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大谷翔平
note.com/kdcl
前口上 昨年末にNetflixの『浅草キッド』が大ヒットしたが、ご存知の通り、この作品と同じ名の漫才師がいる。だが実は当のビートたけしは彼らにその名を与えてない。今回はこの機会に「なぜそんな事態になったのか」を記す。恐らく当の本人達も知らなかったであろう場面と経緯も織り交ぜ、ほぼすべての場に立ち会い、そこで見た事実を書く。 フランス座修行の復活と「ミスター“浅草キッド”」 ——1986年、俺はビートたけしの専任付き人“ボーヤ” 2年目に入っていた。かたやたけし軍団の二軍『たけし軍団セピア』は水島新司の子息新太郎とサード長嶋のユニット『おぼっちゃま』こそ独自にアイドル活動をしていたが、残りのメンバーは相変わらず軍団と共に殿のレギュラー番組に書き割りよろしく「TVに映っているだけ」の状態に行く末を案じ、焦っていた。 初期の『たけし軍団セピア』前列左が大阪百万円。後列右端が筆者現状の「タレントま
故7代目立川談志を愛する者なら“業の肯定”という言葉はご存じだろう。 俺がこの言葉を知ったのは、元立川一門であり1984年末の「軍団芸名一斉変更令」までは『立川談かん』の名で活動していたダンカン(ふんころがし)から、1985年3月25日に出版されたばかりの“『現代落語論』其二「あなたも落語家になれる」”を勧められてからだ。 ときに立川談志49才の著作。“其二”と断るぐらいだから“其一”もあり、それは29才である20年前に『現代落語論』として発刊している。 ──軍団に紛れ込んだばかりの頃、俺は何かと談かんと行動を共にしていた。殿の命で放送作家の仕事へも関わりはじめた彼の手伝でもと考え、始終くっついて歩くその姿から「立川小談かん」と揶揄されもしていた。時にふんころがし26才大道20才。 ある日、ダンカンがおもむろに幾分厚めな本をバッグから取り出し、柄にもなく照れながら「ほらこれ、これ」と示した
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