サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
newsnews.exblog.jp
小沢一郎民主党幹事長の資金疑惑問題に関連し、ここ数日、報道の表現方法が微妙に変化を始めている。多くのみなさんも、それに気付いていると思う。例えば、これまでは「……ということが関係者の話で分かった」となっていたのに、「……と供述していることが石川容疑者側の関係者への取材で分かった」「……ということが小沢氏側の関係者への取材で判明した」といった表現が増えているように思う。とくに、2、3日前からのテレビのニュースでは、この種の表現が間違いなく増えている。 「検察情報の垂れ流しではないか」との批判に対抗したものだと思われるが、しかし、相変わらず、「……ということが東京地検特捜部の関係者への取材で分かった」という例は、ほとんどない。「地検関係者」「捜査関係者」もほとんどない。「地検関係者への取材で分かった」といった書き方をすれば、おそらく、東京・司法記者クラブの地検担当記者たちは、かなりの確率で「出
小沢氏疑惑の一連の報道を眺めながら、あらためて検察・警察の捜査とはなんぞや、といったことをつらつら考えている。 魚住昭氏の「特捜検察の闇」の中に、こんな一節が出てくる。大阪・東京両地検で特捜部の検事だった田中森一氏が、大阪地検特捜部で大阪府庁の贈収賄事件を捜査していた1985年ごろの話である。大阪府では、1979年まで知事は黒田了一氏だった(1期目は社会党と共産党推薦、2期目は共産党推薦)。 <以下引用> ……強制捜査の着手には上司の決裁が必要だ。田中は手書きの報告書を携えて検事正室へ行った。当時の検事正は「ライオン丸」というあだ名の強面の男だった。 田中は報告書を差し出し、捜査経過を説明し始めた。検事正はさっと報告書に目を通した後、両切りのピースを一本取り出した。それでテーブルをとんとんと叩きながら、いきなり怒鳴った。 「たかが5000万円(のわいろ=高田挿入)で、お前、大阪を共産党の天
久々にエントリを2本書き、風呂に入ってさっぱりして、再びパソコンに向かったら、先ほどの「リークと守秘義務」に、早速、コメントを頂いた。vox_populi さんからで、「今回の記事、残念ながら賛成できません。小沢氏の今回の事件に限らず、検察・警察からリークされた情報はもっぱら、起訴以前の容疑者を真っ黒く塗り上げることにのみ役立っている。現状はそのようだと言わざるをえないからです」と書かれている。 もっぱらリーク情報によって、起訴前、逮捕前などに「あいつは悪徳政治家だ」「悪徳弁護士だ」という風潮が作られ、その方の社会的生命を絶とうとする・絶ってしまう事例は、枚挙に暇がない。vox_populi さんの言うとおり、そんな報道なら要らないと私も思う。捜査段階の情報がいかに当てにならないかは、事件取材を少しでもかじったことのある人なら自明であろうし、一般の読者であっても首をかしげることはしばしばだ
日本のメディアは、本当に「事件」が好きだな、と思う。質的にも量的にも事件報道の過剰ぶりは、日頃から強い違和感を抱いている。ほんとうに、分量多すぎ、である。しかも移り身が速い。次から次へと事件は消費されていくから、例えば、数カ月前はどんな事件が紙面に踊っていたか、すぐには定かに思い出せないほどだ。 たしか、昨年の秋頃は、埼玉や鳥取の「婚活詐欺」「婚活殺人」で非常に盛り上がっていた。朝日か読売か忘れてしまったが、第一報は1面だった記憶がある。1面掲載というくらいだから、たぶん社会を揺るがす大事件だと編集責任者は思ったのだろうけど、あれは、その後、いったいどうなったのか? このところ、新聞は「小沢疑惑」一色である。 小沢氏の資金問題に関する各紙の記事を読んでいて、「おんや?」と気付いたことがある。たぶん、とっくに大勢の方が気付いていると思う。それは「原稿の書き方」である。裁判員制度の導入に際し、
小沢疑惑関連で、もう一つ。検察リークを鵜呑みに、それを無批判に報道することの、あまりのひどさに、東京地検特捜部の関係者を刑事告発する動きがあったらしい。「国家公務員第百条第一項の守秘義務」に違反した、という容疑である。 今回の局面では、こういう動きが出てくるのも当然だろうとは思う。民主党を中心とした連立政権誕生以降の捜査の動きを観察していれば、多くの人が強い違和感を抱いたはずである。仮に報道する側が「地検は正しい」と思ったとしても、そうは思わない国民が多数いるのは事実である。だとしたら、国民・読者の疑問に答えるのが報道機関である以上、検察の動きに批判的な識者の声を集めるといった程度の工夫はあってもよい。 で、話は戻るが、検察のリークをけしからんとして、それを罪に問おうとする動きには、私は若干の疑問を持つ。相手が捜査当局であれ、一般官庁であれ、取材活動においては、情報を引き出すのが記者の仕事
鳩山首相の就任会見が「開放」されなかったことについて、あちこちから激しい批判が沸き上がっている。会見は広く開放した方がいいに決まっているから、批判は当然である。 記者会見オープン化の公約を破った「怪物」の正体 記者会見をオープンにするのは簡単なことですよ 大メディアが黙殺した鳩山首相初会見の真実 ところで、そんな最中、外務省では、きのう18日、岡田外相が会見の「開放」方針を表明し、あっさりと大臣会見の「開放」が決まった。又聞きではあるが、その外相会見では、早速、「週刊プレイボーイですが」と手が上がったらしい。外務省が作成した「大臣会見に関する基本的な方針について」は、以下のように書いてある。「歴史的な出来事」なので、全文を記しておこう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.外務大臣は、原則として毎週2回、外務省内で定例記者会見を開催する。国会開会中は、これ
盛夏の前、ある大学でジャーナリズムを学ぶ学生さんたちを相手に講演したり、ゼミで話したりする機会があった。ロンドンでの仕事のことや最近の報道に関することなど、あれやこれやを話したのだが、そうした中で私が最も力入れた話題の一つが「事件報道」である。 なぜ、「事件」はニュースになるのか。 政治家や官僚、大企業など、いわゆる「権力を持つ人」が絡む犯罪は当然、ニュースになる。これに異論はあるまい。また、末端の公務員等がその職務に関して何らかの犯罪に手を染めた場合もニュース価値はある。私が問題にしたのは、そうしたケースではなくて、一私人の、チンケな犯罪について、である。新聞をひもとくと(ネットもそうだし、テレビもそうだが)、単純な窃盗、傷害、万引きと紙一重のコンビニ強盗(事後強盗)、ハレンチ罪など、あらゆる犯罪がニュースになっている。当事者や近親者ら以外はほとんど関心を持ちそうもない事件が、活字や映像
例によって、またまたブログの更新をサボっているうちに3カ月が過ぎてしまった。早いものである。前回のエントリは梅雨前だったのに、もう夏は終わり、自宅の周りでは、コオロギも鳴いている。東京の朝晩は完全に秋になった。 総選挙で民主党が圧勝し、新内閣が来週発足する。それに伴って、記者クラブ問題がどうなるかが注目を浴び始めた。主要新聞・テレビ等が、政権交代に伴う記者クラブ問題をほとんど報じていないので分かりにくいが、ネット上ではフリーランスの方々が、いくつかそれに関する論考を提示している。 ■大手メディアが決して報じない、「メディア改革」という重要政策の中身 ■鳩山新政権は記者クラブ開放という歴史的な一歩を踏み出せるか ■「記者クラブ開放」で日本のジャーナリズムは変われるか? 組織の生き残りを賭け、メディアの新たな競争が始まる 民主党代表等の会見はこれまで外国メディア、フリー記者らにも開放されてきた
サッカーに関心のない人にはどうでもいい話かもしれないが、欧州サッカーのチャンピオンズリーグ決勝が先頃、ローマであり、FCバルセロナが、マンテスター・ユナイテッドを2-0で破って優勝した。 このFCバルセロナに、仏のリリアン・テュラムという選手がいた。サッカー好きの方なら、たいていは知っていると思う。仏代表選手として、ジダンらとともに一時代を築き、確か、仏代表としての出場記録も持っている。昨年8月に現役を引退した。仏の海外県、カリブ海のグアドループ諸島の出身で、9歳の時、パリ郊外に移り住んだ。社会問題にも積極発言をすることで知られ、「サッカー界の哲人」とも言われている。そんな、黒人選手である。先日、立教大学で学生さんたちの少人数の集まりがあり、そこで話をした際も、「ロンドン勤務中のインタビュー相手で最も印象に残った人」として、テュラム選手のことを紹介した。 例えば、彼は、こんなことを話すので
すでに、いろんな方がいろんなところで評価しているが、共同通信による「60年安保の核密約」記事は、なかなかのヒットだった。配信を受けた新聞社の中で、東京新聞は1面、北海道新聞も1面。ほかにも多くの地方紙がこのニュースを大きく扱ったようだ。(私に見落としのない限り)全国紙の朝日新聞、読売新聞は、この件を全く報じていない。毎日新聞は「一部報道を官房長官が1日の会見で否定した」という形で報じたが、せめて、最低でもそのくらいの記事にはすべきだろう。「一部報道」という引用のやり方も、いい加減に止めたらどうかと思うが、まったく無視することはなかろう。 そして、である。この共同通信の記事が配信された後の、外務省の記者会見が、会見記録のテキストを読む限り、どうやら、全く盛り上がっていない。ふつうなら、スクープされた怒り・情けなさもあって、容赦ない質問が飛び交う、、、ものだと思っていた。しかし、実情は違ったよ
民主党・小沢前代表の秘書が逮捕された事件に関連して、ニューヨーク・タイムズが、日本メディアのヘタレぶりを記事にしている。欧米の新聞にも相当にひどいものはあるし、「さすがニューヨーク・タイムズ」とか無原則に褒めるつもりはないが、こういう記事を読むと、やはり、ため息の連続である。 記事は、「In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening」というタイトルで、原文はここにある。内容については、「金融そして時々」さんのブログ記事、 「ニューヨーク・タイムズ、検察に媚びる日本の新聞を切る」に詳しい。要するに、「小沢スキャンダルのとき、日本のメディアは検察当局からのリークを垂れ流しただけじゃないか」というものだ。検察の捜査に疑問を差し挟む報道はほとんどなかったじゃないか、と。この記事の中で、上智大学の田島教授は、メディアは本
もう10年強も前の話である。 私は当時、東京・日本橋の日本銀行記者クラブ(金融記者クラブ)に所属していた。日銀の記者クラブは、日銀の正面に向かって左側の、背の低い建物の1Fにある。ちょうど北海道拓殖銀の破綻処理が進行し、日本債券信用銀行(日債銀)や日本長期信用銀行(長銀)の経営不安が表面化し、各社が激しい取材合戦を繰り広げていた。日銀クラブ詰めの記者は、民間銀行だけでなく、日銀本体や生保も損保夫もカバーしているから、やたらめったら忙しい。しかも、「大蔵省・日銀の接待汚職事件」も起きた。日銀が東京地検の家宅捜索を受け、総裁が辞め、新総裁に先日亡くなった速水優さんが就任する、そんな慌ただしい日々が来る日も来る日も続いていた。 そんな最中のことだ。 ある晩、ある他社の記者と神田で飲んだ。そして「おたくの記事は間違いや飛ばしが多いねえ」とか、適当にからっていたところ、彼が突然、「弁明」を始めたので
裁判員制度と報道の関係は、どうあるべきか。それに対する報道機関の姿勢を問うような「逮捕劇」が、裁判員制度がスタートしたまさにその日に起きた。「中央大学教授殺害事件」での、元教え子の逮捕である。 それを伝える新聞やテレビを見て、違和感を感じた人も多いのではないか。 裁判員裁判の開始に向けて、事件報道のあり方を変える。新たな報道指針をつくる。そういったことをマスコミ各社はうたっていたはずなのに、実際の報道は、これまでとほとんど変わったところがないように思えるからだ。新聞に限っていえば、確かに各社は工夫を凝らし、記事表現の方法を(一部ではあるが)変えている。「・・・と供述していることが、捜査本部への取材で分かった」というスタイルは、その典型だ。各社によって表現方法の際はあるが、これが裁判員制度下での記事表現で、一番目立つようになったスタイルだ。 この種の表現は、これは捜査当局への公式発表ではあり
職場での私の肩書きは「国際部次長」という。要するに、「デスク」である。国際部にはデスクが3人いて、原稿のチェックだとか、現場への取材の指示だとか、今後の紙面をどうするかとか、何を一番のテーマに取り組むかとか、そんなことを話し合ったり、そんな日々を過ごしている。 一番、時間を割くのは、原稿のチェック作業である。これが結構、しんどい。原稿をみることそのものは、楽しいが(もちろん書く方が何倍も楽しい)、つらいのである。何が辛いといって、目がつらい。何台かの端末をみていると、目が本当に疲れる。視力も急速に落ちた気がする。遠視も進んでいて、何かの拍子にすぐ、メガネを外したくなる。年なんだなぁ。。。私は先月、誕生日だった。49歳である。50歳の大台まで、残り1年もないかと思うと、まったく、愕然としてしまう。 情報流通促進計画の日隅弁護士との間で、何度かやり取りが続いている。日隅さんは、今度は 「委縮効
情報流通促進計画というブログを主宰している弁護士の日隅一雄さんが、そのブログで、「道新高田さんへの質問~孤高の虎でなければならないのでしょうか? 」というエントリを立てている。私が先日、自身のブログに書いた 「きれいごと」と「闘い」 に対する、質問というか、提案というか、そんな内容である。 その中で、日隅さんは、こう書かれている。 <私自身、耳が痛くなるが、果たして、この強烈な檄文だけでよいのだろうか。孤高の虎は、この檄文に応えることができよう。しかし、この世の中、虎ばかりじゃぁない。ウサギもいれば、猫もいるし、それこそ犬もいよう。それらの人に、虎になれといっても難しい。> <私は、高田さんに、ただ、檄文を書くだけでなく、マスメディアが世の中の労働組合を守り切れなかったことを反省するとともに、今後労働組合を強化し、あるいは、別の方法で団結を強化し、マスメディアでも編集部が社内的に少しづつ独
岩波書店の月刊誌「世界」に、神保太郎氏という筆名の方の、メディア批評が連載されている。毎回、もっともだな、と感じ入りながら読んでいる。ただ、一方では、「しかし」との強い思いが消えぬ。 時々、私はジャーナリズム関係の講演やシンポジウムを聞きに行く。先だっても都内の大学で、新聞労連の委員長さんも出席したシンポを聞きに出かけた。やはり、良いことを言っている。心底、そう思う。ただ、ここでも「しかし」である。 或いは、(とばっちりのような形になって申し訳ないが)、有名なガ島通信に最近、「草彅さん報道に見るマスメディアの病理」というエントリがあった。細かな部分には異論もあるが、だいたいにおいて、納得できる内容だった。まさに、日本の事件事故報道の病的症状は、末期と呼ぶに相応しいからだ。ただし、ここでも、「しかしなあ」と思うのである。 「世界」に連載中の神保太郎氏は、私の記憶では、連載初期、自分はメディア
日本への引っ越し準備に追われ、大忙しである。でも荷造りの休憩中に、ちょっと書き込みを。 共同通信の美浦さんが自身のブログ「ニュース・ワーカー2」で、<新聞発行への公的支援「日本でも一考に値」>という記事を書かれている。仏のサルコジ政権が新聞救済のため、18歳以下の若者は新聞をタダにするという考えを表明した、というニュースがあった。美浦さんはそれを参考に、日本の新聞への公的支援も一考に値するのではないか、と書いている。 私は、全く、一考に値しないと思う。 実に当たり前の話だが、新聞(政党機関紙等は除く)には種々の種類があり、種々の立場があり、種々の内容があり、それぞれに価値があるとしても、その大前提は「あらゆる勢力からの独立」ではないのか。新聞はもっと主義主張はあっていいし、政権等に対するスタンスを明確にしてもいい。しかし、そういう事柄と、政府等から金をもらうという事柄は雲泥の差がある。 第
少し前、高知新聞の編集局次長兼編集委員だった依光隆明さんが、朝日新聞にヘッドハンティングされ、話題になった。週刊文春12月4日号が「朝日大赤字 51歳地方紙エースを引き抜いて…」という記事を掲載していたから、記憶している人も多いと思う。依光さんは、2001年に「高知県庁の闇融資事件」取材班代表として日本新聞協会賞を受賞している。依光さんのような「大物」の転籍は、日本では非常に珍しい。 数日前のある晩、その依光さんと東京で会い、酒席を一緒させてもらった。高知は私の郷里でもあり、依光さんとは、以前から時折会って、種々の話をさせてもらっている。3歳年上の依光さんは、本当に自由奔放な発想の持ち主だ。新聞・ジャーナリズムに対する情熱と、そして危機感は相当に強く、しかし、それを明るく、ひょいひょいと切り開いて行くような、独特の雰囲気がある。 依光さんの発想は、最近出版された 「『個』としてのジャーナリ
ロンドンは11月3日から日付が変わり、4日になった。いずれにしろ、真夜中である。雨が音もなく降っている。 そんな秋の夜長、例の麻生首相邸見学ツアーの逮捕の模様を、あちこちのサイトで見た。 (1)「渋谷事件」の争点と総選挙 (2)なんだ、なんだ、だまし打ちジャン。⇒「渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前」に公安のタコが映っちゃってるぞ(笑) (3)〔動画〕麻生邸見学「デモ」主催側は警察官と事前打ち合わせ いくらなんでもひどすぎる、という見本のような「事件」である。「公安」VS「デモ隊」と言えば、公安警察官がどさくさの中で勝手に転ぶ「転び公妨」が、しばしば行われていた。要するに、警察の自作自演であり、事件を「つくる」のである。事と次第によっては、それが許容される場合もないではない、と思う。 しかし、今回の「渋谷事件」は、ビデオ映像などを見る限り、警察官による単なる弱い者イジメでしかない。巨
これを見たとき、最初は何かの冗談ではないのか、と思った。しかし、どうやら本気らしい。 「MSN産経ニュース」が、あたなの判決を募集する、というのである。 【あなたの判決は?】歌織被告は無罪? 懲役何年? あなたはどう裁く…28日判決を前にアンケート (以下は引用) あなたはどう裁く-? 東京都渋谷区の外資系金融会社社員、三橋祐輔さん=当時(30)=の切断遺体が見つかった事件で、殺人と死体損壊・遺棄の罪に問われた妻、歌織被告(33)の判決公判が、今月28日に東京地裁で開かれます。懲役20年を求刑する検察と無罪・医療観察処分を求める弁護側が真っ向から対立する中、MSN産経ニュースではあなたの判決を募集します。 前回の公判(4月10日)で検察側は「完全責任能力があった」として懲役20年を求刑し、弁護側は責任能力を否定して無罪を主張。真っ向から対立する中、判決に注目が集まっています。 MSN産経
「ついに」というか、「とうとう」というか。毎日新聞の北海道支社が記者ブログを、それも北海道で活動する記者全員(カメラマンも含む)を、立ち上げた。毎日新聞の社告を下に、少し、引用する。その中で、「記者ブログは既に多くの新聞社が始めていますが、一つの地域の記者が一斉に取り組むのは国内で初めての試みになります」とうたっている。 <以下引用> 社告:「大盛りほっかいどうブログ」来月2日開設 一地域の記者一斉参加 /北海道 ◇読者とより密接に--国内新聞社、初の試み 毎日新聞北海道支社は7月2日「大盛りほっかいどうブログ」を開設します。ブログには道内で活動している記者41人全員が参加し、ニュースのこぼれ話などをつづります。記者ブログは既に多くの新聞社が始めていますが、一つの地域の記者が一斉に取り組むのは国内で初めての試みになります。 ブログタイトルは北海道支社のニュースサイト「大盛りほっかいどう」に
今も時々、「どうやってブログ開設の許可を会社から得たのですか」という問い合わせが来る。もう2年以上も前の話だが、私の上司に、ネットに関心の深い方がいて、ブログを作ってみたいと言う私に対し、「面白そうだな。やってみて、時々状況を教えてくれよ」との返答をもらったのが最初である。この上司はその後も、社内のブログとネットに関する勉強会にも度々顔を出され、居酒屋でもこのテーマでよく議論した。 始めてみたらブログは意外と面白く、ただでさえ忙しい仕事の後、せっせ、せっせと記事を書き、コメントにも対応していた。記者ブログが、まだ珍しがられていたときだったから、余計、そうだったのかもしれない。「新聞協会」という業界団体などからも、ネットに関する勉強会に呼ばれ、思いつくままに種々のことを語っていた。 で、最初のころ、どんなことを考えていたのかを、ここに残しておきたい。新聞協会の依頼で、雑誌「新聞研究」に寄稿し
ある方からメールが来て、「すごいことになっている。高知は日本の独立国か」と教えてくれた。高知は私の郷里だ。そこを後にして思うに、確かに、高知県人は反骨心というか、へそ曲がりというか、強い者に対する反発みたいなものを抱えている人は多いような気がする。 で、「独立国か」というのは、高知県警と橋本大二郎知事の話である。詳しくは、ココを中心に、高知新聞の「高知県警捜査費問題」を読めば分かるが、県警と知事の対立が深まっているようなのだ。簡単に言えば、以下のような話らしい。 捜査費不正はありませんとして、県警が行った内部調査に対し、知事が「どうも信用できない」と、地方自治法の調査権を用いて独自に調査した。その結果を知事側が発表しようとしたところ、県警本部長が大二郎知事に向かって、「公表すれば知事は危うくなる」「取り扱いを慎重にした方がいい」と言ったという。知事が記者会見で、自ら明らかにした。発言自体は
ぜんぜん知らなかったのだが、聞くところによると、東京の厚生労働省の記者クラブは最近、そこそこ、オープンになってきたらしい。 新聞協会など加盟していないメディア企業の正式加盟は認めない・・・まあ、これは従前と同じである。ただ、クラブ内での記者発表、会見等に、加盟社以外の記者やフリーランス記者(個人記者)、雑誌記者、政党機関紙の記者などは事実上、自由に参加できているという。 そういう「部外者」の会見参加等については、「オブザーバー参加」という形を取り、参加はできるが質問はできない、といった、それこそ言いようの無いヒドイ慣習が残っていた。今でも、多くのクラブは、せいぜいが、この範疇での「オブザーバー参加」が認められる程度だろうと思う。国会内のクラブでは、「しんぶん赤旗」の記者が、共産党委員長の会見に参加できないという、笑い話のようなこともあった(たぶん、今もそうだろうと思う)。 日本のメディア界
私は二度、東京での勤務経験がある。最初は1998年春からの4年半、2度目は2005年7月からの半年間である。そのころ、大学時代の知人に頼まれ、時間に余裕があるときは、母校のマスコミ講座に講師として足を運んでいた。 「講座」と言っても、正規の授業ではなく、簡単に言えば、マスコミ予備校みたいな感じである。講座の終了後、二まわりほども年齢の違う若い学生さんと、界隈の居酒屋で、あれやこれや、わあわあと話す。それがまた楽しかった。他の学校に呼ばれた際も、その学校の学生さんらとの交流ができ、私には大きな財産だ。 で、ありがたいことに、「ロンドンに来ましたから」と言って、わざわざ声をかけてくれる人もいる。過日も、そんな一人と数時間、歓談した。彼はこの春から、記者として仕事をすることが決まっている。 そういう若い人と話していて思うのは、「記者人生」の時間の短さだ。今の日本の新聞社やテレビ局だと、取材現場に
昨年10月からブログへの書き込みを中断していた。特段の理由はなく、単にサボりグセがついただけだったのだが。 この間の昨年12月、出張でスペイン領カナリア諸島に出かけた。アフリカ西海岸のモーリタニア沖に浮かぶ島々で、欧州の人々は冬になると、怒涛のように、「避寒」に訪れる。私は行ったことがないけれど、気候・はハワイに似ているらしい。このリゾート地の中心、グランカナリア島のラスパルマスは、かつて日本の遠洋漁業の基地として栄え、最盛期には数千人の日本人が住み、日本人学校もあったらしい。いま、諸島に住む日本人は180人足らずだ。 カナリア諸島はいま、アフリカからの移民が殺到することで知られている。昨年は一年間に約3万人。対岸の大陸から小船を出し、海流に乗って島に着く。スペインは移民政策が甘く、「スペインに行けば、不法入国であっても、やがて、滞在許可がもらえる」との話が広がり、移民(=不法入国者)が殺
9月下旬は、英労働党大会の取材でしばらくマンチェスターに滞在し、その後も休暇でロンドンを離れていた。きょうはもう、10月5日。ロンドンは朝から雨模様で、今も雨粒が落ちている。 前回のエントリ(記事)で、オーマイニュースのことに触れた。もうオーマイニュースについては書かないつもりだと言ったけれども、前回のエントリに対し、当のオーマイニュース編集委員・佐々木氏から反論を頂いたので、再び触れておこうと思う。 佐々木氏の反論「オーマイニュースの記事への批判に答えて」は、オーマイニュースとは違う媒体に書かれている。何度か繰り返し読んだのだけれど、私の言いたいことは、どうも十分に伝わっていなかったようだ。たぶん、私の拙い文章のせいでもあり、その点は申し訳なく思う。 オーマイニュースに対し、私が一番言いたかったことは、実は少し前のエントリ、「豆腐屋の四季」と市民型ジャーナリズム に書いてある。それを読ん
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ニュースの現場で考えること』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く