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突然ですが、春から京都の賃貸マンションとは別にもう一軒、家を借りました。大阪府堺市にある実家から徒歩10分、築50年近い団地です。 団地の窓からの風景 実家のあるニュータウンの団地をセカンドハウスとして賃貸契約 4月の終わりに賃貸契約をして約1ヶ月、壁紙の貼り替えや家具の搬入などセットアップがほぼ完了し、セカンドハウスとして使い始めました。家賃は57㎡で5万円とちょっと。光熱費やネット代を入れて6万円/月がトータルの運用コストです。 セカンドハウスを実家の近所に借りた理由は、 コロナ禍で孤立し老化が進む親のサポートをするため リモートワーク中心で今の家の滞在時間が増えたので別荘的な場所が欲しかったため インテリアが好きなので好みの空間を実現したかったため の3つです。これらの理由から思い切って部屋を借りたのですが、思いがけない副産物がありました。 それは、「自分にとっての故郷を再定義できた
仕事仲間で犬仲間の id:mamita がシェアしてる増田を読んだ。 そうそう、そやったそやった。うちのしなもんも破壊的可愛さだったよね、とリアルに思い出した。 それでたまたま別件で古い写真を引っ張り出すようにある方面から依頼されたので、倉庫がわりに使ってる同居人の id:halfrack のワンルームに行ってゴソゴソと思い出の物入れをあけたところ、破壊的可愛さの写真が出てきたので持って帰ってスキャナで読み込んだ。 あんまり可愛いからブログに残しておこう。はてな初代会長、しなもんの在りし日の姿であーる。 しなもん(左)と鴨川で会ったもなかちゃん おっと、破壊的に可愛いのは右のもなかちゃんの方だ! ある日、鴨川で出会ったゆきずりの彼女。愛らしくて、しなもんにやたらとなついてたまらなかったなあ〜。 結局お嫁さんは迎えられなくて、独身のままだったしなもん。もなかちゃん、可愛かったなあ〜。その後、
お昼のニュースで乳幼児、特に保育園や幼稚園に入る前の子どもに対するネグレクトや虐待が増えていることが報じられていた。核家族化、シングル親の増加が進めば当然の流れだろう。 少子化対策、保育園の待機児童削減に向けての取り組みなど、政府もいろんなことを進めているが、虐待やネグレクトは増加の一途だ。産めよ増やせよ、保育園の待機児童を減らすから共働きせよ、というだけでなく、もっと草の根で子どもを育てやすい社会にしなければならない。 ベビーシッターやキッズシッターのサービスも増えて来たが、家計的な負担はやっぱり大きいので、まだまだ限られた家庭の利用にとどまっているようだ。 それなら、いっそのこと、出産後すぐに0歳児全てが保育園に入園することを義務化してはどうだろう。 義務化が行き過ぎならば、0歳からの保育園入園が当然で、むしろ家庭で保育するのは特別な家庭のみ、という形式を一般化させるのはどうだろう。出
新型コロナウィルスによる自粛生活。個人的には通っていたスポーツジムに行くのをやめた4月中旬からが本格的な自粛期間だったといえる。 自分の感じたことをざっくり時系列でまとめると、最初の2週間ぐらいは仕事は最低限にし、家族とこれからどのように自粛期間を過ごすか知恵を絞りながら、三度の食事を作ることや巣篭もり生活に向けた計画を立てて過ごした。 その時期はまだ生活の変化でテンションが高かったように思う。運動も意識的にしなければ、とマンションの階段を登り下りしたり、Youtubeで筋トレ動画を見て家でやったり、息子をけしかけて朝からラジオ体操をするなど、前向きに体を動かすようにしていた。 Zoomを使ってせっせとイベントを開催する人や、オンラインで活動する様子をSNSで発信する人たちの投稿を見るたびになぜかテンションが下がり(下がり、です。上がり、ではなく)、オフラインでの日々を慈しむように引き篭も
早いもので5月も中旬に!GW明けの週、京都は気候もよく気持ちよく仕事を再開できました。 9日は、経済評論家の勝間和代さんとLGBTアクティビストの増原ひろこさんの講演会で司会進行を務めさせていただきました。 イベントは、京都リサーチパークさんと、はてな時代からお世話になっている税理士のイコールさんが運営されている士業の集まり「ふくろう倶楽部」さんの主催によるもの。 勝間さんとお目にかかるのは初めて。想像の10倍以上のエネルギーを発しておられ、そのトークの速さや内容からして頭の回転スピードが常人を大きく超えていることがアリアリと分かりました。いや〜すごかった。 今年発売された書籍 勝間式超コントロール思考 にちなんだ講演でしたが、私自身が興味を持った内容は、 自分の有限なリソースをどこに分配するかに知恵を絞ろう 人間の意思は弱い、だからこそ環境が大事 生きるのが辛かったら自分にふりかかる問題
大阪南部のニュータウンでサラリーマンの父と専業主婦の母のもとで育った私は、さしたる教育も家庭で受けることなく、公立小学校から公立中学まで順位的には上位4分の1ぐらいの成績で過ごした。高校は家から徒歩10分で交通費がかからず制服が可愛いという理由で、両親の強い賛成のもと、学力より1ランクレベルが下の高校を受験した。大学進学は、唯一好きだった英語の試験だけで通る外国語短大を選んだ。バブルの最中に姉が短大から一部上場企業に入って華やかな生活をしているのを目の当たりにし、自分も一刻も早くつまらない勉強から解放されて社会に出て楽しみたいという理由からだった。短大ではビジネス英語や英会話を中心に学び、その後の社会生活では特に仕事で生かすことはほとんどなかった。今は日常英会話程度ならOKというレベルにとどまっている。こうして振り返れば、私の10代から20代前半の学びは、ごくごく普通の、何の特徴もないもの
japan.googleblog.com 「ある二人の大学生ラリーとサーゲイが「世界の情報を整理して誰でもアクセスできるようにする」という目標を立てたのも 1998 年でした。」 この3年後に、「話し言葉で質問すれば、ネット上の誰かが検索して答えてくれる」サービスを発案した京大卒の若者が、人力検索はてなを作ったのでした。 リリース当時は、アラートが鳴ったら夜中でも飛び起きて、誰かの質問に必死で回答していました。赤ちゃんの夜泣きも真っ青でした。笑 投資家へのプレゼン時には、KRPのブースで待機して、質問の答えを猛烈なスピードで探して回答しました。たしか「無料で英会話が学べるサイト」とかいう質問で、1分以内に5つほどのサイトをコメント付きで回答したら、先方はおおいに感激していたそうです(投資の話は実らなかったけど)。 Google Maps のAPIが出てすぐに「はてなマップ」をリリースして、
知人の奥さんが亡くなったと連絡がきた。 その知人とは五年前に知り合ったのだが、どこで会っても奥さんは同伴せず夫婦はバラバラだと言っていた。 実際、結婚してから30年近く、「亭主元気で留守がいい」(むかし流行ったCMのフレーズ)を実践していた夫婦だった。 2年前に奥さんが末期ガンと分かってから状況が一変した。 飲み会も、夏のレジャーも今まで一人で参加していた彼がまったく姿を見せず、朝から晩まで奥さんの看病に徹するようになった。 仕事も全て投げ打って、奥さんのことを面倒見る生活に切り替えた。 奥さんは奥さんで、夫以外の人には世話されたくない、他人の面会も受け入れない、ただ、夫がそばで看病していればよい、と完全に夫を占有しての最期を望んで日々を過ごしていたらしい。 そして奥さんは亡くなった。 30年も同じ屋根の下で別の暮らしをした夫婦が、最後に過ごした一年半の濃密な時間。 果たして何のために、誰
今日はVoice4uが入居しているシェアオフィス( https://stc3.net/ )の会員交流会に参加。 30人ぐらいの様々な業種業態の人たちが集まって、5分程度のピッチ(プレゼン)をして、その後、ビールと美味しいご飯を囲んで交流をした。 そのなかに、どこか懐かしい顔の人がいた。絶対にこの人とは日常的に会っていたと確信できる人だった。 それもそのはず、交流が始まってすぐにご挨拶に行ったら、はてなが創業時に入居していた京都リサーチパークのインキュベーションブースの入居者の人だった。 その人の名はマスダさん。英語が堪能で、我々が人力検索はてなを始めたばかりでヒーコラする横で、流暢に英語を駆使して、リサーチャー的な仕事をして稼いでおられた。マスダさんのブースは私たちの三倍ぐらい面積があって「いいなあ、こんな部屋を独り占めして」と羨ましく思っていた。 マスダさんのほうも、2メートル×2メート
この度、アメリカでアプリケーション&プラットフォーム事業、デジタルマーケティング事業などを手がける久保由美さん、樋口聖さんの2人と共に日本法人、Voice4u(ボイスフォーユー)株式会社を設立することになりました。 5年に渡りお世話になった京都大学こころの未来研究センターを3月で離れてフリー宣言をしましたが、そのことをFacebookでお知らせしたところ、すかさずメッセンジャーが飛んできて、「一緒に仕事をしませんか?」と申し出てくれたのが久保由美さんでした。その後、skypeでミーティングをして、あれよあれよというまに日本で設立する会社の創業メンバーに入れてもらうことになりました。 久保さんと樋口さんは2010年、サンノゼで Spectrum Visions Global, Inc. を立ち上げ、自閉症などのコミュニケーションにトラブルを持つ人々を対象にしたアプリ「Voice4u」の提供を
桜が咲き始め、家具屋やホームセンターが新生活を始める人で賑わうこの時期、思い出す出来事がある。 あれは短大最後の春、私は博多にある電力会社のビルの一室にいた。 「すみません。親が病気になったので就職をやめさせてください」 入社式を3日前に控えた3月の終わりだった。私の前に座っていた人事部のおじさん2人の顔が引きつっていた。おそらく社内での配属も決まり、研修の準備も完璧に終わっていたことだろう。なのに入社式の3日前になっていきなり「やっぱりやめる」と言い出した輩がいるのだ。 バブルの後半で、まだ就職は売り手市場だった。けれどさすがに天下の電力会社への入社を(入社3日前に)断る人間が出てくるとは想像していなかったようだ。 担当者は、 「まあ...親御さんがご病気なら仕方ないですよね...」 どうしようもない、やれやれ、という顔で私を眺め、やはり引きつった顔で見送ってくれた。親の病気とかいう見え
独り暮らしを始めたとき、真っ先に母がくれた調理道具のひとつがせいろでした。 料理教室をしている母は、調理道具を大阪の道具屋筋で買っていました。せいろも「ついでのときに買っといたの」と言って、送ってくれました。 もらった当時は、せいろがこんなに重宝すると思っていませんでした。 蒸気の力ってすごいです。なんでも美味しくします。 電子レンジでもじゅうぶん代用できるけど、せいろで蒸すと、美味しさが違う。素材の持ち味を蒸気がぐんと引き出してくれる感じ。 調理方法は、あってないようなもの。肉も野菜も魚介も、とにかく火が通るまで蒸すだけ。素材の硬さに応じて時間調節する、蒸しすぎない。それだけがコツ。 蒸しあがったものをお皿に盛って、気分に応じて好きな調味料をかけるだけでご馳走になります。 肉や魚介を蒸したあとは、鍋に残ったお湯が栄養たっぷりのスープになります。これは明日からの料理に活用できます。 昨夜は
子どもとゲームと親の関係について思うことをしたためます。 うちの子は父親がウェブの会社をやっていて、偶然にも子どもが生まれた2008年からは任天堂と仕事を開始した。そんな環境も手伝って、iPad、iPhoneは2才ぐらいから、ゲームは保育園の年中ぐらいからスーパーマリオやマリオカートをやるようになりました。 今は家にはSwitch、WiiU、3DS、子ども用のiPhoneがあり、毎日のようにクラスメイトが家にやってきます。週末には保育園時代からの友だちが遊びにくる。お目当てはやはりゲームです。 そこで気になるのが、子どもたちの親のゲームに対する嫌悪感だ。親たちと話をすると「ゲームばかりして」「ゲームを欲しがるけど買わない」「ゲームは一日1時間に限定している」と、アンチゲームな言動が多い。おしなべてゲームは悪だと思っているようです。 本当にゲームは悪でしょうか? 私も一時期は子どもがゲームに
本当に欲しかったもの、あるいは何日も何ヶ月も熟考して遂に購入するに至ったものは、意外にも手に入った瞬間は喜びが大きくない。 なんというか、既に前から手元にあるような気がして、あまりにしっくりとしすぎて、ワクワクドキドキが感じられない。 カリタ コーヒーミル ネクストG 電動ミル 61090 アーミーグリーンが我が家に届いたときも、「あぁ、やっと来たね。でも前からいたような気がするよ」というのが感想だった。 こういう感覚は、あまりに自分の好みと体型にフィットした服を買ったときや、見た瞬間に「これ買ったらぜったい毎日使う」と確信して文房具を買ったときにも通じている。 かれこれ20年近く前から、据え置き型のコーヒーミルをキッチンに置くのが夢だった。 何度か話題に出したことがあるが、はてなを始める直前まで、京都の北にあるカフェで修行をしていた。カフェの備品といえばコーヒーミル。カップに豆を入れて、
サンマ、イワシ、サバ....。 銀色に光る青魚をスーパーの鮮魚売り場で見かけると、いてもたってもいられなくなり、ついバスケットに放り込んでしまう。 とりわけイワシが好きだ。 その昔、ほんのわずかな期間、はてなのメイン事業であった人力検索はてなに「いわし」という掲示板があり、ブログのなかった時代に嬉々としてスタッフ日記をいわし掲示板で書いていた切なくも楽しい思い出があるから、という事柄とは全く関係ない(こんなエピソード書いても分かってくれる人は id:yomoyomoさんぐらいだろう)。 とにかく主婦になってから(主婦じゃなくなってからも)イワシが好きだ。 ピカピカと青銀色の光を放つイワシのパックは、なぜあんなにも吸引力があるんだろう。日本人のDNAなのか?安さに弱い庶民の習性か? 昨夕、近所のスーパーフレスコ(京都で有名なチェーン店)には、大振りのイワシが4〜5尾入って1パック250円で売
3年前ぐらいだろうか。ネット関係者ではなくママ友的な30〜40代の知り合いが軒並みFacebookを使い始めたとき、「いよいよSNSが一般人に広がったなあ〜」と感慨をおぼえた。 昨年あたりからinstagramを使う友人が一気に増えて、もはやinstagramに特別感は失われた。 しかしまだTwitterを使う同世代の女性は知り合いにほとんどいない。 なぜだろうと考えたのだが、その時々の心情をオンラインでつぶやきたい、情報を拡散したい、何かについて議論したい、というようなことを、「ネットでやらなくても、ふだんの生活で充分やってるわ〜」という理由から、Twitterは利用しないようである。 最近の私の知り合いに多いのは、子育て中の専業主婦や、働いていてもパート的な人、あるいは自営業的な人。そういう人たちはリアルの生活で色んな集まりに出かけては、様々な話題に興じる。わざわざネット上で知らない誰
快晴の日曜日。体調がすぐれなくて、家で寝て過ごした。外に出たのは郵便受けに手紙を取りに行ったときだけ。結局、最初に食事したのが午後5時半だった。 ピザでも取ろうかとスマホを眺めていたが、冷蔵庫には山ほど食材がある。ここで宅配に頼ったら負けだと意地を張った。のそのそとキッチンに立って用意したのが写真のワンプレートディッシュ。 レタスを洗ってちぎる。きゅうりを縦半分にスパッと切ってからスライスする。人参は千切り。卵二個をボウルでといてガーリックソルトで味付ける。熱したフライパンにオリーブオイルをたっぷりひいて、きざんだベーコンを炒める。そこへ卵を投入して手際よくかき混ぜてオムレツにする。二日前に作っておいた鶏むね肉のレンジ蒸しを添え、サラダにバルサミコとオリーブオイルと塩こしょうをふって、ベランダで摘んだバジルの葉を添えれば完成する。ハルキ小説の主人公か。 まあまあ、なんとか形になった。 鶏む
毎日、身体がだるくて眠い。 暇さえあれば畳に転がって休息をとっている。 小3の子どもが帰宅したらそうはいかない。友だちを引き連れてきて、リビングを牛耳ってゲームざんまい。スナック菓子はケンカしないように小皿に分けて出してやり、頃合いを見計らって公園に行かせ、帰宅したら宿題、ご飯、風呂、就寝。すべて声がけをして寝かしつけた22時にはもうクタクタ。 育児がキツい。 小学校に入れてからのほうがキツくなった。夕方まで預けていた保育園のおかげでラクさせてもらっていたなあと思う。 たしかに乳幼児期に比べれば、言葉は通じるし、多少の留守番もさせられるのでラクになった部分もあるが、別の部分でコタエルことが増えた。 育児がキツいと感じる人は多いと思うが、どの部分にしんどさを感じるかは人それぞれのようだ。 私の場合、子どもとのやりとりで生じる精神的な疲れに弱い。 元来、ひとりで好きなことをしているのが一番好き
玉ねぎスライスが好きで好きでたまりません。 実家にいた頃、母が飲んべえの父のためにしょっちゅう玉ねぎスライスを出していました。 平皿に盛られた半透明のみずみずしい玉ねぎの薄切り。その頂上にはふんわりとかつお節がまぶしてあり、食べる直前にごま油と醤油をまわしかけ、なじませるように軽く混ぜてからいただきます。 口に運んだ父が「うまいうまい!」と喜び、ビールをごくごく飲む....。そんな光景を懐かしく思い出します。 子ども心には、なぜこんなものが美味しいのか疑問でしたが、今ではすっかり好物になりました。 スモークサーモンにも、生ハムにも、冷奴にも、どんな酒のつまみにも相性がよく、オリーブオイルにもごま油にもマヨネーズにも醤油にも合って、和洋どちらにも対応可能な万能選手!玉ねぎスライスはすごい! しかも栄養価が高く血液サラサラ効果もあるということで、最高のサイドディッシュです。 この春は、新玉ねぎ
明日から3泊、福岡へ息子と旅に出る。 思い立ったのが先週なので、電撃旅行計画だ。 目的は、福岡にある TECH PARK KIDS(テックパークキッズ)という民間のアフタースクール(学童保育施設)が開催するスプリングスクールに参加すること。 テックパークキッズは、子どもたちにテクノロジーの楽しさを経験させることを理念に掲げたユニークな学童だ。 はてな時代に知り合って以来、親しくお付き合いしている友人のみーさんこと佐々木久美子さんが会長の株式会社グルーヴノーツが運営していて、昨年オープンしたてのフレッシュな施設だ。ビジネスマンで賑わう天神地区のオフィス街にある(らしい)。 みーさんは、テクノロジーベンチャーの創業者らしい自由な発想と実行力の持ち主で、現在の会社をいちから立ち上げ、成長させてきた行動の人である。 その言動を目の当たりにするたび、過去に一人で人力検索の仕組みを思い立ち、数々のウェ
締めくくりはPPAPだった。 大学の送別会で20人分の料理を作り、ウケをねらってりんごとパイナップルと棒状のクッキーをチーズケーキの上にあしらったPPAPケーキと称するデザートを作ったのだった。 大学の研究者のことだからピコ太郎を知らない人もいるに違いない、と踏んだら案の定当たって、 「PPAP?なにそれ?IAAP(国際分析心理学会の略)なら知ってる」 「ええっ、PPAP知らないんですか?」 といった会話があちこちで聞こえ、ほくそ笑んだ。おかたいアカデミックのパーティで私ができるささやかな演出だ。 前置きがながくなったが、やっと、やっと我が家からりんごが無くなった! この秋冬は、宅配の定期注文を思いきりミスって毎週のようにりんごが届き、りんごに追われまくった日々だった。 火曜日ごとにりんごが箱で到来し、夢にりんごが出てきそうな勢いだった。一時は iPhone のりんごマークが目に入っただけ
先々週の木曜の夜、薄着が平気な息子がトレーナーを着込んで「さむいさむい」と言い出した。熱を測ったら、39度だった。 息子は小2の現在に至るまで、学校を1日も欠席したことがない。「この調子で皆勤賞を目指そうぜ」と(私だけが)張り切っていたので、「あ、これはヤバイな」と嫌な予感がした。 案の定、翌日になっても熱は下がらず、学校を休んだ。ガラガラガラ(皆勤賞の夢がついえた瞬間)。息子は特にショックを受けることもなく、むしろホッとした様子だった。意外と皆勤賞のプレッシャーがあったのかもしれない。いや、ただ熱でぼぉっとしていたのかもしれない。 気を取り直し、病院に行って検査を受けた。「お母さん、インフルA型ですわ〜」と予想通りの宣告を受け、タミフルと解熱剤をもらって帰宅した。 結局、息子の熱は2日で下がり、残りの3日は家のなかで元気に遊んで過ごした。 放っておいたらYouTubeとWii Uざんまい
人間はギザギザとボコボコがたくさんある球なのではないか。 今朝、お茶の稽古に出かける準備をしていてそんなことが頭に浮かび、なぜかブログを再開してみようと思った。 なめらかで美しい球になりたいんだけど、どう自分を削っても、付け足しても、完璧な球状には程遠い。 もう、えいやっと自分を投げ出してしまいたくもなるが、生きているうちになんとなく、いびつな球である自分が愛おしくなってくる。 また、全てではないが、自分のギザギザやボコボコを埋めてくれる人も現れて、そうか、足りない部分は他人に補ってもらえればいいのだと気づく。そして自分もまた人のキザギザやボコボコをましにしてあげるようとする。 ブログを再開しようと思ったのは、そんなみっともない人生でも、やはり開けたワールドワイドウェブに生活の記録を残しておきたいと思ったからである。いつか息子が私の人生に興味を持ったときに、いかに母親の人生がいびつであった
冬と春がせめぎあっていたここ数日ですが、遂に春が勝利をおさめたようです。そんなポカポカ陽気の一日でした。 日曜日のブログには、たくさんの☆やブックマークやFacebookコメントやTwitterでの反応などをいただき、ありがとうございました。 卒業 - tapestry 「卒業しすぎだろう」という言葉には笑ってしまい、ショックだという声には申し訳ない気持ちになりました。ねぎらい、励まし、呆れ気味の感想などなど、いろいろありましたが、みなさんのあたたかい気持ちが伝わってきました。 結婚、創業からずっと私たちは、インターネットにいる人たちと共に歩んできました。 あまり認識していませんでしたが、サイトを訪れてくれる人、とりわけはてなIDを持っている人は家族同然と思ってきたきらいがあります(少なくとも私に関しては。だから村だとかいわれるのでしょう。承知しています)。そのため、オフィスにいる様子も、
2013年12月末をもって、はてなを卒業しました。また、合わせて結婚生活からも卒業しました。 金曜日は、はてなの人たち有志が慰労会を開いてくれました。 はてなではいつもホストの役目で誰かを見送る立場だったので、自分がパーティの主賓なのが不思議な感じでした。四条御幸町のカフェは貸し切りで、ドアをあけると懐かしい顔が迎えてくれました。 幹事の労をひきうけてくれたid:chira_rhythm55の司会でパーティは始まり、id:jkondoが乾杯の挨拶と音頭をとって、id:nmyが作った342枚の写真からなる思い出のスライドショーを眺めながら、皆で呑みました。京都リサーチパークの4平米のブースで始めた2001年の創業期、東京へ移動しメンバーが増えた2004年、アメリカへ渡った2006年、京都に戻った2008年。大画面には懐かしいメンバーの姿やしなもんが映し出され、ネット上でユーザーさんを巻き込ん
金曜日の夜中、窓をあけたらしんしんと雪が降っていた。しっとりと重みのある雪が直線的に空からおりてきて、いかにも適切な重なり方で庭の芝生に積もっていった。しんしんと、という表現がとてもしっくりくる降り方だった。少しずつ、確実に、世界が白くなっていくのをしばらく眺めていた。 朝起きたら、思っていたような銀世界ではなかった。気温が高かったのだろう。みぞれだか雨だか見分けがつかないものが降っていた。地面の雪はゆるいシャーベットのようでべっしょりと情けない風情だった。 昼、東京からやってきたゆかさんとみつきと息子のはるきくんを寺町二条のSinamoで迎え、ランチをとる。今年から新しい境遇になった私と会うために、東京から駆けつけてくれたゆかさんは、長身にスリムジーンズ、にび色の大きなピアスにロングネックレスと、あいかわらずスタイリッシュだった。スパークリングワインで乾杯し、ピザをつつき、店を出たあとは
2週間近く前にちらちゃんからもらった花がまだ咲いている。朽ちる直前の花の持つ妖気を感じる。 24時間、自分の意志のままに行動していると、どうしてもブログを書く意欲が減退する。 けれど、このブログでないと私の近況や想いを届けられない相手がいる。その対象のひとつは、ウェブのみでつながっている人。勿論読んでもらえているかは定かではないが。 彼らはあなたの人生にとって必要のないものですよ、と何処かで誰かがつぶやく。いいえ、そうではないのです。彼らがウェブに存在するかぎり、彼らとつながり続けるべきだし、断ち切ることはできないのです、と私は答える。本当にそうですか?と声がする。分からない。でもまだつながっていたい。 昔は、直接のやりとりや人を介した伝聞だけが誰かとつながる手段だった。そのほうがどれだけ楽だったことだろう。 でも今はちがう。ウェブという曇りガラスの向こうにいる相手の存在を無いものにはでき
河合隼雄さんの著書や研究内容を全て網羅したわけではなく、きわめてミーハーな部分で知っていただけなのだけど、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)』や『影の現象学 (講談社学術文庫)』など、印象に残る著作から生きるヒントをもらっていた。心理学に興味を持ったこともあったけど、学術的にというよりは自分の「こころ」の扱いに困り、何かにすがりたくて心理学やカウンセリングというキーワードに反応していた時期があった。 こころの未来研究センターから広報の誘いを受けたとき、ウェブサイトを見て河合俊雄先生の名前を発見した。ああ、こんなところで息子さんが研究をされているんだと驚き、勝手に縁を感じた。センターで扱う研究テーマは宗教、民俗、幸福感、死生観、発達障害など、どれも気になるものだった。大学広報は私には難しいと感じながらも、オファーを受けるしかないと思って契約した。 あのとき、内田さんから誘われてセ
もっともっとシンプルに生きたい。 来年の抱負をのべるとしたら、もうそれに尽きる。 シンプルに暮らしたい。 ものを手に入れることはその瞬間至福だけれど、のちの維持とメンテが大変だ。 多くの人とつきあうことはその瞬間快楽だけれど、のちの維持とメンテが厄介だ。 シンプルに生きたいと思い始めたら、おのずと何を残したいか考えるようになった。 何を残したいか考えるようになると、ものごとに優先順位をつけるようになった。 一日は二十四時間で限りがある。胃袋に許容量があるように、こころのそれにも限りがある。 だから選び取る。切り捨てる。 幸い私はかなり自由だ。自由に色んなことを選び取れる。切り捨てられる。 だからこそ慎重にならなくてはいけない。ゆがんだ取捨選択によってゆがんだライフにならないように。 今日は橋を渡ったのに、鴨川の風景に目を向けることすらしなかった。 先週、荒神橋から眺めた北山の山肌はうっすら
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