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やる気の出し方
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2009.02.06 内村剛介、中野重治、さらに村上春樹のこと (6) カテゴリ:文学その他 仕事やなんやで忙しくて、日々の細かな報道にまで目を通す暇がなかったのだが、たまたまウェブをあちこちふらついているうちに、評論家の内村剛介がつい先日死去したということを知った。きっかけは戦前の中野と蔵原の論争についてちょっと調べてみようと思ったからで、先月の30日、今からちょうど1週間前の死去の知らせに気づいたのはまったくの偶然である。 内村は、詩人の石原吉郎や画家の香月泰男、小説家の長谷川四郎などと同じく、シベリア抑留体験者である。「こんにちは こんにちは」 の三波春夫もそうだが、俳優の三橋達也、さらには松方弘樹の父である近衛十四郎や、吉本新喜劇にいた平参平もそうだったというのにはいささか驚いた。しかし、帰国した抑留者は50万近かったというのを知れば、それも納得いくことではある。(参照) 今手元に
2008.11.16 いちばん「平和ボケ」しているのはいったい誰なのか (8) カテゴリ:政治 報道によれば、田母神前空幕長は自衛隊内部に向けた 『鵬友』 という冊子の中で、「身内の恥は隠すものという意識を持たないと、自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないか。反日的日本人の思うつぼである」 と書いていたそうだ。 これはまた、ずいぶんと呆れた話である。「反日的日本人」 とは、いったいどういう意味なのだろう。言うまでもなく、日本という国はすべての国民によって構成されているのであり、国民の外部に 「日本」 なる国があるわけではない。彼はいったいいかなる根拠に基づき、またいかなる権利によって、国民の一部に対して 「反日的」 などという愚劣な言葉を用い、レッテルを貼っているのだろうか。 この言葉の意味は、明らかに戦前に頻繁に使われた 「非国民」 という言葉と同じである。憲法に従えば、自衛隊も
2007.05.11 宮台真司のトンデモな歴史観 (6) カテゴリ:明治維新・アジア主義 宮台真司の近代史認識がいかにでたらめかを示す例を、MIYADAI.com Blog から引用してみる。 その点、昔の米国は凄かったよ。例えばGHQの“ホワイト・パージ”。日本が内政外交上の無能力者になったのは米国による“ホワイト・パージ”による所が大きい。“レッド・パージ”は有名だけど、実は講和までの8年間に戦前までの右翼──国の成り立ちを真に知る存在──が根絶しにされたのは知られない。(中略) 同じくGHQの指示でなされた“レッド・パージ”の目的は労働運動の弾圧で、GHQは思想弾圧すべからずと指示書を書いていたほどだ。ところが右翼の思想的鉱脈は完全に根絶やしにされた。結果、維新以降の国の成り立ち、特に「田吾作による天皇利用」の真実を、コミュニケートする機会が消えた。それ以降の右翼は戦前とは別物。右翼
2008.09.17 あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない (22) カテゴリ:ネット論 自民党の総裁選挙は、いまや年中行事と化したかのようである。これについては、昨年書いた 「政党の党首選でなぜ街頭演説をやるのだろう」 という記事から、福田の名を消し、替わりに別の名前を数人追加すればいいだけのことなので、いまさらどうこう言う気もしない。あほらしくて話にもならない。 ところで、「右」 であれ 「左」 であれ、ネット上で多少とも政治的な問題や、いろいろと議論を呼び起こしそうな問題などを扱えば、他の誰かから批判的に言及されることなどは珍しいことではない。ネットに文章を公開しているのならば、そんなことは当たり前のことである。すくなくとも、それだって自分の書いた文章に対する反応のひとつなのであり、自分の書いたことに何の反応もないよりはましというものだろう。他人の反応などい
2008.08.23 「少数派」ってなんなのさ (16) カテゴリ:ネット論 天気図を見ると、すでにオホーツク海気団が列島の北端を覆っており、季節は秋に入ろうとしている。秋が来たと目にははっきりしていないが、風の音には驚いてしまう今日この頃である。もっとも、毎年毎年気をつけているわけではないので、これが例年に比べて早いのか、遅いのか、それとも普通のことなのかは分からない。 ところで、別に最近というわけでもないが、ネット上では、しばしば 「私は少数派だ」 とか、「おれは一匹狼だ」 とか、ことさらに言い立てている人を見かける。そういう人らを見るたびに、なにか、ちょっと不思議な気がする。 歴史を振り返ると、たとえば、性的志向に関しては 「少数派」 に属する人の中にも、しばしば権力志向が非常に強い人がいる。「長いナイフの夜」 と呼ばれるナチス内部の粛清で殺された、突撃隊の隊長だったレームなどはその
2008.05.28 「一億総ブロガー」時代の功罪 (2) カテゴリ:ネット論 先日、ある若いフリーの女性アナウンサーが自殺した。川田亜子というその名前を聞いても、たしかに聞いた覚えはあるが、顔はちょっと浮かばない、という程度であるから、とりたてて衝撃を受けたというわけではない。自動車内での練炭による自殺というのも、最近はなんだかよく聞くなあという程度のことである。 ただ、ひとつ気になったことは、この女性が自殺する二日前まで、『Ako's Style』 なるブログをつづっていたことである。たとえば、死の4日前にはこんなことを書いている。 仕事の合間 一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。 2008年05月22日 いかにも、
2008.05.27 「書いてあること」と「書かれていないこと」 (4) カテゴリ:ネット論 暑い! まだまだ五月だというのに、とにかく暑い。イギリスの詩人、エリオットは 「四月は最も残酷な季節だ」 とうたったが、日本ではやはり 「四月は最もやさしい季節」 のような気がする (『荒地』 の誤読だ、などという野暮なつっこみはなしでお願い)。 ところで、「五月病」 なる言葉が人口に膾炙するようになったのは、いったいいつ頃からだろうか。これも、いささか記憶にない。自分が大学に入った30余年前にはすでにあったような気もするが、あまり定かではない。 十年一昔という言葉があるが、まことにそのとおりで、テレビなどでときおり十年以上前の出来事などが話題になると、「えっ、あの話って、そんな昔のことだっけ」 みたいな、軽いショックに襲われることもしばしばである (「老化の始まりだ」 なんて言わないでね)。であ
2008.05.22 「私闘」でけっこう、「私闘」でなにがわるい? (88) カテゴリ:ネット論 先日、ある場所で、ある人が発した 「私闘」 なる言葉について、黒猫亭と名乗る別の人から 「長文コメント」 による質問という 「長文テロ」 攻撃を受けてしまった。なので、やむをえずこちらも先方に匹敵する、総計10000字に達する長文レスでお返しをしたのである。まことに 「疲労困憊」 と 「徒労感」 でいっぱいの一日であった。 問題になった発言というのは、そもそも次のようなものである。 わたしは、個人ブログには、そのように社会を動かすほどの 影響力はないと思っていますので、むしろ、興味の合うかたと お話するという、趣味を意識してサイトを作っています。 よそのブログとの論争なんて、その意味で、みんな「私闘」だと思っていますたんぽぽのなみだ これはまことにすっきりした文章である。国士気取りでなにやら
2008.05.18 ネットを閉じよ、海へ行こう (山でもいいよ) (21) カテゴリ:ネット論 言うまでもなく、このタイトルは今は亡き寺山修司の書名からぱくったものである。調べてみたら、俳人で歌人で、詩人で戯曲作家で、映画作家でエッセイストで、おまけに競馬評論家で東北弁の達人でもあった寺山が亡くなってから、すでに四半世紀が経っていた。 まことに、「月日は百代の過客」 であり、「歳月人を待たず」 であり、「光陰矢のごとし」 であり、「時は金なり」 なのである。んっ、最後だけちょっと違うかも。 もっとも、寺山の本で有名になったこの言葉も、もとはアンドレ・ジイドの 『地の糧』 という本 (訳者はなんと、今東光の弟で、初代文化庁長官を務めた今日出海である) にある言葉であり、腎臓を病んで大学を退学して送った長い入院の末にやっと病気が快方に向かったころの、「ブッキッシュな生活から遠ざかろうと思いは
2008.05.13 「優しさ」ごっこはいいかげんやめよう (9) カテゴリ:ネット論 数ある小泉前々総理の首相時代の 「名文句」 の一つに 「感動した!」 というのがある。これは言うまでもなく、ひざの大怪我をおして土俵に上がり、武蔵丸を倒して優勝した貴乃花に対して彼がかけた言葉である。いつのことだったかと思って調べてみると、ちょうど7年前の夏場所の表彰式でのことだった。 この場所、前日の大関武双山戦でひざを痛めた貴乃花は、千秋楽での武蔵丸戦で敗れて13勝2敗で並ばれたあと、優勝決定戦でその同じ武蔵丸を上手投げで破って優勝杯を手にした。このとき、彼に優勝杯を手渡したときに言ったのが、「痛みに耐えてよく頑張った!」「感動した!」 という小泉前々首相の言葉である。 このときの貴乃花が 「一生懸命」 であったことは間違いない。だから、彼の気迫とその結果としての優勝が賞賛に値することもそうだろう。
2008.05.10 「上から目線」と言われてしまった (12) カテゴリ:ネット論 恥を忍んで告白すると、実は先日某所で 「上から目線」 と言われてしまったのである。もちろん、こちらにはそんなつもりはまったくなかったのだが (とはいえ、そういう言葉が返ってくるかも、という予感はあったのだが)。 ことのきっかけは、あるひとがあるブログ記事につけていた、「私は権力は批判しますが 一般市民は批判しません! 」 という言葉について、いささか批判的なことを書いて送ったことにある。 それが誰の言葉であるかなどは、どうでもよいことなのでここでは言及しない。問題なのは、そのような言葉がなにを意味するのかということである。ところが、その人はなにをどう勘違いしたのか、これは 「上から目線だ!」、「自分の存在を否定するな!」 というような言葉で吼えまくってきたのである。 で、こちらとしては、ただもう、あぜーん
2008.05.07 「権力批判」だけしてりゃ世の中は変るのか (5) カテゴリ:ネット論 いわゆる左派・リベラル系などの政治批判をする人たちの間でしばしば言われるのが、「権力批判はいいが、一般市民に対する批判はよくない」 とか、「権力を批判する者どうしでの内輪もめはよくない」 といった言葉である。 「批判」 とはなにか、ということもそもそもの問題なのではあるが(批判とは、必ずしも相手を敵とみなして攻撃することを意味するわけではない)、このような言葉や発想は、いったいなにを意味するのだろうか。 むろん、「一般市民」 というものはそれこそ星の数ほどいるわけであり、間違ったことやおかしなことを言っている人らを、一つ一つしらみつぶしに探し出して批判するわけにはいかない。そんなことは分かりきっている。 だが、ここで問題にしているのはそういうことではない。また、上のようなことを言っている人らも、その
2008.05.05 「優しさ」をめぐるちょっとした考察 (6) カテゴリ:社会 ここ二日ばかりはやたらと暑かった。すでに暦の上では夏にはいっているとはいえ、一部では最高温度が30度を越え真夏日を記録した地域もあるそうで、この先いったいどうなることやらと心配になってしまう。 ところで、心理学に 「共依存」 という言葉がある。この概念はきちんとした学問的概念とは言えないらしいが、もともとは、アルコール依存症の治療過程で発見されたことに基づいており、これを一言で表すと、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」(参考) ということになるそうだ。 それによると、施設のような家族から隔離した環境での治療によって、せっかく症状が改善した患者が家庭に戻ると、ふたたび以前の状況に戻ってしまうという事例があまりに多かったため、その家族環境を調査してみたところ、アルコール依存症患者と彼/彼女
2008.05.01 今日はメーデーなのであった (12) カテゴリ:思想・理論 17世紀オランダの哲学者であったスピノザという人は、人間の 「自由」 というものを徹底的に否認したそうで、人間が自分の意志で行動しているというのならば、「宙を飛んでいる石だって、意識を持っていれば、いま、自分は自分の自由意志で飛んでいると思うだろう」 などと言ったそうである。 彼はまた、「私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪詛もせず、ただ理解することにひたすら努めた」(『国家論』 より) という言葉でも、知られている。「定義」 と 「公理」 に基づいた論証という数学的方法で書かれた、「エティカ」 に代表される彼の哲学は、一時の感情に流されることを拒否し、冷徹な目と論理で世界を理解しようとするという彼の精神の表れでもある。 しかし、そのような彼でも、生涯にただ一度だけ、イギリス・フランスとの戦争の中で、友人であ
2008.04.22 前の記事「そんな映画など見たくもない」への追加 (6) カテゴリ:社会 読み返してみると、前の記事はいささか乱暴で粗雑な物言いをしてしまったという感はある。ただ、その理由は、ひとつにはネットで見つけた、映画を見た人の感想の中に、非常な違和感を感じたものがあったことにもある。 「総括」 という悲劇が起きたのは、彼らの内部で激しい議論や対立があったからではない。その反対に、そこでは 「革命」 だの 「人民」 だのという、思い込みだけの空疎な観念によって醸成された、曖昧模糊とした 「空気」 だけが夢魔のように支配していて、本来行われるべきまっとうで理性的な議論も対立も成立していなかったからだ。前の記事で引用した吉本の言葉には、たぶんそういう意味も含まれているだろう。 毛沢東を丸写しにした 「根拠地建設」 だの、レーニンを戯画化した 「武装蜂起」 だのといった彼らの理念と行動
2008.02.16 宮内庁もまだまだ了見が狭いと思う (18) カテゴリ:歴史その他 昨日、こんなニュースがあった。神功皇后陵を初調査 宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。 これまでも補修工事などの際に見学が認められることはあったが、学会側の要望に基づく陵墓の立ち入り調査は初めて。 宮内庁や協会によると、陵に入るのは各団体の代表16人。墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。 宮内庁が過去に作成した図面を検証するほか、埴輪の確認などで詳しい築造時期を明らかにするのが目標で、4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。来年度以降も、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)など全国の陵墓調査を申請する
2008.03.19 中国はどこへ行く (1) (14) カテゴリ:国際 数日前に、チベットの首都ラサで起きた 「暴動」 は世界に衝撃を与えた。チベットは形式的には中華人民共和国内の自治区となっているが、実際にはほとんど自治権などないに等しいと言っていいだろう。これまでにも、何度となく中国政府の政策に対する抗議や分離・独立を求める活動が起きており、イスラム教徒が多い中央アジアの新疆ウィグル自治区とともに、中国政府が民族問題についてもっとも神経を尖らせている地域である。 事件後、中国政府はその裏にはチベットの分離・独立を求めて画策するダライ・ラマ14世の 「陰謀」 が存在していると非難している。しかし、そのような非難は、むろんまったく信憑性に欠けるし、ダライ・ラマの現在の立場はチベットの独立ではなく、「高度の自治」 を求めているとのことだ。 だが、そもそも人口わずか200万のチベットの分離・
2008.03.07 開いた口が塞がらないとはこのことだ (294) カテゴリ:社会 久しぶりに、まったく仕事がない完全な休日なのであるが、どうにも腹の虫が治まらない。それというのも、よせばいいのにまたまた下らぬものを見てしまったせいである。 例の花岡なる男、事件から 「教訓」 を引き出すのが自分の意図だと、殊勝なことを言っている。言うまでもなく、なにかの事件や事故が起きたときに、そこから教訓を学び取ることは大事なことだ。とりわけ、新しいシステムや画期的な新製品といったものは、設計の段階ですべてを検討し予測しておくことは不可能であり、事故によって、思わぬ欠陥や脆弱性が見つかったなら、それを修正し、「教訓」 とすることは当然のことである。 だが、だれかの故意によって起きる事件というものは、たんなる過失や怠慢、思いがけない偶発的事象などによって起こる事故とは違う。そこには、なんらかの犯意を持っ
2008.02.29 「国家」には感情移入できるが人間のことは想像できない人 (18) カテゴリ:社会 岩国市長選以来、最近は次々といろんな事件や事故の報道があいつぎ、一つ一つの報道を追いかけるのもなかなかたいへんな状況だが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが、国際派ジャーナリストを自称している、ドイツ在住のクライン孝子とかいう人の発言である。 彼女自身の経歴紹介によれば、この人は 「チューリッヒ大学でドイツ文学」 を学び、「フランクフルト大学で近代西欧政治経済史」 を学んだのだそうだ。この経歴については、本当かどうか疑う声もちらほらとあるようだが、まあ、それはどうでもよい。 このおばさん、沖縄の事件でもイージス艦の事件でも、なかなかぶっとんだ読者メールを次々と自分のブログで紹介している。たとえば、次のような 5. 本日になって,あれだけ熱心に行方不明者の捜索に連日 出港していた漁船
2008.02.23 人間、自分のことは自分が一番分からないものである (34) カテゴリ:思想・理論 ヘーゲルというと難解な哲学者の代表格のように言われていて、とくに昔の岩波の翻訳などでは、「対自」 だの 「即自」 だの 「定有」 だのと、意味不明な術語が乱舞していて、なにを言っているのかさっぱり分からない。 かのラッセルも若い頃はヘーゲル主義の影響を受けていたそうだが、後年の彼に言わせると、ヘーゲル哲学なんてものは、ただのナンセンスなのだそうだ。まあ、たしかに、彼が書いたものや、残された講義録の中には、そう言われてもしかたがない部分もあるのかもしれない。 ところで、人間、人様から意見されると、ついつい 「お前なんかに、オレのことが分かるもんか」 とか、 「人のことに、余計な口出しをするな」 などと言ってしまいがちである。むろん、それはなにも他人の話ではなく、自分が一番そうだったりするわ
2008.01.25 サルトルの 『嘔吐』 をちらちらと読み返してみた (8) カテゴリ:文学その他 今は亡きサルトル先生の 『嘔吐』 というと、主人公のロカンタンが公園でマロニエの根っこを見ているうちに 「吐き気」 をもよおすという場面が有名だが、この小説の重要な脇役に 「独学者」 という人物がいる。 むろん、これはロカンタンが勝手につけたあだ名なのだが、この人物は町の図書館に何年間も通い詰めては、そこの蔵書を著者名のアルファベット順にひたすら読み続けているのだそうだ。ロカンタンはこの 「独学者」 について、こんなふうに描写している。 七年前のある日、彼は意気揚々とこの部屋に入ってきた。そして四方の壁をぎっしり埋めている数限りない書物を眺め回して、ほとんどラスチニヤックのように、「ぼくたちだけで、人類の全知識を所有するんだ」 といったにちがいない。 それから彼は、最右端の第一段の本棚から
2008.01.20 「疑似科学」 と 「陰謀論」 の相関性 (12) カテゴリ:陰謀論批判 新年早々、一部ブログ界をにぎわした 「水伝」 騒動について、批判を受けた側の中に、あの批判を行った連中は 「陰謀論」 批判を展開した者らと同一であり、その本当の狙いは 「9.11自作自演」 説を封殺することにあるといった声があるようだ。 なかなか興味深い洞察である。「事実」 としては、たしかにまったくの間違いではない。だが、いつものことだが、彼らはその 「解釈」 を間違えている。つまり、事実と事実をつなぐ論理にまったく根拠がないため、ただの 「妄想」 にしかなっていないのだ。 そもそも、「事実」 はそれだけではなにも語りはしない。「事実」 から 「意味」 を引き出すために必要なのは 「理性」 なのだから、「理性」 に欠けた者は、いくら 「事実」 を集めたところでなにも見ていないのと同じである。 彼
2010.05.08 「~すべし」という命令と「~すべからず」という命令 (5) カテゴリ:歴史その他 なんの本にあったのか忘れたので、違っているかもしれないが(したがって、実話かどうかは確認できない)、革命から間がない内戦中のある日のこと、当時、チェーカーの議長だったジェルジンスキーが会議中のレーニンに、「反革命」 分子として収監している囚人のリストを渡したという。 会議に没頭していたレーニンはメモに目を通したあと、×印のようなものをつけて、ジェルジンスキーに返した。メモを受け取った彼は、そこにある×印を見て、「処刑」 の指示だと思いこみ、リストにあった全員を即刻銃殺した。 ところが、あとで分かった話によると、実はレーニンには、日頃から目を通した書類にたんなる 「確認済み」 の意味で印をつける癖があったという。もっとも、いずれにしてもレーニンの指令で、多くの人間が 「反革命」 の罪により
2007.12.19 なんとも嘆かわしい世の中である (9) カテゴリ:陰謀論批判 「陰謀論」 のお話はもうおしまいって、いったん宣言したのだが、どうもいまひとつ気分がすっきりしないので、また取り上げることにする。 前回の件は、こちらがいらぬちょっかいを出したために起きたことで、「無敵のコメンター」 氏のトンデモさは誰の目にも明らかだろうから、そのことをいつまでも根に持っているわけではない。 それよりも、憂鬱というか、なんだこれは、という気になってしまったのは、明らかな 「トンデモ」 氏ではなく、それなりに真面目で誠実な人と思われる中に、「9.11陰謀説」 を信奉している人が結構多いことを見てしまったからである。 その人たちは、「ブッシュはんたーい」 とか 「平和憲法を守ろうー」、「イラク戦争はんたーい」、「グローバル化はんたーい」 なんてことを、一生懸命に叫んでいらっしゃるのだ。 まあ、
2007.12.29 世界を動かしているのは悪意ではない (19) カテゴリ:陰謀論批判 振り返ってみると、「陰謀論」 の誤りと、その危険性について、ずいぶんとごちゃごちゃ書きまくってしまった。なにしろ、クリスマスについて書き出した記事まで、最後は 「陰謀論」 批判という結論になってしまったくらいだ。 「陰謀論」 にはまりやすいのは、ナイーブな人が多いと書いたけれど、もうひとつ付け加えることがある。それは、根は同じことだが、「陰謀論」 にはまりやすい人の多くは、世界を動かしているものは、人間の 「悪意」 であるといった発想に捉われているということだ。 たしかに、世界は不条理であり、様々な 「暴力」 や 「不正」、「悪」 に満ちている。しかし、その多くは、誰かのことさらな 「悪意」 によって生じているわけではない。 一昨日、パキスタンでブット元首相が爆弾テロによって暗殺された。帰国直後にも爆
2007.12.03 無敵の人々 (19) カテゴリ:ネット論 タイトルをつけてから、しばし考えた。この言葉は、いったいどこからどのようにして、わが脳髄にいたり来たったのであろうか。 しばしの沈思黙考をへて浮かんだのは、かのドストエフスキーの 『貧しき人々』 と、10数年前になくなったイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの処女作 『無関心な人々』 であった。あと、やや長いのであれば、戦前に書かれた葉山嘉樹の 『海に生くる人々』 なんてのもある。ただし、これは名前しか知らない。 ところで、タイトルの 「無敵の人々」 という言葉であるが、これは必ずしも 「負けない」 人たちという意味ではない。おやおや、「無敵」 ということは 「負けない」 ということと同じではないか、という異議がちらほらと聞こえてきそうであるが、とりあえず今はそういうことにしておく。 さて、ウェブ上を毎日のように散歩している方
2007.11.27 ピーターかペーターかペテロかピョートルか (19) カテゴリ:仕事・翻訳 ヨーロッパ系の人名というものは、聖書などの古い書物に由来するものが多い。したがって、一見違うように見える名前も、元をたどれば同じということが多く、同じ人の名前が、その国の言葉によって様々に変化して呼ばれていたりする。 たとえば、カフカの 『審判』 の主人公であり、最後は理由も分からず二人の男に 「犬のように殺された」 ヨーゼフ・K のヨーゼフとは、英語ではジョゼフ、スペイン語ではホセ、イタリア語ではジュゼッペ (つまりピノキオを作ったおじいさん)、ロシア語ではヨシフ (スターリン!) となる。 この名前は、もとは聖書に出てくるアブラハムの子イサク (あやうく親父どのによって、神への生贄にされそうになった人) の子ヤコブのそのまた子であるヨセフや、イエス様の血のつながらない父親である大工のヨセフか
2007.09.21 秋は本当に来るのだろうか (17) カテゴリ:雑感 今日も暑い。連日、最高気温が30度を超える真夏日が続いていて、あちこちで最も遅い真夏日の記録を更新しているのだそうだ。アスファルトの道路には、くっきりとした影が灼きついている。 それでも、さすがに7, 8月に比べれば太陽は低くなっており、おかげで影が伸び日陰も広がっている。日陰に入っていれば、ときおり吹く風で少しは涼しさを味わうことができる。やはり、まだ目には見えないけれど、秋はすぐそこまで来ているのだろうか。 ところで、昨日広島高裁で行われた 「光市母子殺害事件」 の差戻し公判で、遺族の本村洋氏が、「君の犯した罪は万死に値する」 という旨の意見陳述を行った。 この事件では、被告の元少年は殺意は否認しているが、犯罪事実そのものについては争っていない。つまり、被告が事件の実行者であることは確定しているということだ。 差
2007.06.20 ほのめかしの政治学 (6) カテゴリ:社会 「特定アジア」 という言葉がある。どうやら、この言葉は中国、韓国と北朝鮮という、一部の日本人によって 「反日的」 と言われている三国をまとめて指す言葉として、いつのまにか使われるようになっているらしい。 いうまでもないことだが、「特定」 という言葉はそれだでけでは意味をなさない。中央アジアも 「特定」 のアジアであるし、東南アジアも西アジアも 「特定」 のアジアである。そこで使われている 「特定」 という言葉がどこの地域を指しているのか、はじめに定義されていなければ、この言葉がアジアのどこを指しているのかは誰にも分からない。 にもかかわらず、この 「特定アジア」 という言葉は、中国と韓国、北朝鮮という 「特定」 の諸国を指す固有の言葉として、とりわけそのような諸国やその国民、出身者に対する嫌悪や侮蔑の感情をあらわにする人々に
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