、やはり気持ちよく仕事ができるなあという実感です。 もう一回、他の人がやろうと思ったらやれる方法で そして、このブランドがそれなりの売上をつくり、影響力を持った暁には、上
大阪、神戸から1時間半、京都から2時間弱の兵庫の田舎で、マルシェイベントを立ち上げて、次回7/27(土)で三回目。 ただでさえ、行きやすくはない場所、どこやねんそれ、の西脇で行うマルシェなので、たとえば神戸の人に来てもらいたいというときに、神戸で行われているマルシェと比較して、まず距離的なビハインドがあります。 神戸のマルシェの縮小再生産では、「まあ都会みたいやねえ、西脇やないみたいやわあ」と地元の方々が喜んでくれても、神戸からは人に来てもらえません。 アクセス△のマルシェでは、何が行ってみる理由になり得るのか。 これはマルシェに限らず、人が地方へわざわざ行く意味とはなにかを考えました。(=地方創生の永遠のテーマ) ここからは、筆者が、民間の資金のみで持続する地域活性事業を西脇で立ち上げた理由、つまり西脇にいかに可能性を感じるかと、エリアブランディングを行う上での個人的な考えを述べたいと思
大阪、神戸から1時間半、京都から2時間弱の兵庫の田舎で、マルシェイベントを立ち上げて、次回7/27(土)で三回目。 5/26の初回開催では、西脇市の育成デザイナー※1の2名が、このイベントをきっかけに自身のアパレルブランドを立ち上げました。主催側も、ブランド側も初めて同士で、出店者が欲しい立場と、何かの機会に出店、お披露目をしたい立場とで、利害が一致したお陰です。二人のブランドがずっと成長した後であれば、初回のマルブンノイチに出店してもらうには似つかわしくなかったかもしれないし、(二人ともすばらしいコンセプトとクオリティのブランドなので、そんなことはないだろうが)反対の立場であれば、出店をお断りしたかもしれません。 幸い、二人とも確かな手応えと実際の売上を掴んでくれました。 和室の出店ブースで、もともとこの建物にあった和家具を使っている。 主催側と出店者側の成熟度、知名度、集客力、そして(
大阪、神戸から1時間半、京都から2時間弱の兵庫の田舎で、マルシェイベントを立ち上げて、次回7/27(土)で三回目。 目的客/来場者数=? 6/29土曜日、天候に味方されながら2回目のイベントを終えました。2回目といっても、初回は「播博」※1 と同日開催のおかげで集客面は心配に及ばず、今回は初めてのマルブンノイチによる単独開催だったので、最初の山場、ほんまにちゃんと集客できるのか?そんな高い服売れんのんか?そんな不安の中、台風が来るとか来ないとかの追い討ち。 が、何人かの晴れ女のお陰とビギナーズラックで、10時〜16時の開催時間は雨が上がって晴れ間すら見えてきて、集客面も自分たちなりに及第点で、盛況のうちに終えることができました。関係各位、出店者、お越しいただいたみなさまへ感謝申し上げます。 旧商店街一帯※2 に回遊していた人の数は、播博開催時には遠く及ばず、来場者は約700人程度だったかと
水槽から漏れる青緑の光がきれい、地元民も意外と知らないこの喫茶。ドアを前に入る勇気がない、でも思いきって入ってからは常連。居着いてしまう店との出会いってそんなもんですよね。 昔は深夜2時まで営業!そんな夜中に誰が来てたん「うちのことどうして知ったったの?」と優しく話しかけてくださって会話が始まったら、東京は高円寺にある「アール座読書館」を少し想起させるような静かで張り詰めた(ように思えた)この空間が、途端にやすらぎに感じはじめた。 水色のチェックのエプロンの加藤和子さんは、昭和10年生まれ。創業からずっとこの店を切り盛りされている。 ーーーー「このお店はもう長くやられてるんですか?」 「うん、昭和30年からやからもう60年以上やねえ」 昔は毎日深夜の2時まで営業、お隣の「西脇温泉」に入ってから来るお客さんに合わせて、遅くまでやっていたそうだ。 「そのかわり朝は遅かってん。だいたい10時から
入口の木戸には無数のステッカー。遠目に見たら地下ライブハウスの壁。でも建物は築100年以上にもなる木造のやさしい建物。ギャップ。。。 お店に入ろうとドアを開けるころには、ステッカーの正体がわかります。 「まけんグミ」「三角くじ」「焼!ほたて貝ひも」どれもお菓子の空き箱を切り取って貼ったものでした。それに紛れて「青少年を守る店」のステッカー。地域に根づいて、何十年もこの場所で大勢の子供たちに愛されてきたことが、日焼けして色の褪せたお菓子のステッカーから察せられた。 お店を守ってきたのは、村井敏子さん。御年83歳だそうです。 「わたしはこの家の出ぇでね、昔はすぐそこが駅やったからねえ。わたしらの遊び場でしてん」とお話をしてくれました。 お店を続けていく思いとは鍛冶屋線※1が通っていたころには、「市原駅」から徒歩すぐのこの店は、学校帰りの子どもたちも通うなど賑わいがあったが、廃線とともに少しずつ
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