トラックバック受信、読みにいく。そこの管理者の方が交流のある方との対話の中で出されたエントリという内容と解釈。そうした対話の中で、自分が書き残したものに対しての感想が出てきていたという理解。対話の元になっているエントリを読むために二つのブログを行き来する。その対話の端々ににじみでているいろいろなポイントについて、もそもそと考え続けたり。 ふと思う、人間関係の中で発生する偽善性とは潜在的な無力感が背景にあるのではないか。何もできないと思うときに、それでも「せめて優しく」とか「せめて暖かく」とか、そういうスイッチが動いてしまうときがあるのではないだろか、とか。潜在的な無力感に対して向かい合うつらさというものを、そういった優しさスイッチというか道徳的スイッチというか、そういうもので人は希釈しようとすることがあるのではないだろうか、とか。 娘が幼少の頃、一番仲の良かったいわゆるママ友という人の子ど