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買ってよかったもの
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「え、お前シャーマンに興味があったのか!」 そろそろオペも終わり、閉創をしていたときのことです。オペ中ただひたすら視野を広げるための鉤持ちとして器具の一部と化していた研修医に話題を振ってやろうと思ってくれたのだろう外科の指導医が、「梅田は前は人類学というのをやっていたんだってな。それはどういうことをやるんだ?」と問いかけてきました。真剣に答えるのは結構大変なので、普段は曖昧にごまかすこともある問いなのですが、ほぼ365日一日の休みもなく病院に顔を出し、この間は22時にオペが終わったあと5時からの緊急手術に入っていた外科医を前に、私はかつてなく真剣に応える覚悟を固めました。「私は医療人類学という分野に興味があって人類学をやっていました。人間の『医療のようなもの』全般を研究対象とする分野です。もともと人類にとっての治療全般に興味があって、近代医療のない人たちがどうしているのか、呪術師やシャーマ
「好きなものから手を離したらそれまでだから,絶対に離したらだめだよ」と言われたことがあります。言ってもらえて本当によかった。ちょうど,私が研究活動の手をとめて研究から離れかけた時に聞いた一人の女性ポスドクからの言葉でした。 私の一番好きなものというのは顕微鏡でした。生命現象であったり,モノであったり,顕微鏡で覗いて観察することが好きです。ただ,もう十年来かな,好きで出入りしていた研究室の先生がたまたま過去,走査型電子顕微鏡黎明期からの使い手だった,という影響があります。どうにか試行錯誤して美しい瞬間を撮るところに興味を惹かれます。だからか,美しい写真を撮ることが真実を究めることに結びつくと思っています。 学部4年生の時,院試の英語の勉強で二重螺旋構造を提唱したワトソンとクリックの論文MOLECULAR STRUCTURE OF NUCLEIC ACIDS を眺めた時に論文の写真から美しさを
[質問] 僕のいる萩谷研というところは、後輩が「『イデア』のようなものを、機械に組み込む」と言ったり、別の後輩が初対面で「数学的実在を信じますか?」と質問してきたり、たいへんおもしろいところです。このエッセーも彼らに書かせたほうが楽しいかもしれません。学部では情報科学科というところで、大学院ではコンピュータ科学専攻というところです。 [期待] 大学の学科を選ぶときに考えたことは、法律をやっても人間のことしか相手にできないし、生物をやっても地球の表面のことしかわからないし、化学や物理をやってもこの宇宙のことしかわからない、ということでした。では数学はというと、あるのかないのかよくわからないものの話をしていて、数学者にしか話が通じなくなると思いました。ここで情報科学という抜け道があって、記号列さえあれば、この宇宙に限らずどこでも成り立つことを研究できますし、あるのかないのか疑われたら計算機の中
まず前提として、僕は研究者ではない。 にもかかわらず、わりと頻繁に「研究肌」という形容をされる。 本稿ではせっかくの機会なので、「研究肌」と「研究者肌」との差異について考えてみた。先に断わっておくが、これは僕自身と周囲の幾人かを見て妄想したものであり、汎用性は全く保証しない。生物化学関連の話が多いのは、短い間だが生物化学科に属し、その一端を垣間見たからである。まずはどんな行為に対してそのような形容が行われたのか具体的にいくつか思い返してみよう。 たとえば中学の数学の試験。スムーズに解けても別解を思いついたら、その解答も完成させてしまう。 たとえば高校の理科の実験。何か作る途中で操作を間違えてしまった場合、その試料のその後もつい観察してしまう。 たとえば大学でのプログラミング。所与のモジュールで問題なく動作しても、その中身をじっくり見てしまう。 たとえば修士の実験。いざ執筆せねばならない段階
“自分探し”。 かっこいい言葉ですが、果たして本当の“自分”というものは存在するのでしょうか。 若い研究者によるリレーエッセイ。 まだ大学院にすら進学していない私にバトンを回してくださった意を汲んで、若い医師の視点で研究について考えてみます。 申し遅れましたが、私は都立病院で勤務する精神科医で、東大精神神経科にも所属しています(ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、医局、というヤツです)。医師5年目なので、まだ専門医ではないものの、ぼちぼち「精神科」という営みに参画して違和感を覚えなくなった時期です。 そんな私は最近、いくつかの大きな大きな喪失を経験しました。楽観主義の自分であっても、一時期は悲観的で絶望的な気分になりましたが、やっと持ち直して、長い間お待たせしていたこのエッセイを書く気になった、というわけです。 その回復、リカバリーを支えてくれたのは、私をよく知る同僚・先輩、そして家族
僕は今春、博士の学位を取得した。普通ならば、博士論文を提出して審査会でのプレゼンテーションに成功し、合格すれば、その後の数週間はすがすがしい気分で過ごせるものなのではないだろうか。けれども、僕はなんともかっこ悪い体験をし、達成感を感じる余裕などない年度末を過ごすはめになってしまった。 それは、審査会合格後、研究のためにスペインを訪れていたときに起こった。 僕は、脊椎動物の進化に関する研究を展開している。大学院では中生代の化石についての研究を行い、世界各地の博物館等の研究機関に所蔵されている標本を調査して廻った。スペインを訪れたのは、博士論文を書き上げた中で生じた疑問を解決するために、マドリッドにある化石骨格標本を調査するのが目的であった。マドリッドでの調査を終え、僕はちょっとした新発見に興奮しながら、世界遺産クエンカで1日だけ観光し、鉄道を利用してバレンシアを経由しバルセロナへ降り立った。
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