サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
pontaikka.hatenablog.com
ブログについてのモヤモヤを相談しました 人気ブログ『斗比主閲子の姑日記』のトピシュさん(id:topisyu)に『ポン太一家の冒険』について相談したところ、とてもご丁寧な回答をいただき、恐縮すると同時に感激しました。 的確で説得力のある内容にちょっとシビれました… topisyu.hatenablog.com ここのところ、 この漫画を描きはじめて何年もたつのにいまだに方向性も決まらなくてふらふらして、いろんなことが心配で、もう辞めようかどうしようか…と悩んでいました。 そこでどうせ辞めるならと、図々しくも、以前からファンだったトピシュさんに相談のメールを送らせていただきました。 あの方の視野が広くてバランスのとれた考え方を尊敬していたし、何より信頼のおける方だと感じていたからです。 漫画の方向性が定まらない理由 トピシュさんのブログを読んだあと、 まずはコミックエッセイ系ブログでどんなも
幼稚園選びってドラマですよね。 ポン太は赤ちゃんの時から人見知りしなかったけれど、自閉症(積極奇異型)によくみられる特徴のようです。今でも、初めての状況に緊張しません。 幼稚園の見学や面接で、親が拍子抜けするくらい落ち着いていました。その場ではしっかりした子に見えて驚きました。 周囲をみると『最初は緊張するけれどだんだん周りに溶け込む子』のほうがうまくいってます。 ポン太は逆で、どんどん傍若無人な様子が目に余るようになります… にほんブログ村
私と夫とポン太で映画「僕と世界の方程式」を見てきました。 イギリス人の自閉症の男子高校生が国際数学オリンピックを目指す話です。PG12。 以下ネタバレがあります。 あらすじ こだわりが強くコミュニケーションに問題を抱える主人公ネイサンは母親と二人暮らし。数学教師マーティンの個人指導を受けて天才的な数学の才能を伸ばし、数学オリンピックのイギリス代表の候補者に選ばれる。 イギリス代表を選ぶ台湾合宿で、中国チームの少女チャン・メイと出会う。 初めて親元を離れ、個性的なライバルたちや指導者と生活を共にし、さまざまな経験の中で主人公は大きく成長する。 数学に魅せられ一人の世界に生きてきた主人公が恋をして世界を広げていきます。少しずつ心の扉を開き、血の通った関係を築き、トラウマを乗り越える力を獲得する展開は感動します。みずみずしい青春映画です。 また数学という学問の美を描くには、それ自体が美しい芸術で
我が家のリビングには姿見が置いてあります。 幼稚園児のころから「着替えたらここでチェックしてね」と声をかけていますが、いまだにうまくできません。 毎朝この場所で、ほらここ、シャツがでてるよ、ズボンの裾が靴下に入ってるよ…と指摘して直させています。(園児ではなく、英語検定準2級の高校生ですけど…) 中学3年のある日、リビングでポン太が騒いでました。 このとき急に『自分が大きくなってる!』という事実に気がついたそうです… もっと子どもだと思ってた、と言ってました笑 たしかに2年で15センチも背が伸びたけれど、いきなり実感して驚くなんてポン太らしいなぁ。セルフイメージが修正されていなかったんだね。 でもポン太、毎日、鏡みてたじゃない? ずっと前から私、ポン太のおさがりを着てるじゃない? なんで気がつかないの? そういえばポン太の着られなくなった服を黙って着ていても、指摘されたことがありません。普
こんにちは。 漫画家になりたくて30本近く漫画を描いてきたけれど、絵も上達せず特に進展もなくこれでいいのか迷っているので、たまには文章にします。 現在のポン太の話です。 就学相談の結果にしたがって、ポン太は小・中と支援学級に在籍してきましたが、中学入学後、壁にぶち当たりました。 ポン太はたまにパニックを起こしますが、そのことに関して、理解してくださる先生が中学校にいませんでした。先生方が怒鳴ったり体罰をしたり無理やり閉じ込めたりしても、ポン太には効果がなく荒れるだけでした。 パニックがある中学生を、理解のある大人がいない環境に入れたらどうなると思いますか? もう、本当に本当に大変な毎日でした。転校しようか引っ越そうかといつも考えていました。 しかし捨てる神あれば拾う神あり。 中学校生活も後半にさしかかるころ、一人の先生がポン太の能力に気づき、伸ばしてくださいました。特別支援学級の担任でも、
「信じる者は救われる」1、2に続いて完結です。 pontaikka.hatenablog.com pontaikka.hatenablog.com ※「無理して幼稚園に入れるからだ!」とイラッとした方のために補足を。 (そのうち漫画に描く予定ですが) ポン太は2歳で診断を受けて療育を開始し、進路について医師・臨床心理士・療育先の先生方に相談しましたが、どのアドバイスも「年少から幼稚園に」というものでした。 アドバイスに従って、障害児を受け入れた実績のある幼稚園に決め、入園前に園に相談し、加配の先生もつけていただきました。 無理させるつもりはなく準備万端で臨んだのに、周囲の予想以上にポン太は集団行動がとれませんでした。。。(補足おわり) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ まさか自分が依存症になりかけるなんて、それまで想像したこともありませんでした。 はっきり問題だと自覚してから徐々にノンア
前回の続きです。 pontaikka.hatenablog.com ポン太は3歳のとき、ひらがなを読んでました。 寝る前にお経を読むと、夜の奇声と大声の独り言が少し減りました。 ポン太に「夜に騒いだらダメよ」と諭してもまったく効果がないので、使える技がひとつ増えてよかったです ^^ あまりお金がかからないものなら「ダメでもともと」と考えて、なんでも試したくなります。 理屈はどうあれ、ポン太がよくなればいい。 にほんブログ村
※なんの宗教かわからないようフェイクいれてます。 善意で勧めているのはわかってるけれど、驚いたし、複雑な気持ちになりました。 こういうの障害児育児あるあるじゃないでしょうか。 私は障害つながりでできた知り合いに、宗教、スピリチュアル系、自己啓発系、健康食品、民間療法などいろいろと声をかけられることが多かったです。 みんな悩んでるし何かに頼りたいんでしょうね。 ポン太を産む前にはまったく知らなかった世界が広がってました。 にほんブログ村
昨日、こんなニュースを見ました。 headlines.yahoo.co.jp やるせない事件です。 女児は牛乳アレルギーでアナフィラキシーを起こす体質 母子家庭で女児と二人暮らし 母親はこれまで児童相談所に4回(!)、警察に1回、相談している 母親はこんなにSOSを出してるのに…と、児童相談所の対応に憤りを覚えました。 アレルギーっ子育児ってほんとに大変だよなぁ、、、といろいろとむかしのことが思い出されたので、ポン太が幼稚園児だったころの生活を振り返ってみます。 ※ポン太はマルチアレルギーで、主にイネ科(米・小麦)を除去していました。 ※あくまで我が家の体験です。アレルギーの重篤度によって対応はさまざまです。 アレルギーっ子の育児は手がかかる ●毎日除去食を作る。おやつも手作り できるだけポン太が食べられる献立にする。食べられない献立の時はポン太の分だけ別に作る。 ●外食はほぼなし。行ける
前回の続きです。 pontaikka.hatenablog.com ※日誌をつける中で、米と小麦の除去が必要だと自分では感じていましたが、それを指導してくれる医師に出会えませんでした。 十数年前、まだポン太のような子はめずらしかったと思います。 それにポン太は痩せていなかったので、私たち親子の感じていたつらさが伝わっていなかったのかもしれません。 「気にせず食べましょう」か、ダメ出しか、もっと米を食べましょうか、どれかでした… あ~、つらかった。当時を思い出してしまって泣きながら描きました(アホ) あのころを振り返ってみると、なんであんなに追い詰められていたのかなぁと思います。 第一子で加減がわからなくて、情報に流され、がんじがらめになってました。 ポン太は自閉症でもあったので、このまま大きくなったら、普通の食事がとれない障害者を受け入れる施設はあるのか、入所できる施設がないのではないか、
話があっちこっちとびますが、ポン太中学生のお話です。 『奇妙な行動』とは何か。 あまり根掘り葉掘り聞いてませんが、過去のつらい思い出ではなく、当時は何とも思っていなかったけど振り返ってみると…という内容でした。 小学生のときは、集会で大声出しても人前でおならしても平気な子どもでした。 当時もちろん注意はしてましたが、まったく聞き耳を持ちませんでした。 これとは別に、つらかった出来事が頭からはなれず死にたいと言い出したので、短期間だけお薬を飲んでいた経験もあります。 忘れることが下手なんだと思います。 じゃあ記憶力がいいのかというと、少し違うような気がします。今日のお昼ご飯に何を食べたか、昼休みに何をしたかも思い出せません。 (そういえば、短期記憶が弱いと思ってコグメドのワーキングメモリートレーニングをやってみたこともあります。 ポン太にあっていてかなり効果を感じましたが、永続的にトレーニン
前回フィクション宣言をしたので、少しつっこんだお話を描いてみます。 ポン太2歳ごろ。(という設定のお話) ※いま思えば、保健師さんは間違ってません。当時はあせりまくっていて、まわりの声が素直に入って来ませんでした。 こんな感じで突っ走ってた時期もありました。人は全力で走ると、転んだとき大ケガします… 自閉症で検索すると、たくさんの療法が見つかります。なんでもやってみたくなります。 あの頃、鬱にならなかったのは、「なんとかしなきゃ」という気持ちに燃えていたおかげだと思うのです。使命感が悲しみを圧倒していました。 はまって楽しい療育沼♪ にほんブログ村
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『pontaikka.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く