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アメリカ大統領選
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ビジネス情報誌「エルネオス」5月号の巻末コラム<橋本テツヤの一針見血>で、自宅で老衰は変死扱い、と知った。 キャスターやコラムニストとして活躍する橋本テツヤさんは、4月13日あさ、101歳のお母さんを亡くした。羨ましいほどの理想的な死に方で、まさに大往生といってよかった。 とにかく、これまで大病を患ったことがなく、入院したこともなかったとか。したがって、かかり付けの医師もいなかった。 橋本さんのお母さんは、日頃、「あさ、眠るように亡くなるのが理想」といっていたという。そして実際、自宅のソファでテレビを観ながら静かに眠るように逝った。老衰である。 ところが、そのあとがたいへんだった。 かかり付けの医師もいないので、警察に連絡して事情を話したところ、「現場はそのままにして、決して遺体にふれないように」といわれた。 <30分ほどしてあらわれたのが、鑑識課員3人と刑事1人、地域課の制服警官が2人。
だれか、書くかな、と思ったが、だれも取り上げていないようなので、4日おくれながら、ひとこと。 元旦、菅さんは公邸で新年会を5時間もひらいていたという。歴代総理大臣のなかで、私邸はともかく公邸で延々と5時間も宴会をひらいていた総理は、おそらく菅さんがはじめてと思う。 国会審議や災害時の陣頭指揮というのならわかるが、一国の総理がひとつの行事に5時間も付き合うのは、やはり異常というか、みっともない。 公邸見学もあったらしけれど、こういう酒席は、長くとも2時間くらいでおひらきにするのが、総理大臣の品格、風格というものであろう。 多くの出席者が駆けつけたときは、それなりの時間が必要なので、なにも文句はいわないが、当日、公邸に集まったのはわずか50人。これは、やはり気になった。 公邸での新年会は、10年前に森喜朗さんが催してから、ずっとひらかれていなかった。菅さんが新年会を復活させたのは、小沢さんを意
講談社が発行する読書人の雑誌「本」(定価80円)を毎月、たのしみにしている。なかでも、二宮清純氏(スポーツライター)の連載コラム<新日本野球紀行>がおもしろい。 6月号の<新日本野球紀行>は、「伊東勤のWBCの総括」というタイトル。二宮氏が、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、原辰徳監督の参謀役(総合コーチ)をつとめた伊東氏(元西武監督)にインタビューしている。 連覇を達成した侍ジャパンだが、大リーグの福留孝介、城島健司の両選手が下位打線にまわされていたのは、よくわからなかった。この2人の選手については、ずっと関心をもってきた。熱烈なファンというわけではないけれど、いくぶん同情したい気持ちもあった。 二宮氏も同じような感想をいだいていて、伊東氏にこう尋ねていた。 <二宮 打順についてですが、メジャーリーガーの3人(福留、城島、岩村)が、ほとんどの試合で7、8、9 番を任されまし
トヨタとGM(ジェネラル・モーターズ、General Motors)の危機は、まったく中身がちがう。比較すらできないといってよい。約1兆2000億円の政府融資をうけるGMのワゴナー会長兼CEOは、「3月末までの資金はなんとかなる」と語ったそうだ。意地悪くかんぐれば、これだけの公的資金の投入をうけても、4月以降の資金繰りのめどはたっていないということではないか。その深刻さは、はかりしれない。その点、巨額の赤字を計上しても、トヨタに倒産の危機はない。 トヨタとGMのちがいは、なんであろうか。ひとことでいえば、「企業の心構え」であろう。ユーザーを踏み台にして、金融工学などで生き延びようとしたGMと、顧客を最優先し、安全、かつリーズナブルなクルマを提供しようと努力してきたトヨタの差といってよい。 2月2日夜10時から放映されたNHKスペシャル「アメリカ発 世界自動車危機」は、見ごたえのある番組で
昨夕、米軍のえらい人にお会いする機会があった。大将である。前々からの約束であったが、時が時だけに、こんな絶好のチャンスはまたとないと思った。 その詳細は、次号の『正論』で紹介するとして、きょうは、会見の場所について若干ふれてみたい。 指定されたのは、港区のホテルであった。はじめて聞く名前のホテルである。 FAXで地図が送られてきた。周辺に大きな国の大使館があって、何度か行った大通りに面したホテルだが、いままでまったく気がつかなかった。 当日は、免許証か、パスポートをもってきてほしい、といわれた。アメリカに住んだことはないが、あの国では、免許証は必需品のようだ。クルマ社会だから、というだけではなく、免許証が身分証明書でもあるからだ。 看板はあったが、ホテルとは書いてなかった。警備の人がいて、出入りをチェックしていた。民間のホテルは、いくらなんでも、ここまではやらない。 この
きのう、久しぶりに国会議事堂そばの国会図書館へ行ってきました。入館の手続きから借りたい本の申し込みまで、これまでと違ってほとんどIT化されていて、戸惑うことばかり。以前なら、図書カードをめくって、読みたい本の題名とか、著者名を記入して受付に出していました。いまはパソコンがズラリ並んでいて、そこで申し込むのですが、どうしていいか方法がわかりません。頭をかしげていると、若い女性職員が飛んできて、丁寧に手順を教えてくれました。そして、「わからないところがありましたら、声をかけて下さい」と、やさしくいうじゃありませんか。 手順を覚えてしまうと、これまでとは比較にならないほど、かんたんに検索できるし、情報も豊富で、ITの威力様さまでした。請求した書籍が、受付に到着する時間もずいぶん早くなりました。 つぎは、複写です。複写コーナーは新館のほうにありました。新館は初めてですが、ゆったりしたつくりで、吹き
産経新聞の「ゆうゆうLife」欄(2月14日付)に、正社員を目指して、人材派遣会社が主催する「営業カレッジ」で学ぶフリーター、森田純夫さん(26)=仮名、東京都=が紹介されていた。首都圏の私大を平成16年3月に卒業したあとは、両親と住み、日給約1万円のバイト生活を送っているという。出費は、食費と国民年金保険料だけ。両親から、「定職に就かないと、追い出すぞ」といわれたこともなく、「その生活にどっぷりと甘えていました」と、森田さんは語っていた。 森田さんが、どうして一念発起して正社員を目指す気になったかといえば、お兄さんが近く結婚するからだ。相手の両親に、「弟は、フリーターです」と紹介されたくないから。「やはり、低くみられるので」という話に、わたし自身が忘れかけていた「恥の文化」ということばを思い出し、これが日本の社会や家庭を支えていたのではないかと、なにか森田さんに教えられたような気になった
案の定、訪朝した山崎拓氏の行動は、家族会からも批判されている。この時期の訪朝は不適切だったというのは、朝野の多数意見だったが、今回のようにあえて金正日という海千山千の政治指導者の懐に飛び込むには、それなりの覚悟と、周到な準備や心構えが不可欠である。山崎氏の場合は、どうだったのか。 山崎氏は、金正日との会談を望んでいた。結果としては、実現しなかったが、もしOKのサインがでたときの用意は、果たして万全だったのか。 たとえば、そのとき同席させる自前の通訳を、山崎氏は同行させていたのか。その通訳は日常会話がわかるくらいでは、不十分だ。微妙な言い回しまで咄嗟に翻訳できる、高度の語学力をもつ人でなければならない。また、相手の通訳が、山崎氏の日本語を正確に朝鮮語に翻訳して伝えているかもチェックしていかなければならないので、相当のベテランを選抜する必要がある。かつて金丸信氏と金日成がサシで会談した際、そこ
けさの産経新聞に、ソウル共同電のまさかと思うようなベタ記事が載っていた。韓国の新聞、中央日報が1月17日、日本の消息筋の話として、金正日が小沢征爾氏に北朝鮮の国立交響楽団の指揮者を引き受けてほしいと要請したが、小沢氏から断られたと報じた、というのだ。 中央日報によれば、金正日は昨年5月、朝鮮総連の関係者を通して、「あなたの指揮に感動した。指揮者としてお招きしたい」と要請した。小沢氏はこれに対して、オーストリアのウィーン国立歌劇場の音楽監督としての契約があるとして招請を断った。金正日は、昨年、小沢氏がオーケストラを指揮する姿をビデオでみて感銘をうけ、訪朝していた朝鮮総連幹部に小沢氏招聘の特命を下した、という。 この記事について、小沢氏は、日本の所属事務所を通じ、「まるで聞いたことがない話だ」とコメントしたという。韓国・中央日報の記事がどこまで事実を伝えているか、その真偽のほどは定かでない。た
安倍晋三首相の最初の首脳会談の相手は、中国の胡錦濤国家主席ときまった。安倍外交のデビュー戦としては、最高の組み合わせといえよう。ここまでくるまでに、相当ドラマチックな水面下の攻防があったにちがいない。政権担当4年にして、63歳の胡錦濤主席。顔立ちはソフトだが、したたかに権力の真ん中を歩んできた。特筆すべきは、中国共産党史において、胡錦濤氏は、はじめて後継者の座から名実共にトップの最高実力者になった人だということ。 だれもそのことを、すごいとか、たいへんなことだとか、いわないけれど、これはもっと注目していいと思う。「えっ、いままで後継者に指名された人から、最高実力者になった人がいないの?」なんて質問がありそうだが、では、だれがいるの? 古今東西、ナンバー2の生き方は、むつかしい。とくに中国の場合、容易じゃない。まかりまちがうと、命を失うことになる。このナンバー2より、もっとツライのは
きょうの朝日新聞の社説のタイトルは、「意気や良し、谷垣さん」。福田康夫さんの不出馬で目論みのはずれた朝日の、現在の意中の人は、谷垣禎一さんのようだ。新聞は、不偏不党でなければならない、と思っている人もいるだろうが、そんなことはない。新聞が、意中の人をもっても構わないと思う(ただ、読者のほうも、批判的に記事を読む姿勢が大切になってくるが)。この社説から笠(りゅう)信太郎という朝日の元論説主幹の政界仕掛け人のような、ある裏工作を思い出した。 もともと朝日は、総裁選にちょっかいを出すのが嫌いでないようだ。お家芸といってもよいかもしれない。「どうして、そういえるのか。証拠をみせてほしい」といわれそうなので、本棚から宮澤喜一著『戦後政治の証言』(読売新聞社)をもちだしてきた。そのなかに昭和35年(1960年)7月、岸信介首相退陣後の自民党総裁選の記述がある。 当時の政治状況をかんたんに説明して
「はてな」という、変わった名前の会社がある。梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んでいたら、さいごのほうで、この会社のことがでていて、初めて知った。同書によれば、「はてな人力検索」(どんな質問でも、ふつうの文章で問いかけると、会員のだれかが回答してくれるコミュニティ)、「はてなダイアリー」(ブログ)、「はてなアンテナ」(ウォッチしたいサイトの更新状況を定期的にチェック)、「はてなブックマーク」(ソーシャル・ブックマーク)といったサービスを手がける日本のネット・ベンチャーだそうである。 梅田氏は、昨年3月、「はてな」の非常勤取締役になった。20代ばかりの社員9人の「ちっぽけで、吹けば飛ぶような会社だった」とか。 だらだらと、書いてきたが、じつは、この会社にはまったく関心がなかった。しいていえば、創業者の経歴にちょっと興味をもったていど。近藤淳也氏といい、同書ではこう紹介されていた。
日本列島を二分して壮烈な駒大苫小牧と早稲田実業の決勝戦がおこなわれていた日、大分市でも、もうひとつの熱い戦いが展開されていました。麻生太郎外相と谷垣禎一財務相が同党県連セミナーにそろって出席し、火花を散らしたのであります。甲子園とちがって、こちらは壮絶なる2位争い。とはいっても、出場選手はわずか3人で1位内定ですから、ラクなもの。高校野球と総裁選を比較するのは、もともとおかしいことは承知していますが、甲子園で2位になることのむつかしさは、いうまでもありません。 甲子園は優勝争いで燃え、永田町は2位の座をめぐって萌える(「萌え」を一度使ってみたかったのですが、こういうときでもいいのかな)。野球は東の代表による争い。総裁選レースは、西の代表による争奪。これが2006年晩夏の日本列島のいま、という感じですね。西の代表といってみたのは、安倍晋三さんが山口、麻生さんは九州で、谷垣さんは京都だから
暑いですね。そうか、まだ夏は終わっていないのか。このけだるいときに、かびのはえたことばをもちだすのは、気がひけるのですが、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)というのがありますね。広辞苑には、「大政翼賛会――1940年(昭和15年)10月、第2次近衛内閣の下で新体制運動を推進するために結成された国民統制組織」とあります。ひらたくいえば、みんなで心をひとつにして、コトにあたろう、という麗(うるわ)しくも、けなげな、いってみれば全員野球の精神をあらわすことばでもありますね。 大政翼賛会的ムードのなかでは、政党間の政策論争も、メディア間の競争も、好ましいものではありません。みな、一斉に同じ方向に顔をむけること。これが、タイセイヨクサンカイ・モード(様式)では、とても大切になってきます。メディアの場合、サンプルがあります。昭和35年(1960年)といえば、安保の年ですが、世情は騒然としていた6月
きょうの産経新聞で、作家の曽野綾子さんが、「富田メモ」にふれている(コラム「透明な歳月の光」213回)。曽野さんのいう通りだと思った。このブログに立ち寄った方のなかには、産経新聞の読者でない人もおられようから、一部を紹介したい。 「天皇陛下と一作家の立場を比べるような無礼を働く気はないのだが、この問題では、発言者の側からの視点がほとんどないのが気がかりである。私は談話を取られるとき、かなり防御的になっている。私の喋(しゃべ)り方がへたなのが最大の理由だが、人間の言葉のニュアンスを正確に書き取る人もまた少ないからだ。そもそも人は他人の発言を過不足なく文字によって伝達はできないのである」 曽野さんは、取材を申し込まれたとき、うけるかどうかは、取材者が、自分の発言を原稿にした段階でみせてくれるかどうかできめているという。わたしもメディア側のはしくれだから、大きな声ではいえないけれど、曽野
当るも八卦、当らぬも八卦。堀江貴文氏(33)と村上世彰氏(46)の将来を占ってみたい。 いずれ、しっかり復権しているのは、堀江氏のほうではないか。もしかしたら、5年後には国会議員になっているかもしれない。 一方、村上氏のほうは、俗界を離れているかもしれない。宗教人、もしくは異邦人。おそらく、ふたりは対照的な人生を歩むのではないか。 共産党の宮本顕治氏が長期にわたって、権力を維持できたのは、たったひとつの理由による。獄中で頑張ったから。堀江氏の考えには共鳴できないが、かれのふてぶてしさ、忍耐力には、端倪(たんげい)すべからざるものがある。したたかに、先をみている。 世間の大方は、村上氏のほうが、処世術にたけ、将来を睨んで行動しているとみている。はたして、そうだろうか。 かれは、逮捕前に反省してみせたが、裏返せば、それはみじめな言い訳であり、予想以上の自信のなさ、人間的な深みに欠けた
大島信三さんのトップページです。大島信三さんのブログ、ブックマーク、RSS集が見られます。就任早々の麻生太郎首相は、9月25日(日本時間26日)、ニューヨークの国連総会で演説した。機中泊の、いわゆる0泊3日の強行スケジュールであった。 総理大臣になったのが、出発前日の24日。やらねばならないことが、山ほどもあるなかでの、ニューヨーク行き。その慌ただしさは、よくわかる。 今回の麻生首相の訪米は、とくべつにしても、わが国のえらい人たちの過密スケジュールは検… つづきを見る
「金正日総書記の元気すぎる写真を読み解く」‐思うがままに。文章のほかに〔フォトタイム〕として写真2枚をつけ、さらに〔きょう・あす・あさって〕というかたちで過去の出来事と明日以降の行事予定などを紹介します。朝鮮中央テレビや党機関紙「労働新聞」はきのう、金正日総書記(66)が、軍を視察する写真を公開した。背筋を伸ばし、腹を突き出し、後ろで両手を組んだお馴染みのポーズの将軍様は、頬もふっくらとして、とても病み上がりとはみえない。 もうすこし、やつれた様子のほうが、真実らしく思えるのだが、これではかえって過去に撮った写真と疑われても仕方あるまい。 先日、当欄でもふれたように、金総書記の動静を占うポイントは、10日の労働党創立記念日だった。昨年のこの日、マスゲーム「アリラン」を鑑賞した金総書記が、ことしも式典に出席していれば、おそらく当日の夜、ないしは翌朝のテレビニュースで報じられたはず。 きのうの
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