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ノーベル賞
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悲しみの反対は喜びだと思っていた。 でも最近、それは違うんだと思うようにしている・・。 悲しい事件や事故がニュースで流れるたびに、やりきれなくなる。 もしこれが自分の家族に起こったらとか、自分だったらとか。 そんなことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになる。 だけど、起きてもいないことを心配しても仕方ないし、そんなとき 感情を持て余してしまって、どうすればいいのか分からなくなる。 人は生まれた以上、最後に大きな悲しみに出会う。それは 分かってるけど、ではこの気持ちをどうしたらいいのか。 悲しみの反対にあるもの、それは寂しさだと思う。 出会いがあるから別れがある。それが悲しみの元であるのなら、 それを避ければいい。いっさい人と関わり合いにならなければ、 きっと悲しくなんかならないだろう。悲しみを避け続けた結果が、 孤独な人生だとしても、それを望むのなら、その人にとっては 幸せな人生
言葉について考えることがよくあります。 「良い文章」と「上手い文章」についても。 この2つは似ているようでたぶん違います。 「上手い文章」は書けなくても「良い文章」なら 誰でも書ける、私はそう思っています。 そもそも私たちはなぜ書くのか?なぜ書きたいと思うのか? それは自分の想いや考えを誰かに伝えたいからでは ないでしょうか?もしそうなら「良い文章」とは、自分の想いや 考えが相手に伝わる文章ということになります。 私はいつも書くときにこんなことを考えてます。 頭の中で考えていることがそっくりそのまま取り出せたら どんなに良いだろうか、と。自分の感じたことが100% ストレートに伝わるなら、きっとそれを読んでくれる人も、 私と同じように感動したり驚いてくれるはず。 一緒にその想いを共有したいのです。 そうなるためにはどうしたら良いか、そればかり考えています。 「上手い文章」を書こうなんてのは
「ネット」と「言葉」をめぐる事件が起きている。 まったく関係はないのだけど、以前書いた日記を思い出しました。 当時「タオの日記」というタイトルで、思いつくまま考えたことを 日記形式で書いていました。ネット・言葉・人柄 について 書いた内容があったので、ここに再掲載します。 (以下原文そのまま) 2003年7月5日の日記 「言葉美人」 人柄とはいったい何だろうか?どうやって決まるものなのだろうか? 最近、そんなことを考えている。 容姿、服装、表情、声のトーン、言葉の使い方、話題の選び方など、 要素はいろいろあるが、おそらくそのすべてを瞬時に私たちは判断 してるのだろう。そこから感じ取れる雰囲気がその人の人柄なのだ。 優しそーだとか、怖そーだとか。本当のところは分からないけど、 そうやって表面に現れてくるものを私たちは読み取るしかない。 ネットの世界では実際には会ったことがない人も多い。 HP
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