民主主義を手放しで褒め称える人たちに冷水を浴びせかける反論としてよく使われるのは、「ヒットラーは世界で一番民主的なワイマール憲法のもとで行われた選挙に勝利して首相になった。だから民主主義は独裁を生み出す」という話です。 ヒットラーを首相にした手段の一つが「選挙」であったという意味では、この話はあながちハズレというわけでもありません。しかし、選挙の後にヒットラーが具体的にどういうやり方で、人々に「もう抵抗しても無駄だ」という気持ちにさせる独裁体制を作ったかは、不思議と言及されませんし、思いの外知られていません。 1933年1月30日に首相に任命されたヒットラーは、その直後の2月2日に国会を解散してしまいます。続けて27日には、なんと国会議事堂放火事件が起こります。この時、議会が多党状態だったために過半数を持っていなかったヒットラーは、ヒンデンブルグ大統領に「ドイツ民族民衆の保全のための緊急命