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昔、山下達郎がこんなことを言っていた。 「ロックと違ってモータウンとかは語りにくいんだよね。それで歴史に残るっていくのは、ロックみたいな言語化しやすい音楽のほうなわけ」 あやふやな記憶をもとにしてるんでぜんぜん正確じゃないんだけど、だいたい、こんな意味のこと。 モータウン(・サウンド)が歴史に残っていないかと言えば、そりゃ違う。 実際に今でもちゃんと聴かれている。 しかし、モータウンのような、人を楽しませるだけに作られた娯楽音楽よりも、ロックのような、社会性だとかメッセージ性みたいなのがある音楽のほうが語られやすいし、また歴史に残りやすいってのも確かだと思う。 実際、歴史に残ってるロックバンドのなかには、今聴くと「なんじゃ、こりゃ」ってのが数多くあったりする。 60年代から70年代にかけての、いまだに名前が残ってるロックとモータウンを聞き比べてみると、明らかにロックのほうに外れが多い。 つ
作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。 なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。 私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。 もし読んでない人がいたらぜひ。 で、このなかの一節にこういうことが書かれている。 思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。 手塚治虫のマン
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