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高温ガス炉の利点と問題点 高温ガス炉は黒鉛で中性子を減速し、ヘリウムガスで冷却する、出力ガス温度が900℃を超える原子炉である。高温ガス炉は幾つかの利点を持っており、注目されている。そうした場合、利点だけが強調される傾向がある。しかし、弱点や問題点にも目を向けておきたい。 ガス炉の歴史 日本で最初に導入された商業用の原子力発電炉はガス炉であった。これは英国製のコルダーホール型と呼ばれるものであり、黒鉛で中性子を減速し、炭酸ガスで核分裂反応熱を冷却するタイプである。この原子炉は東海村の原子力研究所(現原子力研究開発機構)に隣接する敷地に建設された。1966年に発電を開始し、1998年に運転を終了した(東海第一原子力発電所)。冷却材は炭酸ガスであり、原子炉から出てくる炭酸ガスの温度は350℃であった。発電量が16.6万kWと小規模であった。その後、我が国の原子力発電は軽水炉が主役となった。 初
女川原子力発電所が助かった理由 はじめに 2011年3月11日、東北地方の太平洋沖でM9.0の巨大地震が発生した。女川原子力発電所は震源地に近く、地震の揺れ加速度は大きかった。地震に伴って、高さ13mの津波が女川を襲った。この津波は福島第1原子力発電所を襲った高さ14mとほぼ同じである。 女川原子力発電所では起動中の2号機原子炉は地震直後に停止し、稼働中の1号機と3号機の原子炉は3月12日未明に冷温停止した。すなわち、女川と福島第1の間に非常に大きな明暗が生まれた。その理由を考えてみたい。見方を変えれば、福島第1と女川の違いから福島第1がレベル7の原子力事故に至った原因の一端が明らかになるはずである。 女川原子力発電所が地震・津波の襲来から何とか耐え、生き残ることができた背景には以下の3要素があった。 勇気あるサムライがいた (参考資料1) 三陸地方は津波の被害を何度も受けていたため、津波
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