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バレンタインは如何でしたか?爺には縁のないイベントですw 次のイベントといえば「雛祭り」ですね。これも縁が無いですw ちょっと早いですが・・・ 今更ながら「雛祭り」って? 三月三日は、雛人形を飾り、白酒や菱餅、ハマグリのお吸い物などで女の子の節句を祝う行事です。 古代の中国に、川に入ってケガレを清める上巳節(じょうしせつ)という行事があり、三月最初の巳(み)の日に行われていました。 平安時代には、祈祷師を呼んで祈りをささげ、人形をなでて厄を移し、供物を備えて水にながすという祭りが毎年行なわれていました。 上巳節が日本に伝わり、室町時代の貴族の女の子の人形遊び「ひない祭り」とが合わさり雛祭りの原型ができたと言われています。 安土桃山時代になると武家の社会に伝わり、江戸時代には庶民にも広まりました。 江戸時代初期は内裏雛一対だったものが、江戸中期には段飾りが登場し、三人官女をはじめとした雛人形
ヘッド画像を変えました。 スキッとした画像を作りたいのですが、なにせ無料画像編集ソフトなので今一歩思うように出来ません。 フォトショップやイラストレーターなどのソフトがあれば良いのですがw でも何となく、まぁ良いか?って感じです。 ちょこちょこ変更するかもしれませんが、気にせずお付き合いください! 変更前 tomshannon.hatenablog.com
相も変わらず送って来る詐欺・迷惑メール 自分の暇さを棚に上げて「暇な人たちだなぁ」と思ってしまう。 ご請求内容のお知らせ Аmazon お客様 Аmazon をご利用頂き誠にありがとうございます。 お客様のアカウントは強制停止されています - アカウントで不審なお支払いが検出されました。 取引注文を防ぐために、個人情報を確認する必要があります。 Аmazon ログイン なお、24時間以内にご確認がない場合、誠に申し訳ございません、お客様の安全の為、アカウントの利用制限をさせていただきますので、予めご了承ください。 ________________________________________ クレジットカードでのご入金頂き、誠にありがとうございます。 処理日 2020年2月12日 15:2:14 JST 購入額 262,622 円 (税別) お支払い方法 クレジットカード Amazo
「清少納言」からの流れです・・・ 先日の天皇ご即位の時に雅子様が着用されていたのが「十二単」です。 十二単は、奈良時代の後期に着物の原型が生まれ、平安時代により現代に近い着物が生まれた、その平安時代の中期に完成したのが女房装束の儀服です。 宮中などの公の場所で晴れの装いとして、宮中の儀式など、公家女房の晴れの装いとして用いられました。 唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)から成ります。髪型は大垂髪(おすべらかし)が基本。 重さは平均20kgもあり、重ねる衣の枚数は十二枚ではなくまちまちで、室町時代以降は5枚となり、それ以後「五衣」と呼ばれるようになりました。 正式名称は「五衣唐衣裳」で、十二単と呼ぶようになったのは、宮中では十二単とは呼んでおらず、世間が『源平盛衰記』にある「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単
薄明るくなりかけた ベランダに出てみる いつもの風景・・・ 葛城山に二上山 肩に雲が掛かり 稜線が墨絵の様だ しばらくすると 雲の間から朝日が顔を覗かせた 雲が恥ずかしそうに 淡い橙色に染まりだした ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ こんな歌を思い出した 『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。』 清少納言 春はなんといってもほのぼのと夜が明けるとき。だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子。 この歌と出会ったのは小学生の高学年か中学生の頃だったと思う。 淡い思い出が蘇えるwww 落書きです。 ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ ☆☆☆☆ 枕草子の作者「清少納言」の生涯 枕草子は、清少納言が宮仕えをしていた7年間の出来事や考えたことを書いた随筆です。 966年頃、あまり身分の
毎日多くのブログを閲覧していると、色々な事を記事にされている。 記事を読みながらその人なりを想像する事もある。 時々弱音を吐いてる記事があると、どこか人間らしく思えて読み返す。 何気ない言葉を呟いている記事、何気ない言葉だが心に刺さる。 楽しい記事だと心が温まる。 自分がブログのなかで、自分の考えを書くことはあるが、自分自身に置き換えて考えるよい機会だと思っている。 去年は「誕生花」で365日だった、今年は「日本の習慣やしきたり」をテーマに、解りやすく表現したい。 意味の解らない、自分らしくない記事でした(ネタ切れか?)www ooooo ooooo ooooo ooooo ooooo tomshannon.hatenablog.com
婚姻からお見合いだったので今日は「仲人」に着目してみた。 今更ながら「仲人」って? 平安時代ごろの通い婚には、仲介者が登場していて、男女の取り持ち役を務めています。たいていは身分の高い人が勤めたそうです。 鎌倉時代の一時期、中媒(なかだち)と呼ばれる女性がいて、未婚の男性に嫁の仲立ちをし、金銭の報酬を得ていたこともあったようです。 嫁入り婚が主流になった江戸時代以降は、仲人が重視されるようになり、結婚の全てを取り仕切ったと言う事です。 両家の経済状態や職業、社会的地位などの釣り合いを考えながら縁談話を進め、婚礼に立ち会う保証人役も務めたようで「橋渡し」と呼ばれていました。 現代の挙式では、媒酌人を立てますが、この呼び名は挙式当日の仲人のことで、見合い結婚の場合はそれまでの経験上、仲人が媒酌人を兼ねるのが普通です。 tomshannon.hatenablog.com tomshannon.h
今更ながら「お見合い」って? 平安時代には、物語にも出てくるように和歌を交換しあって自由に恋愛を楽しんでいたようです。 しかし江戸時代ごろまでは、今ほど自由な交際が認められていませんでした。婚姻の前段階として、お見合いという形がとられるようになりました。 「見合い」という言葉は「妻合わす(めあわす)」からきているといわれ、男性に妻となるべき女性を引き合わせるためのものです。 当時は、主に女性の家で行われ、男性がその場で意思表示する習わしでした。 訪れた男性と仲人が席に付くと、まず当の女性が茶菓などを運んで来ます。そして男性があいての女性を気にいれば、出されたお茶を飲むか、菓子を持ち帰るか、または自分の扇子を置いて帰るかで、婚姻の意思の有る事を相手に伝えます。 意思の無いときは、逆に出されたお茶を飲まず、菓子にも手を触れず扇子を置かずに帰えることで、婚姻の意思の無い事を知らせたようです。 現
先日、メル友(死語?)の一人からメールが来ていた。 「この春結婚する事になりました」と言う事でした、顔も見た事の無い女性で40歳位の人かと想像していたのですが、31歳だそうです。(ごめんね・・・)何はともあれ、おめでたい事です!!! 今更ながら「婚姻」って? 今では男女の恋愛は自由で、結婚も当人同士の意思で決める事が多いと思います。しかし、少し前までは当人同士よりむしろ、家と家の結びつが重要視されていました。 古くから伝わる結婚のしきたりには、当人たちを祝福するのはもちろんのこと、家と家の新しい結びつきを祝い、両家の家系が子々孫々まで絶える事の無いようにとの願いが込められていました。 日本の婚姻は、時代により、また身分により様々な形態をとりながら変化してきたようです。 民俗学者の「柳田国男」氏によると、大きく分けて「婿入り婚」「足入れ婚」「嫁入り婚」の順に変わってきたと言う事です。 「婿入
昨日、近くの公園に立ち寄ってベンチに座っていると、向かいのベンチに自分より少し上かと思われる老夫婦が座られました。 二人は間におかきを置き、持ってこられたお茶を紙コップに注いで楽しんでおられました。 その時に思い出した話ですが、いつどこで読んだか忘れました、その上はっきり覚えていないので自分なりにまとめてみました。 ここは、常に住んでいる人は疎らな静かな別荘地の様な所です。少し入った林の中に、ログハウスのお洒落なカフェがありました。 年配のマスターが一人で切り盛りしている落ち着いたお店です。 カウンターで珈琲を戴き、バッハのピアノソナタが流れているのを楽しんでいると、年配の着物姿の女性が一人で入ってきました。 黙って、自分の一つ横のカウンターの席に座りましたが、注文もしないで黙ったままです。 しばらくすると、紳士的な男性が入って来て、その女性に声をかけました。 男 「隣に座っても良いでしょ
梅の便りが届くころに思い出す花「梅笠草」 花の咲く時期は違うのですが、名前と花の雰囲気が好きで、梅の便りが届くころに思い出します。 イチヤクソウ科の多年草で、日本各地の丘陵から山地の林内に生え、高さ10~15センチほどです。 開花は、6月から7月ごろで茎頂に白い花を1個咲き、まれに2個咲く事も有ります。花冠の直径は1センチほどで、花弁は5枚です。果実は扁球形の蒴果です。 名前の「ウメガサソウ」は、「梅笠草」の意で、花の形がウメ「梅」に似て下向きに咲く様子を「笠」に見立てられたようです。熟すに従い花は上向きになります。 花言葉 は「厳しい優しさ、勇気」 tomshannon.hatenablog.com
たまたま夢で狐様が踊っていたので、昔話風に綴ったのを昨日UPしました。その流れです。 今更ながら「初午(はつうま)」って? 「初午」という行事があります、初午とは、2月最初の「午(うま)の日」のことで、2020年は、2月9日が初午の日です。この日は、全国的にさまざまなお祭りが行われます。 もともとは和銅4年(711)2月の初午の日に、京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が降臨したのを祀ったのが最初といわれ、その後、縁日として稲荷大神を祭る祭事が行われるようになったそうです。 初午に食べるとよいとされているのが「初午いなり」です。これは、稲荷神の使いであったキツネの好物が、油揚げだったことが由来となっています。 多くの稲荷神社では、油揚げを奉納しており、初午の日にも、油揚げや、油揚げを使った「稲荷寿司」をお供えします。 その稲荷寿司を初午の日に食べることで、稲荷神のご利益に授かることができると考えら
一昨日見た夢を 昔話風に綴りました oooooooooooooooooooooooooooooooo むかしむかし 京の町に「寺田屋」という呉服屋がありました そこには「さち」という年頃の綺麗な娘さんがいました ところが さちはこの歳になるまで一度も笑ったことが無いというのです さちの親は そのことを大変気にしていたのです ある日 一山越えた村の庄屋さん親子が呉服を買いに来ました その時 庄屋の息子の幸太郎は さちを見て嫁に欲しいと言い出しました さちの親は 嫁に行けば笑う事も有るだろうと快く承諾したのです 嫁入りの日は朝早く さちと親と使用人を伴って 馬に乗り店を出て庄屋の家をめざしました 途中 山に入ったところ 変な声が聞こえて来たのです 「寺田の娘がお嫁入り🎶 🎵」 「寺田の娘がお嫁入り🎵 🎶」 さちは 何事かと声のする方を見ると狐たちが歌いながら踊っているのです 笑った事の
今更ながら「恵方巻」って? 恵方巻は、大正時代に大阪の商人や花街で発祥した風習が由来だそうです。 当時は、節分の時期においしく漬けあがったお新香を海苔巻きにし、商売繁盛を願って食べるというものでした。やがて、それを大阪の海苔や寿司業界が販促のため関西地方に広め、メディアやコンビニなどの流通業界の影響もあり、現在は全国的に根付いたと言う事です。 恵方巻は、その年の恵方を向いて丸かじりすると、願い事が叶い、無病息災や商売繁盛をもたらすとされています。 さらに、縁起よく七福神にちなんで7種類の具を入れ、福を巻き込んだ太巻きを食べると良いとされ、福を逃さぬよう包丁で切ったり、途中で喋ったりしてはいけません。また、太巻きを鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて、鬼退治ととらえる説もあります。 恵方とは、その年の福を授ける年神様(歳徳神)がいる方角で、その年最も良い方角とされています。今年の
次の行事は節分ですね、色々なブログでも節分の記述がみられます。 そこで自分も節分を纏めました。 今更ながら「節分」って? もともと節分は、立春、立夏、立秋、立冬など季節の改まる前日のことを節分と呼んでいたようですが、次第に立春の前日だけを節分と指すようになりました。この節分を境目にして、暦の上では翌日から春になります。 古代中国では大晦日に、邪気や疫病を打ち祓うため、鬼の面をかぶった人を、桃の木で作った弓矢で射って追い払う、「追儺(ついな)」という行事がありました。 これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代には宮中で大晦日の行事として、盛んに行われるようになったという事です。 このころに、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して、家の門にかかげる節分特有の飾りが広まったようです。ヒイラギは毒草でトゲがあり、イワシは生臭物であるため、魔除けの効果があると信じられていたようです。 豆まきが定着したのは、
もう30年も前の話ですが、たまに一緒にお酒を飲む程度の友人がいた。 その友人と居酒屋に行ったとき、常に疑問に思っていた事を聞いてみた 俺 「よう なぜ嫁を貰わないんだ?」 友 「嫁かぁ いらないなぁ」 俺 「なんでなんだ?」 友 「いやぁ いらないな」 俺 「なんでだよ」 友 「実はな、昔彼女が居たんだ2年ほど付き合っていたんだ・・・ その彼女がさぁ癌になっちゃってさぁ 入院したんで、毎日のようにお見舞いに行ってたんだ 彼女の好きな物や雑誌とか色々買ってさぁ 慰めていたんだけど 三か月くらいして亡くなったんだよね」 俺 「そうなんだ それでかぁ」 友 「あぁ・・・ 初七日が過ぎて四十九日くらいだったかな 仕事が忙しくて帰るのが遅くなった日があったんだ いつも帰ると誰もいないけど『ただいま』って言ってるんだが その日も『ただいま』って言うとだなぁ・・・おかえり・・・ って聞こえたような気がし
今更ながら「招き猫」って? 昔から猫は、化け猫伝説があるくらい、不思議な魔力を持つと考えられてきました。 中国の唐から猫が渡来した際、「猫面を洗って耳を過ぎれば、即ち客到る」という言葉も一緒に伝来したと言われています。 『ある日、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩の帰りに、豪徳寺(東京都世田谷区)の門前まで来た時、一匹の白猫が現れ、右手を上げて、しきりに寺内の入るように招くので、直孝は誘われるように境内に馬を乗りいれた直後に、激しい雷雨とともに門前に落雷があったというのです。 危うく災難を逃れることが出来た直孝は、その後、荒れ果てていたこの寺に膨大な寄進をし、さらに井伊家の菩提寺としたといいます。 なお、このとき右手を上げて直孝を招き入れた猫の墓は、現在も豪徳寺の墓地の一角に猫観音として供養されているとの事です。また現在も、幸運を呼び込む招き猫伝説の元祖として、門前ではいろいろな張り子の猫が売られて
昨日は、予定も無く暇で退屈だった。忘れたころにポツンとやって来る。 暇とは、何もすることがない時で、退屈とは、暇を持て余している時に感じるものです。 そして、暇とは客観的条件によりもたらされるもので、退屈とは主観的条件によりもたらされるものだと思う。 暇であることは150年前は誇れる尊敬される存在であったようだ。 なにもやる気が起きず、ただただベランダでコーヒーを飲んでタバコをふかし、ぼーっとしている。そんな時、何かをしようと思うが、その気力が伴わないというなんとも八方ふさがり的状況になる。それが多少苦痛でPCの前に座るのだが、少し経つとそれもむなしくなる。 少し思い悩んだ挙句、座禅を組み無為の世界に浸る。すると無為の中にいても苦痛がなくなり、心が落ち着いて、何も考えず満足しているという状態になる。こうなったらしめたものだw そんな時には、時に身を任せて見えない空間を見つめ、頭を空っぽにす
散歩の途中で「星の瞳」が咲いているのを見つけた、春先の花なのでまだ早いと思うのですが暖冬のせいなのでしょうか。 聞き慣れない名前だと思いますが、一般的には「オオイヌノフグリ」と言いますが、自分は別名の「星の瞳」という言葉の響きが好きでそう呼んでいます。 道端や原っぱに雑草として、秋に芽を出し冬の間に高さ10~20cmで地面に広がっています。2月頃から花が咲き始め5月頃まで次々咲いて行きます。 5mm程度の花で少し紫色が入ったブルー。日が昇ると開き、夕方にはしぼみ、翌日また開き3日ほど咲きます。春の終わりには枯れ、種で夏を越します。 日本には「イヌノフグリ」があり、オオイヌノフグリは明治維新のころ入っていたようです。 オオイヌノフグリが入って来てからは「イヌノフグリ」が絶滅危惧種になっています、自分たちが目にするのはこの「オオイヌノフグリ」です。 イヌノ=犬の フグリ=陰嚢・睾丸 という意味
ここの所、ネット上をウロウロしていると「ダルマ」の言葉がチョコチョコ目にします。歳末から三月頃まで全国で「ダルマ市」が開かれているようです。 今更ながら「ダルマ」って? ダルマは室町時代に作られていた起き上がり玩具がルーツだそうです。江戸時代になりダルマとして登場してから急速に広まったようです。 ダルマは実在した達磨大師(円覚大師)の座禅姿がモデルで,,、中国の嵩山の少林寺で九年間も壁に向かって座禅をして悟りを開き、禅宗の始祖となった高僧です。 その姿形に似せた事から、この起き上がり玩具をとくにダルマと呼ぶようになったようです。 現在売られているダルマは、両方の目が白いままのものがほとんどで、願を掛ける際に片方の目を黒くしておき、願いが叶った時にもう一つの目を黒くします。 これは昔、関東地方の養蚕農家などで春の繭が良ければダルマに片目を入れておき、秋の繭も良いと、もう一方の目を入れる習慣か
A 「今日ね、お腹が痛くなったので病院へ行ったの」 B 「あら 大丈夫なの?」 A 「大丈夫、でも先生がね『どの辺が痛いですか?』って聞くから、 三段目って言ったら大笑いされたゎ 失礼でしょ」 B [A子やっぱり ダイエットしたほうが・・・」 ★ ★ ★ A 「今日ニュースで津波のことをいってたわ」 B 「そうね 南海トラフ地震の事でしょ」 A 「そう だから地震に備えて 乾パンと水を買ってきたのよ」 B 「あらB子らしくないわね」 A 「そぉ? でも意外と美味しかったわよ 少し塩気があって 水と相性が良いみたい」 B 「えぇ もう食べたの・・・」 ★ ★ ★ A 「ねー 目玉焼きに何かける?」 B 「私は、胡椒かな」 A 「シンプルに塩もいいわね」 B 「醤油とか ソースもいいかも」 A 「でもやっぱり『おいしくなあれ』って声を掛けるのが一番かな」 B 「なによ それ・・・」 ★ ★ ★
昨日、家人が赤飯を買ってきた、別に何の意味もなくスーパーで見かけたので買ってきたと言う。ただ食べたかったのだろうw 今更ながら「赤飯」って? 祝い事があると必ずといっていいほど出されるのが赤飯でした。今でも出産のお返しとして赤飯を重箱に詰めて配ったり、結婚披露宴の引き出物として折詰にしたりします。 赤飯がこうして使われるようになったのは、かつては広く「赤米」が栽培されていて、小豆を入れて餅米を蒸し赤く色づけ赤米に似せたようで、米と小豆を混ぜて食べるのが日常的な食生活だったからだと言われます。 赤飯のルーツは、「魔よけの色」とされた赤色の赤米を、神様に供える慣わしにあるといわれます。平安中期の書物には、「あずき粥」として赤飯の原形が登場しています。鎌倉時代には、宮中で3月3日、5月5日、9月9日の節句の膳に、必ず出されていたようです。江戸時代後期には、白い米を小豆の煮汁で色付けした赤飯が、健
大相撲もいよいよ佳境に入ってきました。 今場所は内容の濃い取り組みが多くて、いつもより面白いと思います。 モンゴル出身の横綱が二人とも、 休んでいるせいでしょうかw いつも、二敗・三敗すると、モンゴル出身の横綱はお休みになられます。 今更ながら「手締め」って? もともとは、争い事でもめた者同士が和解する際、お互い物騒な刃物などを持っていない事を示すために指を開いてから拍手したことに始まったようです。 力士が土俵にあがり、蹲踞(そんきょ)をし、柏手(かしわで)を打ち両手を左右に広げるのも同じような意味があるといわれています。 また、無事に物事が終わった時などに「お手を拝借!」の掛け声に続けて「シャンシャンシャン」と手締めの拍手をして解散することが有ります。 売り手と買い手が手締めをしたり、年末の証券取引所の大納会でも手締めで終わるなど、現在でもあちらこちらで手締めの光景を見かけます。すこし意
A 「今日は、付き合ってくれてありがとう」 B 「いいのよ、どうせ暇だったし」 A 「これで美味しいものでも食べて はいこれ」 B 「なになに~ はぁ・・・割りばし・・・」 ★ ★ ★ B 「A子の名前って、どういう漢字なの?」 A 「え~と 真実の『真』に、樹木希林の『き』よ」 B 「どの『き』なのよw」 ★ ★ ★ A 「昨日ナンパされたのよ~」 B 「え~ それでどうしたの?」 A 「お一人ですか?って聞くから・・・いえ二人です・・・ ってお腹をさすりながら答えたの」 B 「まぁ あなたダイエットしたほうが・・・それで?」 A 「あの顔www忘れられないわぁ~」 ★ ★ ★ A 「知ってた? 核家族って核兵器を持った家族の事なんだって!」 B 「A子ぉ 大丈夫?」 A 「大丈夫よ 冗談よ!」 B 「それにしても、ご近所の国どうし なんで仲良くできないんでしょうね?」 A 「そ
今日「とるだけ育休」のニュースがTV(NHK)で流れていた、勉強不足なのですが、初めて聞いた言葉です。 育児休業を取得した男性の「とるだけ育休」が3割に上るという調査結果を母親向けの情報発信をしている会社が公表した。 育児休業を取得した夫が1日にどのくらいの時間育児や家事に費やしたか聞いたところ、8時間を超えると答えた人が20%にとどまり、2時間以下が32%と3人に1人だったそうだ。 「夫はだらだらしていて家のことは結局自分(妻)がやっていた」とか、「4日しかない育休の日程を夫が自分の都合で決めて、そのうち何日かは遊びに使っていた」など不満を訴える回答が複数あったようです。 家事や育児の負担の分散ができているか、休む期間が十分かどうかなどが満足度に関わっていることが分かったということです。 何のための休みなんだろう、自分が休む事によって会社や社員に負担をかけている事を自覚して欲しいものです
A 「うゎ~この恐竜 本物そっくり!」 B 「えっ あなた、本物見たことあるの?」 ★ ★ ★ A 「ねえねえ 昔の人って必ず白色か黒色の服を着てたんだよ!」 B 「えっ あなた、白黒写真って知ってる?」 ★ ★ ★ A 「ねえ 新しくできた喫茶店に行ってみない?」 B 「いいわね、評判はどうなの?」 A 「そうね 私の知ってる中では、30本の指にはいるわね」 B 「えっ あなた、指多くない?」 ★ ★ ★ A 「ねえ ウエイトレスって何でウエイトレスって言うのか知ってる?」 B 「英語でしょう」 A 「そうよね デートの時 男性はず~っと待つのに女性は待たないで さっさと帰ってしまうでしょ だから 男はウエイターで 女はウエイトレスって言うんだって」 A 「waitね・・・」 tomshannon.hatenablog.com
もともとは「古稀」と書き、室町時代には、数え年61歳の還暦、77歳の喜寿、88歳の米寿と、年寿が10年周期ではなく文字を由来とするものへと変わっていったのに対し、古希のみは70歳の長寿祝いとして存続しました。 それは、古稀が中国唐代の詩人、杜甫(とほ)が詠んだ『曲江詩(きょっこう)』の中にある「人生七十古來稀」の一節に基づいています。その意味は「人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なことだ」というものです。 江戸時代には、平均寿命が徐々に延びたこともあり、古希を祝うという習慣は武士だけでなく一般にも馴染みのある風習として浸透していったようです。 古希の祝いは、還暦と同様、ちゃんちゃんこや座布団などを揃えたり、家族が集まっての食事会などを開いたりするのが一般的で、お祝いの基調色は還暦の「赤」に対して、高貴な色とされる「紫」を用います。 これは、伝統的な「古稀」の年齢への敬意を象徴するも
今年は自分も古希を迎える、いつの間にかこの歳になっていたという感じだ。 人生に悔いはない、うん無いはずだ、そう自分に言い聞かせているwww 日本人というのは、季節だけでなく年齢に応じた人生の節目、節目を大切にして来たように思います。 子供が大人になるための通過儀礼として、七五三や成人式などがあり、また長寿を祝い、年長者に敬意を表す意味で、還暦や古希の祝いなどを行ってきました。 様々な伝統、習慣が忘れられていく中で、そこに込められた意味をもう一度見直し、日本人の豊かな人生観を思い返してほしいものです。 長寿を祝うしきたりとして、古希の前には六十歳の還暦が有る。 今更ながら「還暦」って? 長寿を祝う風習は、奈良時代ごろからあって、室町時代に定着したようです。 昔は平均寿命が四十歳くらいだったので、四十歳になると一族が集まって祝宴を開き、その後も十年ごとに「年祝い」をしたそうです。 江戸時代には
年が明けて早くも17日、そろそろ「ケ」に戻りますねw 「ケ」ってご存知ですか、「ハレ」と「ケ」です。 今更ながら「ハレとケ」って? 昔から日本人は、ふだん通りの日常生活を送る日を「ケ」の日、対して祭礼や法会、正月や節句などの年中行事や冠婚葬祭を行う日を「ハレ」の日としていました。 「ハレ」のときは、日常から抜け出し、ハレの日用の着物を着たり、神聖な食べ物である赤飯やお餅を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして特別な日を過ごしました。 「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、順調にいかなくなる事を「気枯れ(ケガレ)」になるとし、特に死や病などはケガレと考えてきました。 神話の時代からケガレを忌み嫌い、神に近づくのにふさわしい身体になるため禊ぎをし、身のケガレを取り除いて清め、お祓いをしたりしていました。 そして、ケガレを取り除いた状態が「ハレ」というわけです。 今でも「晴れ着」「晴れ晴れ」「晴れ姿
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