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“楽器を持たないパンクバンド”と呼ばれ、『アメトーーク!』でも「BiSHドハマり芸人」が放送されるなど話題のBiSH。 メンバーのモモコグミカンパニーさんはBiSHに入る前は、友達と過ごしながらも、本気で向き合えない苦しさを持っていたそう。「楽しそうだな」という気持ちで加入したBiSHで、仕事や周囲と本気で向き合う勇気を持つようになったこと、またそのおかげで得たものについて伺いました。 笑う意味がわからないまま、 BiSHになった モモコグミカンパニー(ももこぐみかんぱにー)。2015年3月、BiSHとして活動開始。2016年5月、シングル「DEADMAN」でメジャーデビュー。「JAM」「Nothing」など手掛けた歌詞にも定評があり、「リズム」はBiSH初のメンバー作詞作曲となる(モモコグミカンパニー作詞、アイナ・ジ・エンド作曲)。初の著書『目を合わせるということ』は8刷りに。 ──Bi
兄弟ならではの息の合った正統派しゃべくり漫才で、若者を中心に幅広い層から人気のお笑いコンビ「ミキ」。弟の亜生さんは、大学を卒業後、介護会社の社員を経て、お笑い芸人になった異色の経歴の持ち主。 会社員を経たからこそ、「お客さんが『わかる!』と思える共感ネタが作れるようになった」という亜生さんに、芸人になるまでの紆余曲折や、ブレイクするまでの葛藤を伺いました。 大学卒業後は、芸人にはならず介護の道へ 三木亜生(みき あせい)。1988年7月22日生まれ、京都府出身。2012年4月、兄・昴生(こうせい)とお笑いコンビ「ミキ」を結成。ボケ担当。趣味はフットサルで、学生時代に静岡県の大学選抜に選ばれたこともある。 ──大学では海洋系の学部で勉強していたと聞きました。 亜生さん(以下、亜生):そうなんです。本当はイルカの調教師になりたくて、高校を卒業したら専門学校に行こうと思っていたんです。でも両親に
会社員という立場にどっぷり浸かっていたのに… 2019年4月から、6年続けてきた会社員生活に終止符を打ち、フリーランスになりました。 正直、独立は僕自身も想定外のことでした。SNSを開けば『フリーランス最高〜!』派による「フリーになるべき論」が飛び交っていますが、若干のうらやましさはあるものの、兼業会社員生活に不満はなかったからです。むしろ、「会社員」という立場の居心地の良さにどっぷり浸ってました。 会社という組織の中にいることに、僕は、多くのメリットを感じていました。たくさんの人と関わることができるし、学ぶことが多く、一人では到底扱えないような大きなプロジェクトに携われて、万が一の場合には会社が守ってくれる。 毎月固定したお給料をもらえるし、上司や営業先からいろいろと教わることもできるし、夜や土日を使えば、自分の好きなイラストを描いて、副業も無理せず続けられる。会社員、最高じゃないですか
「つい悪いことばかり考えてしまう」「自分にはいいところがない気がする」など、誰もが陥るネガティブ思考。 なんとか、このネガティブ思考から抜け出したいと思っている人も多いのではないでしょうか。 しかし、精神科医であり対人関係療法の第一人者、水島広子先生は、「ネガティブ思考を変えようとするとむしろネガティブになる」と言います。その理由について、水島先生に伺いました。 ネガティブ思考は治さなくていい? 水島広子(みずしま・ひろこ)。精神科医。対人関係療法の第一人者として対人関係療法専門クリニック院長などを務める。アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン(AHJ)代表、『自己肯定感、持っていますか?』、『「幸せにやせたい人」の心の教科書』、『それでいい。』(細川貂々氏との共著)など著書多数。
仕事において効率を上げたいものの、うまくできていない人も多いのではないでしょうか。 メールの未読通知はどんどん増えるし、ネット上の役に立つ情報を拾っていたら時間を取られ、気が散り集中力が落ちたりする……。 こんな悩みを持つ人も多いはず。 そこで、脳のリハビリの専門家・作業療法士の菅原洋平さんに、脳科学の視点から、効率的な時間の使い方を聞きました。 メールの即レスは、仕事が中断されるのでやめる 菅原洋平(すがわら・ようへい)。作業療法士。ユークロニア株式会社代表。精神科に勤務後、脳のリハビリテーションに従事。現在ベスリクリニックで外来を担当する傍ら、企業研修やセミナーを全国で開催。『超すぐやる! 「仕事の処理速度」を上げる“科学的な”方法』『脳と睡眠の仕組みでみるみるヤセる!ストレス0(ゼロ)ダイエット』など著書多数。
仕事は給料以上に、やりがいが大事。あるいは、やりたくない仕事で稼ぐより、好きなことをして生きていきたい。若い世代を中心に、そんな価値観が広がりつつあるようです。 その一方で、“老後の自己資金2000万円問題”に象徴される、お金にまつわる漠然とした不安を多くの人が抱えています。お金よりも大事なものがあると思いつつも、明日食べるゴハンのこと、結婚や子どもといったライフステージの変化、そして老後を考えると、どうしてもお金が視界に入ってくる。 まるで呪縛のようにのしかかってくるお金の不安から少しでも自由になるためには、どのような考え方や行動が必要なのでしょうか? その答えを求め、今回訪ねたのは事業家・思想家の山口揚平さん。「お金の歴史と未来」を考え続け、これからのお金論、そして変化していく価値観について、メッセージを発しています。研究のきっかけは「お金の呪縛から逃れたかったから」と語る山口さんに、
活動的な『ぼっち』と呼ばれて 最近「『ぼっち』なのに活動的ですね」と言われることが増えました。 そう言われるたびに、一瞬「悪口かな?」と思ってしまうのですが、どうやら悪意があるわけではなく、純粋に『ぼっち』なのにいろんな活動をしているというのが不思議だ、ということのようです。 確かに僕は現在、執筆、ゲーム実況、和太鼓とさまざまなことをさせてもらっているので活動的と言えなくもないのかもしれませんが、しかしそれはごく最近のことであり、以前の僕はまったくそんな素振りも見られぬ非活動的な『ぼっち』でした。 かと言って、では最近は『ぼっち』ではなくなったのか……と言えばそんなことはなく、どこへ向かうのも大抵一人ですし、誕生日やクリスマスは「え? そういえば今日はそんな日だったっけ?」なんて、明らかに嘘と気取られるとわかりつつも、どうにかダメージを受けていないふりをして過ごしています。 ただ、以前に比
今の仕事や生活に特別不満があるわけではないけれど、ぴったりフィットしている快適さもばっちり目が合っている安心感もない。時間を忘れて没頭するほど夢中にもなれない。かといって他にやりたいことがあるわけでもない。そもそもやりたいことってなんだっけ……? 何かがちがうことだけはわかるけれど、何がちがうのかはぜんぜんわからない。ああ、わたしは誰、ここはどこ、仕事って何?と迷子になった経験はないだろうか。わたしは、ある。 子どもの頃から目標を立てるのが苦手だった 子どもの頃から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれても答えられなかったわたしは、大人になっても目標を立ててそこに向かって進むことが苦手で、新年の抱負さえ書けなかった。 過去の手帳を見返すと、2007年「平常心」2008年「出し惜しみしない」2009年「人にやさしく」とあり、これでは目標でも抱負でもなくただのスローガンだ。2009年に関して
「私は大変じゃない」。小学校の集会で、泣いて暴れた 会社を2カ月、休職した。 実家に戻り、寝ることくらいしかできなくなった私を救ってくれたのは、知的障害のある弟。 私はいつも、弟に助けられて生きてきた。 でも、世間は逆の先入観を持っている。 小学生の時、集会で先生が言った。 「奈美さんには、知的障害のある弟さんがいます。大変なのに頑張っているので、学校では皆で助けてあげましょうね」 瞬間、私はブチ切れた。 後にも先にも、私が人前であんなに泣いて暴れたのは、初めてだ。 家に帰っても悔し涙が止まらず、母に「私は大変じゃない」「良太はかわいそうじゃない」と、何度も言った。 強がりじゃなく、本音だった。 私は弟・良太といることで、数え切れないほど得をしてきた。 友達に囲まれる弟と、人付き合いが苦手な姉 良太はダウン症という染色体の異常で、知的障害の判定は重度。今は24歳になるが、知的レベルは2歳児
36歳、今の私には友達がいる。心友と呼べる存在がいる。 彼らに出会ったのは32歳の頃。たった4年前のことだ。正直言って、それまで「友達」といえる人はいなかったし、「友達」という存在すらもまったく信じていなかった。 そんな私に友達ができるまでのことを、赤裸々に書いてみようと思う。 同級生どころか女の先輩からも嫌われていた高校生活 私の母は、大阪の小さな町で靴屋を営んでいた。私と2歳離れた妹は“靴屋の娘”と呼ばれ、その町でちょっとばかり有名な姉妹だった。町の人から「可愛い」と言われて育ち、いつの間にかその言葉に慣れ、何をすれば褒められるかも幼心にわかっていた。 中学時代は勉強もできて、周りの人とうまく付き合えていたように思う。だが、高校生になってから、人付き合いに引っかかりを感じ始めた。 高校は私服で自由な校風。私は、当時流行っていたブランド「MILK」の服を着て、ロリータパンク風の格好で登校
「成功者は誰よりも努力している」「圧倒的な努力は必ず報われる」。そんな言葉が人を奮い立たせる一方で、「必ずしも努力が報われるとは限らない」という現実に直面する人も多いはず。 今回お話を伺ったのは、元プロテニスプレーヤーの松岡修造さん。現役時代は世界を舞台に活躍し、現在は後進の育成に注力する松岡さんは、「テニスは“超”がつくほどの不公平」「結果を出した人が正しいとは思わない」と断言します。 どれだけ努力しても、体格や持って生まれた才能の差を埋めることができない、厳しい世界で戦ってきた松岡さんが考える「成功」とはどんなものなのでしょうか。特別な才能に恵まれたわけではない普通の人が、不公平な社会の中で成長していくための方法論についてもお聞きしました。 テニスの世界は「超」がつくほどの不公平 松岡修造(まつおか・しゅうぞう)。1967年、東京都出身。10歳でテニスを始める。95年、ウィンブルドンで
ミュージカル『レ・ミゼラブル』や『レディ・ベス』などに出演し、舞台俳優として第一線で活躍されている平野綾さん。 実は彼女、2006年にテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒ役でブレイクした“声優”としての顔も持っています。 華々しいキャリアを持つ平野さんですが、「周りが抱くイメージと実際の自分とのギャップが大きすぎて、ずっと自信を持てなかった」と言います。 「今はありのままの自分で勝負できるようになった」と語る平野さんに、そのきっかけとなった出来事やそれまでの葛藤を伺いました(※) (※)本インタビューは2019年5月14日に行っています。 ずっとハルヒのイメージを演じ続けていた 平野綾(ひらの・あや)。1987年、愛知県名古屋市出身。1998年から子役として活動を始める。14歳の時に声優デビュー。2006年に、テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒ役でブレイク。2011年に『
グラビアタレントとしては遅咲きの29歳でデビュー後、妖艶なルックスと知的なキャラクターで大ブレイクを果たした壇蜜さん。現在は女優の他、ユーモアと切れ味鋭い発言でコメンテーターや執筆の世界でも活躍し、その人気は男性にとどまらず女性からの支持も得ています。 「粛々と与えられた仕事をまっとうするだけ」と語る壇蜜さんからは、プロ意識の高さと覚悟がひしひしと伝わってきます。 起伏に富んだ経歴と、それに裏付けられた仕事の処世術までいろいろなお話を伺いました。 おっぱいが揺れないとテレビには出られない⁉ 壇蜜(だんみつ)。さまざまな職業を経て、29歳の時に、グラビアタレントとしてデビュー。現在は、テレビ、ラジオ、雑誌、文筆業など幅広く活躍中。 ──芸能界に入るまでにさまざまな職を経験されている壇蜜さんですが、具体的にどんなお仕事をしていたのですか? 壇蜜さん(以下、壇蜜):大学を卒業してから、お菓子の専
新潟を拠点に活動している3人組アイドル・Negicco。2003年の結成から活動歴はなんと16年。2010年にはご当地アイドルの全国コンテストで優勝をつかみ取りました。現在は「にいがた観光特使」をつとめるほか、地元企業のCMにもひっぱりだこ。地域密着型アイドルの成功例とされています。 その後もシングル曲がオリコンチャートTOP10入りするなど、着々とステップアップを続けてきたNegiccoですが、リーダーのNao☆さんが31歳の誕生日に結婚を発表。「結婚後もNegiccoは続けます」と宣言し、恋愛禁止ムードが漂うアイドル界に革命を起こしたのも記憶に新しいところです。 今回は、アイドル活動をしながら、新潟大学の工学部を2014年に卒業した「かえぽ」ことKaedeさんをお招きしました。年齢を重ねることで募っていく「今のままでいいの?」という焦りとどう向き合ってきたのか聞きました。 25歳で感じ
「周りが認めてくれない」なんて思っているうちは超元気 「仕事で自分が思ったほど評価されなくて、悩んだり傷ついている人のために何か言ってやってくれ」 本コラムはそういう依頼で書いている。 だが、受けておいてなんだが、私は10年以上会社員をやってきて「周りがちゃんと評価してくれない」などと思ったことは一度たりともない。 なぜなら他人に評価されるようなことをした覚えがないからだ。 覚えがないのに認められたら逆に怖い。 「知らん……何それ……怖……」とギャグマンガ日和のようなビビり方をしてしまう。 そもそも「周りが認めてくれない」なんて思っているうちは、超元気である。 何故ならまだ「自分以外のせい」にできているからだ。 上司がバカだから、女を評価しない会社だから、守護霊の奴が、と思えるようならまだ大丈夫だ。 自分に自信があるなら、自分を正当に評価してくれる人や場所と良い守護霊を探せばよいからである
NHK『みんなで筋肉体操』に出演して注目され、タレントとして活躍中の村雨辰剛さん。 単身スウェーデンから来日し、26歳の時に日本人に帰化。本業は庭師です。 伝統的な職人の世界に飛び込んで、親方の元で褒められたりすることがなくても、頑張れたそう。 「褒めるコミュニケーション」が重要といわれる中、なぜ、褒められなくてもモチベーションを保つことができるのか、また、常に新しいことにチャレンジし続けられる理由ついて、実は内向的だという村雨さんに聞いてみました。 “褒められないと頑張れないの?”という疑問 村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)。スウェーデン生まれ。高校時代に日本でのホームステイを経験し、19歳で日本に移住、23歳で造園業に飛び込み、見習い庭師に。26歳で日本国籍を取得、村雨辰剛に改名。NHK『みんなで筋肉体操』で注目され、タレントとしても活動中。著書に「僕は庭師になった」(kraken)。
無能だった。 新卒入社したのは、誰もが憧れるキラキラ企業。そして私はその会社のお荷物だった。最初に任されたのは、業界のシェア分析。分析、たったそれだけのことができなかった。提出してもボツをもらいつづけ、新規プロジェクトの提案どころか、バツのついた書類を前に泣いていた。 夜、消灯後も残って作業をした。帰る時間も惜しいから、オフィスの床に寝た。当時の自社ビルにはシャワールームがあり、たとえ会社に泊まっても人間の尊厳は残されていた。ただ、警備員さんが近付いてきた時「わっ!……死んでるかと思った……」と驚かせてしまったのは今でも申し訳なく思う。 いま思い起こせば、入社直後だから当たり前だろう。同期に話を聞くと、誰もがいっぱいいっぱいだった。だが、当時の私は自分を勝手に追い詰めていた。なにしろ、周りは自分より優秀な人間しかいない。同期もいくら切羽詰まっていたとはいえ、私より優秀だった。自分にできるこ
女性が憧れるキャバ嬢として、今年3月にキャバ嬢を引退するまで、新宿・歌舞伎町でカリスマ的人気を誇っていた愛沢えみりさん。 愛沢さんは20代前半で数店舗のキャバクラにてNo.1を獲得した後、雑誌『小悪魔ageha』の専属モデルに抜擢。その後、自身がオーナーとなり立ち上げたアパレルブランド「EmiriaWiz(エミリアウィズ)」の社長も務め、キャバ嬢の枠を超えて幅広いフィールドで活躍されています。 そんな愛沢さんに、キャバ嬢や社長業で培ったコミュニケーション術を聞いてみたら、「自分の発言が原因でスタッフが辞めたことがある」と、ガチの失敗談を告白してくれました。 ダメキャバ嬢から立ち直れたのは「不安と向き合う方法を見つけたから」 愛沢えみり(あいざわえみり)。18歳で夜の世界へ入り、2011年、22歳の時に新宿・歌舞伎町の「ジェントルマンズクラブ」でNo.1を獲得。以後、“歌舞伎町の嬢王”として
SNSのタイムラインを眺めていると、目の前を駆け抜けていく、キラキラとしたライフスタイル。若くして有能で仕事もプライベートも充実させている人、忙しいはずなのにお洒落な手作りランチ、きらびやかな友人たちとのパーティー……。 そんな「映える」投稿たちを毎日のように眺めていると、心の隅から「私はこれでいいのか?」「自分はどうしてこうなれないのか?」という声が聞こえてくるのは私だけでしょうか? SNSで映えたい! あわよくばバズりたい! 友人から「あなたの投稿がリア垢にまで回ってきてびっくりしたよ!」と言われたい! ……そこまで切実な欲求でなくとも、友人知人やSNS上の有名人の素敵な投稿を目にした時に、若干の引け目を感じた経験、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。 私、キラキラした人たちに劣等感を刺激されがちです 申し遅れました、私、甘木サカヱと申します。本業を持ちながらライターとして活動し、
職場にも、家庭にも、友人関係にも、「本当に気を許せる場所」「本当の自分でいられる場所」がない。そんなふうに感じる人が増えているといいます。 そこで今回は、「居場所」のあり方をケアとセラピーの視点から描いたヒット書籍『居るのはつらいよ』の著者・東畑開人さんに、「居場所の見つけ方」を聞きました。 休み明けに出勤がイヤになる理由 東畑開人(とうはた・かいと)。臨床心理士。自身の体験を元にケアとセラピーを考察した学術書兼青春物語『居るのはつらいよ』が大きな話題に。十文字学園女子大学准教授。白金高輪カウンセリングルーム運営。 ──自分の「居場所」のようなものが見つからず、窮屈感や孤独感を感じる人が増えているようです。そもそも「居場所」とは何でしょう。 東畑開人さん(以下、東畑):ひと言でいうと、「油断できる場所」だと思います。たとえばわかりやすい場所だと、会社の喫煙所とか、なんかたまり場みたいになる
自分の好きなものや、ブレない軸を持つのはいいことだとされています。が、今回、Dybe!ではそれが強すぎて周囲と協調できなかったという人にお話を聞きました。90年代の音楽シーンを牽引し、今も最前線で活躍するカジヒデキさん(52歳!)です。 かつてスカートをはいてメイクをしていたというカジさんは、「自己主張が強すぎて協調性がまったくなかった」そう。デビューしてからも「もっと注目されなきゃ」と、インタビューやラジオで空回りした発言をしたこともあるのだとか。 「ありのままの自分」と「周囲に求められる自分」、カジさんはどうやってその折り合いをつけてきたのでしょうか。好きな仕事を楽しみながら長く続ける秘訣についても伺いました。 「人と同じ」がイヤ。いつも一人で行動していた10代の頃 カジヒデキ(かじ・ひでき)。ミュージシャン、音楽プロデューサー。1967年、千葉県富津市出身。89年、ネオアコースティッ
消費税率10%も迫り、漠然とした生活の不安がしのびよる現代。でも、将来のことは考えたくないし、好きなことに使うお金もゆずれない、という人も多いはず。 そこで、現在28歳、MBAホルダーでファイナンシャルプランナーでもある“お金の専門家”横川楓さんに、それほど収入が多くない20代でもできる貯金のしかたを伺いました。 読者と同世代であり、若い世代にお金の知識を伝える活動もしている横川さんだからこそのお話です。 月収が同じでも、使えるお金は減っていく 横川楓(よこかわ・かえで)。明治大学法学部卒業後、同大学院へ進学、24歳で経営学修士(MBA)を取得。ミレニアル世代のお金の専門家/経済評論家。著書に『ミレニアル世代のお金のリアル』。 ──お金に関しては不安な気持ちしかありません。特に将来が見えなくて…。 横川楓さん(以下、楓):当然だと思います。たとえば、初任給の平均額は少しずつ上がっているもの
昨年、戦場ジャーナリストの安田純平さんが、3年ぶりにシリアで武装組織から解放されたニュースが流れたことを覚えてますか? 戦争や紛争が起きている場所に出かけ報道する戦場ジャーナリストは、常に命の危険と隣り合わせの仕事です。 彼らは、なぜ命を落とすかもしれないような危険な場所に行くのでしょう? そんな素朴な疑問を感じた人も少なくないのでは……。 そこで今回、日本で活躍する数少ない戦場ジャーナリストのひとり、常岡浩介さんに取材を申し込みました。なんとアフガニスタンで武装組織に誘拐され、拘束生活を送ったこともあるそうです。 常岡さんが戦場ジャーナリストという仕事を選んだ理由や、命がけの取材のギャラはいくらなのか、武装勢力に拘束された時はどんな生活を送っていたのか、赤裸々にお話しいただきました。 戦場への入り口は少女漫画研究会!? 常岡浩介(つねおか・こうすけ)。ジャーナリスト。戦場での取材を得意と
家庭内でコーヒーのお店を開業し、「小1起業家」が話題になりました。父親の佐藤ねじさんは、さまざまなデジタルコンテンツを生み出すブルーパドルの代表。「ハイブリッド黒板アプリ Kocri」ではグッドデザイン賞を受賞しています。 仕事柄、 “新しい企画を出さなければ”と悩んでいる人もいると思いますが、アイデア出しの達人・ねじさんによると、才能やひらめきはなくてもOKだそう。 誰にでもすぐできる、アイデアを出すコツを伺いました。 アイデアを出すには才能よりもコツが必要? 佐藤ねじ(さとう・ねじ)。1982年生まれ。アートディレクター/プランナー。面白法人カヤックを経て、ブルーパドルを設立。『変なWEBメディア』『5歳児が値段を決める美術館』『Kocri』『レシートレター』『しゃべる名刺』『貞子3D2』など、話題のデジタルコンテンツを制作。著書に「超ノート術 成果を10倍にするメモの書き方」。 ──
志望していた大学や企業に入れない、希望とは違う部署に配属される……。仕事も人生も思い通りにならないことは多いもの。それでも「与えられた場所で結果を出すのがプロ」と言われてモヤモヤしていたら、ある人がヒントをくれました。 お笑い芸人や俳優、彫刻家など、多分野で活躍してきた片桐仁さんは、「これまでやってきた仕事は、自分から望んだものではない」と振り返ります。 自分から望んだわけではない仕事や環境に、片桐さんはどのように適応し、モチベーションを維持してきたのでしょうか。これまでの経歴を振り返りながら、与えられた場所で楽しみながら結果を残すコツを聞いてみました。 美大受験に失敗。すべり止めだった「版画科」で4年間を過ごす 片桐仁(かたぎり・じん)。大学卒業後、芸人活動を経て、現在は俳優、彫刻家として活躍。『99.9 刑事専門弁護士』(TBS系・2016年)、『あなたの番です』(日本テレビ系・201
みなさんの職場に「怖い上司」はいますか? きっといると思います。そういう上司がいると職場に行くのが辛くなりますよね。とてもよくわかります。 しかし、ちょっと考えてみてください。「みんなから好かれている上司」と「みんなから嫌われている上司」どちらのほうがつけ入……親密な関係を築きやすいのかということです。 みんなから好かれている上司というのは、当然ですが「人に好かれる方法」を心得ている人です。その好意は「みんな」に向けられているものであり、外面上の姿に過ぎません。どれほど感じのいい上司も当然ですが人間の好き嫌いはあります。ある意味で、「感じのいい上司」というのは感情や好悪が見えない分だけ恐ろしいのです。 組織に勤めている以上、上役とは良い関係を築いておく必要があります。コミュニケーション・コストは関係が良好であればあるほど低くなるものです。人間関係の最大の潤滑油は好意であるというのは人類が滅
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