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村から政治犯で逮捕者がでたらしいので思い出を 語っておきたいと思う。 なぜ10月の「犯行」なのに今このタイミングで 捕まえるの? という感想を多く見た。 いやがらせだろう。 「21日の東京ドーム。いけなくなっちゃうよ?」 こんな感じでやんわり、脅されてるはずだ。 年末紅白カウントダウン初日の出お正月を娑婆で 過ごせなくしてやってもいいんだよ。というのは 善良な日本人にとっては、かなりの重圧だった。 「もう素人感覚じゃすまないよ。遊びでやってん なら引き返せるのはいまのうち」 覚悟を問われてるのだ。 もっとも、覚悟したらどうなるという話でもない のだけれど。 不当逮捕じゃないの? 沢山のひとが言ってる。 ただし、これは伝統的な左翼の歴史観からすれば 誤った問題のたてかたでしかない。 「表現の自由の範囲内か否か」や「逃亡の恐れも ないのに…」や「通行して何が悪いんだよ」的な 話は全て、現行法を
家の門をでて右側、道の向こうに見える丘の上に 小さなショッピング・モールがあった。 そのころですら、ずいぶんこじんまりしてる感じ だったのだ。いま行ってみたら、なおさらだろう。 2階だての吹き抜けな商店街が十字に組合さって 10軒づつくらい専門店が並び、真ん中には噴水。 曇りガラスの3角屋根。鋳物の手すり。 1960年代末に建てられたこのアーケードには 訪れる客たちが地球の裏側を忘れずにいれるよう ロンドンの公園の名前がつけられてた。 同じ名の公園や施設は、あの大陸のいたるとこに きっとまだ、あるに違いない。 危ないから絶対に家の門から外へでてはいけない。 きつく言われてたにも関わらず、たった1どだけ 歩いてったことがある。 車ならほんの数分なはずなのに、永遠につかない。 途中でなんども後悔した。 自分のほかに道ゆく人など、もちろん誰もいない。 歩道の芝生を踏みしめる足元に伝わってくるのは
今年は春が遅かったせいか、夏至を控えた青空は ただ高く、雲は陰深いのに、地上はところどころ 若草色が残り、まるでこのへんがまだ温暖化する はるか以前、70年代の雑誌ノンノやアンアンの グラビアで見たままのソフトフォーカスな諧調で 斧断ちの森は広がってる。 ひと月ぶりに東京を離れ、またここへやってきた のだった。 2年まえに見た渋谷のひとたちは、怯えてた。 あきらかに皆、他人を視界に入れまいとしてた。 突然ランダムに襲ってくるかもしれない災厄から 目をそらすように、雑踏を進んでた。 今と比べればずいぶん余裕があったはずなのだ。 でも世の中はどうにもこれ以上、広がってく余地 ないみたいだった。うかつに声などかけようもの なら、ぴしゃりとはねつけられかねない。 うすら寒さがもう、どこかにあった。 1年まえに見た人々は、先祖がえりしてた。 道ゆくのは、人情本のページからタイムスクープ ハンティング
NHK特集「激震マスメディア」をチラ見てから ずっと考えてた。 番組では、例によって 「TVを見ない人がふえてる」 「外国では続々と新聞社がつぶれてる」 例のごとく 「ネットの影響力は増してくだろう」 おなじみのニューメディア論がくり広げられてた。 全ての未来予測がそうであるように、これもまた ピントが外れてると思う。 ニューエコノミーはなにかを換えたかもしれない。 でも人々の根幹までは換えれなかった。私たちは (メディアに影響を受けてるというより)むしろ 依存してるのだ。 問題点は、大きくわけて2つ。 1)ネットと(旧来の)メディア マスコミは限られたスペース。情報の取捨選択。 価値観の一方的な押しつけに、つながる。でも ニコ動は記者会見をダラダラ流せる。視聴者は 膨大な情報量の中から「自分にふさわしい物を」 選びとってけばいい(インタラクティブ)。 実は本人たちが思ってるほど、両者は違
68年の性革命。その後80年代に絶頂を迎えた 恋愛至上主義。これらの夢が潰えた地点が、あの 高原のコテージだったとは。 社会不正や差別について少しでも真面目に考えた 経験のある者たちは、同じ壁へ突き当たってた。 そもそもは女を、消費財として交換することから 始まってるわけだからして、王さまの首を切った ところで、根源的な解決には繋がりそうにない。 世界を換えるにはまず、意識を変革せねばならず そのための最も適切でかつ平和的、皆から賛同を 得れそうな手段こそが、家族制度のリモデリング だったのである。 男女は平等とされ、互いの合意をもって結びつく。 とはいうもののこれは、平等を得るために自由と 勝手に任せるという、逆説を孕んだイデオロギー であって、サブプライムと同じ問題点を抱えてた。 1)家を持てない貧乏人を、この世からなくそう。 これが証券化バブルの建て前だった。 愛情というルールは、万
なんでこんなとこにお茶おいてるんです? −静岡のお茶よ。いれたばかり(右手の坂うえを 指さす。10人ほどの夜警たちの背中。蛍光色の ベストがゆれてる)のみなさい? もうそんな季節に…お巡りが混じってますね。? −そうなのよ。引ったくりが(と説明はじめる) 赤坂のほうでもあったんですって ウチはむこうがわだから渋谷ですけどね。3ねん くらいまえにあったかなぁ…でもコドモだったて はなしでしたよ。あとから聞いてみると −オウムんときはこの辺だけでまとめて18けん あったんだよ。ほら、新聞やのバイクがいっぱい きたろ? あの群れんなかに盗賊もまじってくるわけですか。 でもさいきんじゃお店、どこもガラガラでしょ? そこにできた鉄板焼きのチラシ、森英恵のまえで くばってましたよ −家賃が高いからねぇ…じぶんでもってりゃいい けど、今じゃ2ケタちがうんだよ(しばらくの間 どこが潰れた、どこの支払いが滞
私ほど、軽佻浮薄な人間もいないと思ってた。 単に、流行りモノが好きなだけではない。これは むしろ、信仰の問題ではなかろうか。 世の中には2つタイプがあって、それぞれ2つが セットになってる。たいていの人は できなかったこと−できること 例えば「昨日はお目にかかれず申し訳ありません」 みたいなメールを、送ってよこす。 「来週でしたら、いかがでしょうか?」 必ず、そう添えて。 でも私は有りえなかった過去に興味などないのだ。 そんな話は聞きたくない。 だいたいよく、わからくなってきてるんだし。 できる−それ以上 が、コンボだから。なんとかして、可能なことを 超えてきたい。一寸、散歩にでかけたはずなのに 途中でバーゲンにでくわし、アフガンハウンドを 買って、つれ帰ってきたい。 どうせなら毎日、このくらいの展開がほしいのだ。 いつもわくわく、キラキラしてたい。 決して強欲ではないが、貪欲だとはいえよ
歴史を止めれるのは、ムラーニャの短刀だけだ その名に恥じぬ、輝きを放ってみせるといい −ボルヘス− ボルヘスの「叙事詩」とは、たとえば上記の様に 主人公が人間でなく、ナイフに代表される「物」 だったりする説話体系をさす。 ひとかたまりの鉄が、刃へと鍛え上げられ闘いへ 赴き、打ち棄てられ、時を経てまた歴史を作る。 最終的には人智を超えるのは、美しき魂でも偉大 なる精神でもなく不可思議な物体、即物なのだ。 東京に戻ってきてからも、暇な時間をみつけては 「ロシヤ年代記」をめくってる。 この論法でいくと、年代記の主人公はブロンドの 騎士たちではなくロザリオである。 ほぼ1ページに1回は、彼らが「十字架に口づけ」 するシーンがでてくるのだ。 年代記は正史だから、いってしまえばえげつない。 マイケル・ジャクソンのPVみたいにてんこ盛り。 (教化のためだからして)とりあえず今、使える テクニックは全て入
ちょっと前からふりかえってる80年代の流れで ETV「絆・恋愛至上主義のはてに」を見てた。 まことしやかに世界の滅亡が囁かれ、郷ひろみが 渋谷の路上で無許可で歌い、美容師がカリスマと 呼ばれはじめた年の夏に、放送された番組。 焦点となってるのは石油ショック以降、性革命と 政治の理想に挫折した人々が、より内向的になり 恋愛や同棲へと救いを求め、それが個人主義への 道をひらき今へいたるという、現代日本人の感情 教育の歴史である。 いわゆる恋愛マニュアル文化において、いったい 我々はどんな行動原則のもとに、苦しみの周りに 夢という名の繭を、つむいできたのか。番組では 同時期を代表する恋愛の教祖−松任谷由実の歌と それらに影響をうけた人たちのコメントを通じて 時代精神をさぐってく。 しばしば「ベタ世紀末」と形容される21世紀の プロトタイプだった、あの年。社会のあちこちが 悲鳴をあげてた。でも口調
id:hokusyu さん経由。 それは簡単な話で、日本はご存知 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 の国だからである。皆で渡らないと何が怖いかに ついて、大半の者が 「クルマ」 と答えるだろうが、それは間違ってる。この国の 市民社会は、江戸時代から互いを監視することで なりたってる。近年とかく話題になりがちだった パノプティコンも街頭防犯カメラも田代神も全て その土壌に華ひらいたにすぎない。北野武は下町 出身だけあって、そのような習俗の闇を直観的に 理解してたのだ。 つまり、ぬけがけして逃げださないように互いを 嫉妬でがんじがらめにして、判断を下せないよう 力を奪い合ってるのである。 以下抜粋 「それでも一人で逃げたやつが出るか?というと 逃げたのは一人もいないんだ。しかしドイツ人と 一緒になってみると、やつらはみんな逃げてる。 シベリアにつれてかれるとわかった時に、みんな 撃たれても、ど
id:takopons さん。拙ブログは基本、携帯からの 書き込み専となってまして、お手軽なidコールで 失礼をいたします。どうぞご容赦を。 すでにブクマで語ってますが、あのエントリーを 最初に読んだときの、私の感想は 「デートで男の車に乗りこむのに『失礼します』 てのはナイスだよな」 ぐらいのもんでした。 消えてしまってますが、エントリ主さんもここが たいそうお気に入りなポイントだったみたいです。 たしか 「こんな礼儀正しい、おしとやかな女のひとが・・」 みたいなことを書いてらしたように記憶してます。 ところが元来、底意地の悪く世界1イケズな私は 決してそうは思わないわけです。むしろ 「そりゃ反対だろ、お前が『礼儀知らずだ』って さされてんだよ」 と感じました。なぜなら、ひとは背後に立つ者に 「失礼します」 と言葉をかけたりはしないからです。 「ああ、この男はデートのとき、車の助手席ドア
ネットではさんざん、読んでたけど。 「希望は戦争」 てひとに、リアルではじめてお目にかかった。 主張はすべて、どこぞのサイトのうけうりである。 就職氷河期でロクにチャンスがなかった。現在の 日本は、富が集中してる。 戦争さえおこってくれたら… ホリエモンだいすき。てとこまでそっくりだった。 このようにルサンチマンを率直につたえれるのは 立派だと感じた。 主張そのものは、べつに新しくもなんともない。 「戦争こそ、人間を同等にし、大衆に自分を尊敬 させる機縁となる」 ドストエフスキーも書いてる。 「革命なんかじゃ、ダメなんだ」 とも。 ギャンブラーだけあって、チャンスというものに 敏感に反応してる。 つまりこの議論は、運、機会みたいに純粋な量を 問題としてて、質についてはすっ飛ばしてしまう いささか素朴な、それゆえにアピールしてるのだ。 サイコロふるのにテクはいらない。 貧乏人ほど、社会参加の
うわさにたがわず、Kは有名病だ。 宣材の、どの写真を見ても、だれがモデルくずれ かはすぐさま分かるというのに、のこりはすべて 昼間はOLさんの、アルバイトにしか思えないと いうのだから。 「いやぁ。。それでも大半のしっかりしたウチの 娘さんは、あいかわらず真面目なんだと思うよ。 昔とかわんないって。そういう割合は」 煽ってみると 「おめぇによぅ、そんな言われるなんて…」 ご立腹である。 「そりゃわたしもね、どっちのがはたして、よい 世の中なのか、はかりかねてるとこはありますよ。 でもね、信じてればなんとやら、ってのもあるん だし。ほらイタリアのこなんか、イキそうになる と昔の(らしき)男の名前を、思いつくがままに 耳元で、ささやいてくれるって話ではないですか」 有名病は、時代のペストである。 ソレルスは 「存在するとは、人々の話題に上るということだ。 マスコミは、かつての宮廷なのだ」 そう
今回の件をふりかえって どっちもどっちだと思った。 昨日のだいたい今ごろ、はじめて「弁護士がどうだの こうだの」という、マルコ氏のしたカキコミを見つけ 「こりゃ穏やかじやないね」と、とりあえず対応した。 1)カノセ氏はポイントを送るなどという手段で既に 消えてしまった内容を確認しようと試みていた。 2)ワキが甘いと感じた。 3)当然どんないいがかりをつけられるかわからない のだから、まずは事実関係を確認してからにするべき である。 4)ただ、そうとばかりも限らない。「関係ねーよ」 と、トバシ記事を書く場合。証明責任は向こうにある とだけ言って、つっぱねてればいい。事実は1つしか ないんだし。 5)というかそもそもこの発言はわたしのしたものを コピペでひっぱってきてるだけなんだから、わたしに 問い合わせるべきだと思う。本来なら記事を書く前に やるべきだし、モメてからでもいっこうにかまわない。
全篇ほぼノンフィクションだと言われてる 「叶えられた祈り」のなかに 「おぉ…きみはまるで、ドストエフスキの 小説にでてくる登場人物みたいじゃないか!」 というセリフがあって、かねがねいったい どんな感じのひとなんだろ?と思ってた。 ようやく「はてな」で発見。 マルコ氏は、悪魔にとりつかれてるだけで 罪はないのだ。 このような、ぱっと見は複雑そうにうつる が、じつは表面しかない人物は貴重である。 しばらくはブクマ中心に、面白そうな人を 収集し、そのキャラを探ってきたいと思う。 どこかでマルコ氏は、介護に携わってると いうような発言をしていた。 これは「職業病」ではないだろうか?
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