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降誕祭(12/25)から公現祭(1/6)の十二日間にわたって多くの教会で行われていた「驢馬祭」あるいは「愚人祭」は、世俗的、涜聖的な要素も受け入れる中世の教会の大らかな側面を典型的なかたちで示す宗教儀礼である。これらの祝祭で執り行われていた儀式では、例えば貧民たちの象徴だったロバを讃えるミサを行う、幼児たちの司教として聖歌隊の子供を選出するなど、社会的役割が転倒する《逆さまの世界》が常に提示された。日常の秩序をひっくり返す無礼講の祭であったにもかかわらず、これらの祭の出発点が教会のなかにあったことには注意する必要がある。「驢馬祭」は、世俗の一般信徒たちによる教会的秩序への異議申し立てではなく、助祭や副助祭、あるいはもっと身分の低い聖職者たちによって、彼ら自身のために執り行われた祝祭だった。一般信徒も、聖職者に混じって儀式に参席し、儀式のあとに行われる行列に加わり、町中を行進した。しかしこれ
登場人物の類型化が進むと、心理的な深みは乏しくなっていく。われわれが聖史劇や道徳劇のテクストに今一つ面白みを感じない大きな理由のひとつは、これらのジャンルの登場人物がもっぱら類型として提示されているからだろう。この点について、中世末期の「長大な劇形式ジャンル」の美学は、精緻でリアルな人物造形に慣れたわれわれの感覚とは離れたところにあるのだ。類型的な人物を演じる聖史劇の俳優たちの演技は、そのテクストと同様に、やはりニュアンスの乏しい平板なものだっただろう。 人物描写の単調さに対して、聖史劇のテクストにはしばしば非常に凝った詩的技巧が用いられた。アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュなど、聖史劇の作者のなかには《大押韻派》*に属する詩人もいて、複雑な韻の組み合わせを追求することで驚くべき文体的名人芸を示すことができた。もっともテクストの施されたこうした詩的妙技は、彼らにとってほんの気晴らし程度のものだっ
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