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ノーベル賞
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父との断絶。「英文学」と「哲学」を専攻 ▶(1)からの続き:19歳の時(1961年)、ルーはニューヨーク州の北部にあるシラキュース大学に入学します。ルーが専攻したのは、「英文学」と「哲学」でした。単純化できないにせよ、ルーの「マインド・ツリー(心の樹)」は、性的障害の治療とロックン・ロールの一時的な光のために、大きな「影」を投げかけるようになっていったにちがいありません。実利的な会計士だった父が長男に希むコースでなかったことは事実で、断絶した父に背を向けるような選択でした。しかし、この選択は、ルーに大きな影響を与えずにはおられませんでした。 「電気ショック療法」は、ルーのセクシャリティではなく、パーソナリティに深く影響していきました。事実、その療法はルーの性向を矯正することはできず、ルーは19歳の時はじめて男性と関係しています。その気でもないのにつきあっていたガールフレンドには罪悪感を抱い
はじめに: ニューヨークの”ワイルド・サイドを歩いてきた”人物の筆頭につねに数えられるルー・リード。ジャンキー、セクシャリティ、ペルソナ、詩人、アナーキー、アーチスト、ロックン・ローラー、パフォーマー、トランスフォーマーという形容が30余年にわたってルー・リードを飾ってきた。ルー・リードがヴォーカルとギターをとったヴェルヴェット・アンダーグラウンド(プラス・ニコ)は、後にアンディ・ウォーホルの目にとまり、容喙(ようかい)し取り引きしたため、ファクトリーのアヴァンギャルドなアートシーンの匂いをたっぷり吸い込むことになりましたが、この「マインド・ツリー(心の樹)」は、おもにルー・リードがヴェルヴェット・アンダーグラウンドをジョン・ケイルらと結成するまでの彼の魂の彷徨と冒険を追います。 「僕がやりたいのは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と同じレベルにあるロックン・ロールなんだ」と語るル
www.youtube.com 竹久夢ニ(1)から: 3歳の頃から馬の「絵」を描きだしていた 邑久町の旧正月は賑やかでした。とくに西大寺の観音様の会陽(えよう)「裸祭り」には、父・菊蔵も張り切って繰り出したといいます。 母と夢二たちが田舟に乗って数日後に出向けば、西大寺境内は様々な屋台が並び、太鼓や笛の音、じんたのクラリネットが奏でられ、のぞきカラクリに猿の曲芸、猛獣使い、一寸法師の綱渡りの絵看板が掲げられ、夢二を夢中にさせました。 また、大智明権現の春祭で催された競馬や吉井川の河原で見ることができた草競馬も、幼少の頃から夢二を虜にしていました。 竹久夢二 (中公文庫) 作者:青江 舜二郎 中央公論社 Amazon 夢二が3歳の時、初めて描いたのは「馬の絵」で、7歳の時に馬に乗っています。夢二の最初の妻となる岸たまきは、まさに馬のようにくりくりした大きな目をした面長で、目と目の間が少し離れ
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