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「去年(2009年)が終わった時に『もう、辞めてもいいかな』とも思ったんですよ」 千葉直樹がそんなことを言ってきたのは2010年の1月、グアムの地で『Jリーグサッカーキング』2010年4月号に掲載する「千葉直樹が語るベガルタ仙台の15年」という企画のインタビューをした時のことだった。ここ数年、年末には彼の去就が注目されてきたが、開幕前にこのような話を聞くのは初めてのことだった。 「でも、いろいろ考えた結果、もう1年やることにしました。やると決めた以上は、10年先くらいのチームのことも見据えてプレーしたい」 もともとプレー面で視野の広さとバランス感覚を武器にしていた千葉は長い現役生活の中で、ピッチ外のことも広い視野の下、考えるようになっていった。そして未来の仙台の姿を見いだすべくラストシーズンを全うして、彼は15年の現役生活を終えた。 「僕という人間を育ててくれたベガルタ仙台を、5年後、10
[Jリーグ展望(前編)] 藤本淳吾と永井謙佑を加え競争激化の名古屋 カルロンや田代の得点力が鍵を握る鹿島(1/2) 文=元川悦子 写真=鷹羽康博 充実の攻撃陣がゴールを量産すれば 名古屋のJ1連覇も夢ではない 3月5日の2011年Jリーグ開幕が3週間後に迫った。その前の週末である2月26日には、2010年J1王者の名古屋グランパスと2011年元日の天皇杯決勝の勝者である鹿島アントラーズが「FUJI XEROX SUPER CUP 2011」で激突する。今季もJ1をリードすると見られる2強の新シーズンに迫ってみることにする。 まず名古屋だが、昨季は1点差ゲームを確実にモノにする勝負強さが光った。特に際立っていたのは失点の少なさだ。34試合の総失点37は、リーグ最少だった鹿島の31、それに次ぐセレッソ大阪の32に続く3番目の失点数だった。この堅守を支えたのが楢崎正剛、田中マルクス闘莉王率いる
[ワールドサッカーサテライト|ワールドサッカーキング 11.02.17(No.170)掲載] ベイル、ウィルシャー、ロドウェル、ヘンダーソン、ウェルベック、キャロル 「プレミアリーグの将来を担う若手選手は?」このテーマに答えてくれたのは、イングランドの『デイリー・ミラー』紙で健筆を振るうマクドネル記者。彼が選んだ6人はいずれも、シーズン終了後の夏、移籍市場の主役となりそうなタレントたちだ。シーズン後半戦は、彼らの活躍を追っておくべきだろう。 現地記者がオススメする期待の若手選手6人 今回のコラムを書くに当たり、私は編集部からテーマを与えられた。「プレミアリーグの将来を担う若手選手をピックアップしてほしい」。ということで、私なりに考えて6人をピックアップした。この中には既に、広く名前を知られた選手も入っているのだが、いずれも20歳前後の彼らがキャリアのピークを迎えるのは数年先になるはずだ。つ
[アジアカップ決勝直前企画] 長谷部誠 ブレない精神力と周囲への気配りを併せ持つ日本代表キャプテン(1/2) 文=元川悦子 写真=兼子愼一郎 2011年アジアカップ(カタール)の激闘の渦中にいるザック・ジャパン。チームの真価を問われる重要な一戦だった準決勝韓国戦の前日。公式会見に現れたキャプテン、長谷部誠(ヴォルフスブルク)は毅然とこう言った。 「明日は日本人の誇りを持って戦います」 彼はこんな言葉がよく似合う若者だ。松井大輔(グルノーブル)ら年長者たちに「ハセは真面目すぎる」と言われるくらい、相手を真っ直ぐ見据えて自分の考えを話す。そんなすがすがしさに好感を持ったからこそ、アルベルト・ザッケローニ監督も「彼は精神面、技術面でもキャプテンとして重要な役割を担うのに適している。このチームでは彼がキャプテンだと感じている」と公言したのだ。 そんな指揮官の期待に応え、長谷部はアジアカップでひと
サッカー専門誌の編集者時代から現在に至るまで、使ってきた取材ノートの数は65冊以上に上る。それらに残されたメモを頼りに、日本サッカー界のさまざまな時代をひも解いていく。第48回は今冬、ブンデスリーガの古豪ケルンへ完全移籍した“DFW”槙野智章。卓越した守備能力と抜群の攻撃センスを兼備し、闘争心溢れるプレーだけでなく、パフォーマンスでも観客を魅了する日本サッカー界の次代を担う若武者の足跡をたどる。 【槙野智章】1987年5月11日生まれ。ジュニアユースから広島一筋で育ち06年にトップ昇格。翌07年には U-20W杯出場を果たし、シーズン後半に定位置を奪う。09年に自慢の攻撃センスで8得点を挙げるなど活躍して、翌年1月には代表デビュー。昨年は上質なプレーに加えてパフォーマンスでも観客を沸かせ、ベストイレブンを初受賞。今冬、ドイツの古豪ケルンへ完全移籍した。 目の前にいる広報担当らしき男性は、
[ワールドサッカーサテライト|ワールドサッカーキング 10.08.19(No.154)掲載] 長友佑都の加入で注目が集まる“若手の登竜門”チェゼーナの秘密 長友佑都はワールドカップの活躍によってイタリアのサッカーファンに記憶されたわけではない。一部の人たちは、大会前から長友のプレースタイルをよく知り、その実力を評価していた。最終的に、買い取りオプション付きの1年間のレンタルという内容でFC東京との契約をまとめたのはチェゼーナだったが、ヨーロッパで最も早く彼に注目し、獲得のための具体的な動きに入っていたのはボローニャだった。 ボローニャのルーカ・バラルディGMは、W杯開幕前から長友の獲得交渉を行い、正式決定に近いところまで話を進めていた。仮にこの交渉がW杯開幕の前に決着していれば、彼のW杯の活躍によってボローニャ首脳陣のスカウティング能力はイタリア中のファンから称賛されるはずだった。ところが
緑のユニフォームにたっぷりと詰まった魅力 まあとにかく、カッコ良かったのである。「YOMIURI」のロゴが胸に刻まれた、緑のユニフォームは。 デザインは至ってシンプルだった。緑一色が基本で襟もなし。個人的にはPUMA製というだけで二重丸なのだが、それはともかくとして、デザインなんてものを越えた魅力が、このユニフォームにはあった。彼らが見せてくれるサッカーに、たっぷりと。 ボールはガンガンに動いて、人はほどほどに動く─。ちょっと強引にまとめてしまうと、そんなサッカーだった気がする。 省エネという表現は当てはまらない。効率が良いのである。彼らの技術レベルは相当に高い。無理に走らなくたって、ボールを回しているうちに相手が疲れてくる。そうすればまた、技術が際立つ。読売の選手が表情を変えて走るまでもなく、試合の構図は決まっていく。彼らをムキにさせるチームが少なかったのだ。 例えば、日本に帰化する前の
サッカー専門誌の編集者時代から現在に至るまで、使ってきた取材ノートの数は65冊以上に上る。それらに残されたメモを頼りに、日本サッカー界のさまざまな時代をひも解いていく。第43回は1997年の加入以来、鹿島アントラーズ一筋で戦い続ける本山雅志。ゴールデンエージの一人としてワールドユース、オリンピックで国際舞台を経験し、錚々たるメンバーが紡いできた背番号10の系譜を受け継ぎ、走り続ける彼の足跡を振り返る。 【本山雅志】1979年6月20日生まれ。鋭いドリブルと巧みなパスに加え、守備をいとわない献身性も兼ね備える。東福岡高3年時に史上初の高校3冠を達成。日本代表では黄金世代の一人として99年Wユース準優勝、00年シドニー五輪ベスト8進出に貢献。A代表でも28試合に出場した。98年の加入以来、鹿島一筋でプレーを続け、02年からは背番号10を背負い常勝軍団をけん引し続ける。 コンコンというノックの
「天才少年」が「少年」で終わらずに、プロの選手へと成長していくためには、不断の努力を必要とする。その点はサッカー界も、他の職業と全く変わらない。では、その「努力」とはどのようなものなのか。ウィルソン記者は様々な実例を挙げつつ、選手のキャリアを押し上げる条件を追っていく。 つまらない仕事をいかにまじめにこなせるか 日曜日の草サッカーチーム、記者が集まるプレスルーム、週末のスポーツジム……様々な場所で、私は“元”天才少年に出会ったことがある。彼らの自慢はロビー・ファウラーやジョナサン・ウッドゲイト、ジェイムズ・ミルナーといった選手と「昔、一緒にプレーしていた」こと。そして、「プロを目指す道もあったけど、女の子(または酒や音楽)が好きだったからなあ」などと続く。どこにでもありそうな、最もつまらない言い訳だ。周囲の人間は笑いながら同情するが、内心はこんな馬鹿に生まれなくて良かったと胸をなで下ろして
名門レアル・マドリーのシンボルだった彼は今夏、ドイツの古豪へと新天地を求めた。ラウール・ゴンサレス。“スペインの至宝”とまで称された伝説の男が、キャリア最大の選択について、ストレートに思いを語った。 マガトの情熱に心を打たれた ──まずは移籍の経緯を教えてほしい。シャルケに移籍するという決断は簡単ではなかったろう? 【ラウール】いや、実はかなり前から、シャルケでプレーすると決断していたんだ。ただ、(ジョゼ)モウリーニョがマドリーの監督に就任した時、すぐに連絡してきてね。「君の力を頼りにしている」と言ってくれた。その一言ですごく悩んだよ。移籍の決意が鈍ってしまった。でも、マガト監督が僕を必要としていると知った時、気持ちは決まった。 ──そもそも、なぜR・マドリーを出る必要があったのかな? 【ラウール】何か新しいことをする必要があった。僕の心は常にマドリーとともにあったし、ある意味では今もそう
現役時代は熱いプレーで日本代表を統率し、引退後は的確な分析と強いハートで指導者の道を歩んだ柱谷哲二。03年からは浦和レッズのコーチとして複数のタイトル獲得に貢献するなど、高い戦術眼には定評がある。長らくレッズを見続けてきた“闘将”の目に、現在のサッカーはどう映っているのだろうか。 レッズの弱点はサイドに空いた“穴” 【柱谷哲二(はしらたに・てつじ)】1964年7月15日生まれ。京都府出身。日産自動車(現横浜FM)やV川崎(現東京V)、日本代表で主にセンターバックとして活躍。熱いプレーでキャプテンとしてチームを統率し、“闘将”の愛称で親しまれた。現役引退後は札幌、東京Vで指揮官を歴任し、03年から3 シーズンにわたってレッズでコーチを務めた。現在はJリーグOB会の初代会長としてサッカーの普及に励んでいる。兄の幸一は現浦和レッズGM。Jリーグ通算183試合出場13得点。日本代表通算72試合6得
バルセローナとレアル・マドリーの一騎打ちとなった優勝戦線、そしてマジョルカとヘターフェが躍進した第2グループの争い。歓喜と失望が交錯したリーガ・エスパニョーラの今シーズンを現地記者はどう見ていたのか。リーガの戦いを総括しつつ、タマメス氏が今シーズンのベストプレーヤーを選出する。 バルサをあと一歩まで追い詰めたR・マドリー 2009-10シーズンのリーガ・エスパニョーラが終了した。シーズンが終われば総括と分析を行うのが我々ジャーナリストの仕事だ。そこで今回は、バルセローナの連覇で幕を閉じた今シーズンがどのような一年だったのか、私なりの視点でまとめてみよう。 リーグ戦自体は最終節まで結果が分からないスリリングな展開となったが、一方で例年どおりのシーズンだった感もある。その主たる原因はやはり、リーグが終始3つのグループに分かれていたことだろう。第1のグループは優勝争いを演じたバルサとレアル・マド
[ OCNスポーツ・インサイドストーリー vol.2 ] 欧州の舞台で輝きを放つ 本田圭佑のちょっと「深い」話 (サッカー/CSKAモスクワ)(2/2) 文=元川悦子 写真=足立雅史 インサイドストーリー: vol.1(遠藤保仁)|vol.2(本田圭佑) 彼のこうした人間性は、父・司さんら家族の影響が大きいようだ。 「親父にはいつも『一番になれ』と言われてました。俺が家で休んでいると『今、ブラジルでは他の選手が練習してるぞ』と言う。要は、人より上に行くなら、人よりやらないとダメってことなんです。ガンバのジュニアユースの頃も、最初の2カ月間はモノレールで通っていたんですけど『何でモノレールで行くんだ。自転車で行くのもトレーニングだ』と大反対されて、自転車に切り替えましたね。親父は楽をしようという考え方が大嫌い。強い気持ちを持つことの大切さを繰り返し言ってました。そんな感じなのに、金銭的なこ
[ OCNスポーツ・インサイドストーリー vol.2 ] 欧州の舞台で輝きを放つ 本田圭佑のちょっと「深い」話 (サッカー/CSKAモスクワ)(1/2) 文=元川悦子 写真=足立雅史 インサイドストーリー: vol.1(遠藤保仁)|vol.2(本田圭佑) スポーツが与えてくれる感動は、試合だけに限らない。 スポーツに取り組む人々の生き方、彼らが紡いできた物語もまた、 ファンを熱くさせ、観戦の喜びを大きくしてくれる。 OCNスポーツ・インサイドストーリーでは、 さまざまなエピソードから、スポーツに関わる人々の魅力に迫る。 今どき珍しい、有言実行の若者 “草食系男子”の多い昨今の日本にあって、本田圭佑(CSKAモスクワ)は極めて珍しい存在だ。「自分は点を取ることがすべて」と言い切り、ガムシャラにゴールに向かう野獣のような姿勢は、見ていて実に気持ちがいい。 彼の歯に衣着せぬ物言いは、し
[ OCNスポーツ・インサイドストーリー vol.1 ] 日本代表のキーマン 遠藤保仁のちょっと「イイ話」(1/2) 文=元川悦子 写真=足立雅史 スポーツが与えてくれる感動は、試合だけに限らない。 スポーツに取り組む人々の生き方、彼らが紡いできた物語もまた、 ファンを熱くさせ、観戦の喜びを大きくしてくれる。 OCNスポーツ・インサイドストーリーでは、 さまざまなエピソードから、スポーツに関わる人々の魅力に迫る。 取材への姿勢が物語る誠実な人柄 今や中村俊輔(エスパニョール)と並んで日本代表の看板選手となった遠藤保仁(G大阪)。鹿児島県桜島出身の彼は、有名な遠藤3兄弟の末っ子だ。 長男・拓哉氏は鹿児島実業高校時代に前園真聖(現解説者)とともに高校選手権準優勝の一員となった。次男の彰弘氏も同校で城彰二(現解説者)と同期。アトランタ五輪に出場し、プロとしては横浜F・マリノスなどで14
序盤戦でマンチェスターの2クラブに敗戦を喫し、優勝争いから一歩後退した感があるアーセナル。ヴェンゲル監督の信条でもある「美しいサッカー」で栄冠を手にすることは不可能なのか。世界有数の知将は今、理想と現実の狭間(はざま)で苦しんでいる。 世界で最も美しいアーセナルのサッカー 最高の美しさを備えながら、見ていて最もフラストレーションがたまるチーム。10秒で10本のパスをつなぎ、あっという間にゴールを陥れる一連のプレーは驚くほど鮮やかで、今シーズンはエヴァートン戦とブラックバーン戦で6得点、ポーツマス戦とウィガン戦では4ゴールを積み重ね、総得点は9試合で29を数える。だが、一転してスランプ時は、30本のシュートを放とうと1点も入らない。 ツキがないのか、実力がないのか。とにかくここ4シーズンはタイトルと縁がない。しかし、彼らのポテンシャルは本物だ。世界一のタレント集団レアル・マドリーよりも個性豊
[ インタビュー|ワールドサッカーキング 09.08.20(No.123)掲載 ] 「新たな次元へ」本田圭佑(VVVフェンロ/日本代表)(1/2) インタビュー・文=岩本義弘 写真=足立雅史 キャプテンを任され、オランダ2部リーグ優勝とリーグMVP。昨シーズン、これ以上ない結果を残してみせると、5月以降、日本代表にも定着し急速に評価を高めている。不断の努力と果てなき向上心とともに、本田圭佑はまた新たな次元へと突き進む─。 ゴールを決めることに喜びを感じている 【本田圭佑】非凡なパスセンスとシュート力を備えた日本代表期待のレフティー。途中から主将を務めた昨シーズン、16ゴール11アシストの活躍でチームを初の2部優勝に導き、MVPも受賞した。5月のチリ戦で代表初ゴール ──まずは昨シーズンの話から聞かせてください。2部リーグで優勝してMVPも受賞しました。16ゴール、11アシストという数字に
[ スポーツライター戸塚啓が振り返る|Jリーグサッカーキング 9月号掲載 ] 大黒将志/東京V(1/2) 文=戸塚 啓 写真=足立雅史、山口剛生 サッカー専門誌の編集者時代から現在に至るまで、使ってきた取材ノートの数は50冊以上に上る。それらに残されたメモを頼りに、日本サッカー界のさまざまな時代をひも解いていく。第30回は、鋭い動き出しと得点への執着心を武器にリーグ1やセリエAでもプレーした大黒将志。プレーヤーとして全盛期と呼ぶべき時期を迎え、完全復活の兆しを見せる点取り屋の足跡をたどる。 J2の現場へ行く。東京ヴェルディが良くなってきた、という話を聞く機会が増えてきた。得点ランキングの上位に、大黒将志の名前がある。香川真司と激しく首位を争っている。なるほど、と納得する。 1980年5月4日生まれ。オフ・ザ・ボールの巧みな動きとDFラインの裏を突く飛び出しが魅力。05年に日本代表に初選出
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