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デスク環境を整える
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子供が生まれてからは特に1日が早く感じる。 子供中心の生活。 時間が溶けていく。 何をするにしても、子供ありきで私たち夫婦の行動は決まっていくのだ。 子供が泣いたらご機嫌を伺いにいって、ミルクかオムツか抱っこなのかを確認する。 そのどれでもなく泣き止まない場合はお手上げだ。 あらゆる手を尽くしてご機嫌をとる。 自己主張をすることが仕事で、周りの様子など考えることはできない。 このような生き物を育てていくということは、大変であると同時に大きな学びになる。 今の時代は聞き分けが良くないと社会から抹殺されていく時代だ。 現に私の周りでは、聞き分けの良い優秀な若者ばかり。 1億人のカメラマンと記者に囲まれて生きている時代だから、少し道理的に誤った行為をするだけでも、社会的に抹殺されるリスクは昔の何十倍も高くなった。 だから、乳児のようなどうりの全く通じない存在と触れ合うことは、ある意味で新鮮だと感
投資のことをブログに書くのは初めてかもしれない。 とりあえず今の私の考えを記しておく。 新NISA制度開始に伴い、日本では個人投資家、投資額共に右肩上がりに伸びているようだ。 そもそも日本人は資産に対する銀行預金、タンス預金比率が世界でトップクラスに多かったらしい。 そう考えると、投資を促す制度改正により預金を投資に回す方向性は経済活性化のために間違ってはいないと思う。 しかし、あまりにも投資先が偏っていることは問題だ。 特に積立では投資先にいわゆる「オルカン」「S&P500」を選択することがセオリーとなっている。 かくいう私も積立投資先に米国株インデックスを選択している。 しかし、数ヶ月前からは投資比率を見直して、国内株アクティブファンドへの投資比率を大幅に増やした。 その心は、損得はもちろんあるが、別のところにも意図がある。 それは毎月数兆円が外国株購入に動いていることで、円安の流れが
私には見えていない理由があり、それを元に起こした行動だとしても、私から見てそれが非合理的であれば、私はおそらくその行動を肯定することはできないだろう。 人は「主観」で物事を判断するのだ。 だから対話が必要。 今の世の中はコスパ、タイパを重視するあまり、対話を疎かにしているのではないかと思う。 1on1と呼ばれるコミュニケーションがビジネスで推奨され出したが、その目的を理解しないまま制度として導入しても効果は薄い。 その目的は、お互いの目に見えていない部分を共有するために行うのだ。 上司から見た部署の課題と、部下から見た自分の担当業務の課題。 その優先順位が両者で食い違うことは往々にしてあることだ。 そこのすり合わせをしっかりしたおかないと、両者の意見が食い違うままとなり、不信感に繋がることが多い。 つまり、全体の課題をチームで共有した上で、現場の課題に対する上司の見解を伝えることが大事、そ
今日は大谷翔平選手の30歳の誕生日とのことだ。 試合の方は気負いもあったのか、残念ながらノーヒット3三振で終わったようだ。 日比谷ミッドタウンでは「大谷翔平30年の軌跡店」というものをしている。 30歳にして、もはや偉人である。 プロ野球選手としても円熟期を迎え、まだまだこれからも数々の記録を残していくのだろう。 すでに松井秀喜氏を越えて、メジャーリーグでも日本人最多本塁打記録を更新した。 ここからどこまで伸ばしていくのか。 今年は打者に専念しているが、今の時代は投手としても選手寿命は格段に伸びている。 まだまだ記録を伸ばしていくことだろう。 本人の構想では、40歳までは現役を続けるつもりのようだ。 そもそもドジャースとは29歳で10年契約を結んでいる。 この間は怪我さえなければメジャーリーガーとして活躍を続けるはずだ。 その後はどうなるかわからないが、日本で現役を続けるようになれば面白い
私は周りから理論派であるように見られる。 しかし、完全に感覚派の人間だ。 損得勘定や確率を上げるための計算は得意で、日常的に自分が損をしないように計算をしているが、その計算結果に身を委ねるか否かは感情で決めることが多い。 自分が損をする選択だとしても、それが自分の主義に則ったものであればそちらを選択するし、自分が得をする選択肢は、気が引けて選択しないことが多い。 要は優先順位なのだ。 私が生きる上で何を行動規範にしているのか。 この歳になると、ある程度はそれを体系化できてくる。 それに従って行動を決める私は、自分では感覚派だと思っていても、ある意味では理論派なのかもしれない。 それはどっちでもいいことなのかもしれない。 大事なことは、私が理論武装よりも直感的に生きている割合の方が大きいと実感しているということだ。 「自分で自分の人生をコントロールしている実感」 それがあるということは、主体
ここしばらくはブログに書きたいことがあったからか、割と文字数の多い記事を投稿していた。 今の私は環境に変化がある時期にいるため、アウトプットしたいことが次から次に湧いてくるのかもしれない。 いわばトランス状態。 変化に対応するために脳が活性化しているのかもしれない。 しかし、気をつけなければならない。 こういう状態は長くは続かないのだ。 今は気温の変化や梅雨入りしたこともあり、環境的なストレスも大きい。 その状態で心と体への負荷を上げると、どこかで体がもたなくなるはずだ。 無理の効かない体になってしまった私だ。 そのあたりはうまくバランスをとりながらやっていくしかない。 今は実家にいる子供と妻がいよいよ自宅に戻ってくる。 気負いによるストレスを感じてはいたが、まだまだ私の子育ては始まってなどいないのだ。 これからがいよいよ本番となる。 うまいことラインギリギリのところを歩きながら、生活をや
経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんの言葉。 リーダーになる人は「運の良い人」でなければならない。 そして、運の良し悪しはその人が「明るい人」かどうかでわかる。 明るい人は運の良い人だ。 その人には、自然と人がついてくる。 ジメジメした暗い人は、どんなに学歴が高く、能力があり、健康で誠実で合ってもダメだ。 物事のネガティブな面ばかりに目を向けて、事業を停滞させる。 有名な話だが、面接の時に「あなたは運がいいですか?」と問いかけて、「運が良くない」と答えた人は、どんなに優秀でも採用しなかったという話があるほど、松下幸之助さんは、この点を重視していたらしい。 明るい人。能力は関係ない。 いつも生き生きとしている人は魅力的だ。 新しい体験に対してポジティブな姿勢を崩さずに、失敗をしても次への糧にする。 そんな人が幸運を掴むと言われると、感覚的に納得できる。 「運が良い」と自認している人は、不運と思
ある動画を見ていて面白い言葉を聞いた。 「サプライズアクション」 今まで自分がやったことのないこと、これまでの自分だったら絶対にやらないだろうということ、 それを指す造語のようだ。 今の位置からは見えない世界が開けていく。 新しい景色を見ることで、自分の人生を切り開く実感を得ることができる。 動画主は、月に一度の「サプライズアクション」を推奨していた。 それを1年間続けることで人生が変わるのだという。 人は歳を取れば取るほど、新しいことに挑戦しなくなる。 心も体も凝り固まって、これまでのやり方にしがみつくようになるのだ。 しかし、時代はどんどん先に進んでいる。 自分をアップデートし続けなければ、時代から取り残されてしまう。 目に見えるものだけが全てではない。 いくつになっても先のことを考えて行動をしなければ、つまづいた時に取り返しのつかないことになる世の中だ。 だから準備が必要。 その準備
妻が実家に帰っているものだから、 久々の一人暮らしをしている。 そうなると生活は乱れてくる。 好きなものを食べて、好きなことをして、好きな時間に寝る。 毎週末、仲間と飲みに行ったりもしている。 特に食事に関しては、大体妻が用意してくれていたから、それがなくなると外食で済ますことが増えた。 そして体の調子は悪くなる。 規則正しい生活の重要さを痛感するのだ。 久々に羽を伸ばしてはみたものの、若い頃のように、自由気ままな生活はしっくりこない。 私の体はすでに、妻と二人で過ごす規則正しい生活に順応していたのかもしれない。 そして、もうしばらくすると規則とは無縁の三人での生活にシフトする。 私のやりたいことに割くことのできる時間は極端な減り、家事・育児に追われる生活となるのだろう。 果たして私の体は保つのだろうか。 その点が心配だ。 今は私が自由に羽を伸ばすことのできる最後の時間なのかもしれない。
長女が産まれてから、私の人生観が大きく変わろうとしている。 次の世代に思いを託したいという考えが、日に日に高まっているのだ。 子供という存在は、想いを託すに足る存在。 むしろ最たるものと考えて差し支えないだろう。 自分が叶えられなかった夢を子供に押し付けるような、変な期待をかけすぎてもいけないが、ある程度はそういう気持ちが生じでもおかしくはない。 私の感情は、そう言った類のものなのだろうか。 自分ができなかったことを、子供に叶えて欲しいと思っているのだろうか。 それとは少し違う気がする。 私が生きる中で培ってきた思いや生き様を、子供にも継いで欲しいという気持ちの方が強い。 そして、それを発展させて違う時代を生きる姿を見せてほしい。 そういう感覚だ。 そういう意味で、私の人生の主役は私ではなくなったのかもしれない。 そうやって移り変わっていく。 主役の重圧から解放されていく。 そして、新たな
一昨日の記事で2200回目の投稿となりました。 本当は昨日この記事を投稿するつもりでした。 そのための下準備として、2200個目の記事は子供が産まれたことのご報告にしました。 しかし節目の時はスワローズが顔を出す。 不思議なことに、前にも予定を変更してスワローズの記事を書いた記憶があります。 詳しいことは昨日の記事で書きましたが、スワローズの絶対的エースになると期待されて入団した奥川。 2年目で頭角を表して、いよいよエース爆誕と思ったところで相次ぐ怪我。 その辺りが伊藤智仁、佐藤由規に続く系譜のようで、スワローズの宿命を背負わされてしまったかと感じていました。 昨日の試合は、奥川にとって復活の狼煙を上げた試合。 ファンとしては、これを記事にしないわけにはいきませんでした。 私のことはいつでも記事にできますからね。 さて、私の環境も大きく変わります。 第一子となる長女が生まれたのです。 体に
ヤクルト5-3オリックス これは泣きました! 本当は本日は、2200記事投稿記念の記事を上げるつもりでしたが、これを書かないわけにはいきませんでした。 奥川恭伸。 2019年のドラフト1位。3球団競合の末にスワローズが交渉権を獲得。 名門・星稜高校では3年次にエースとして君臨し、夏の甲子園準優勝。 超高校級と呼ばれ、指標では歴代最高クラスの高卒投手との触れ込みで鳴物入りでの入団でした。 プロ2年目にはチーム最多となる9勝をマークして、クライマックスシリーズでは巨人相手にマダックスでの完封を達成! 日本シリーズでも、あの山本由伸に投げ勝ち、チームの日本一に大きく貢献しました。 しかし、エースとして飛躍する予定だった3年目。 シーズン初戦で肘を痛めて降板すると、そこから3年間一軍での登板はありませんでした。 同期の佐々木朗希、宮城大弥が順調にプロで結果を残し、WBCでは世界一に貢献する中で、高
先日、長女が誕生しました。 母子共に健康です。 妻は入院中で、そのまま実家に帰るので、私が直接育児をする機会は当分先になる予定ですが、少しずつ実感が湧いてきました。 たくさん初めての経験をしました。 出産に立ち会い、名前を決めて、役所に出生届を出し、会社への各種申請。 その過程の中で、確かに新たに1人の人間が誕生し、社会の一員になったことを実感しました。 ミルクをあげて、おむつを交換。 人間の赤ちゃんを育てるのは、本当に手間がかかる。 多くの人の協力が必要。 それが社会性を生み出して、ホモ・サピエンスを生態系の頂点にまで押し上げたというのですから、なんとも逆説的です。 私に子供が産まれた。 それは、なんとも信じ難い事実です。 ブログ開設当初は、女性から酷い仕打ちを受けて、弱者男性としてのお気持ち表明ばかりをしていた私。 そんな私に子供が産まれたのです。 人は変わるものですね。 一つだけ言え
世の中には様々な哲学がある。 何に重きを置くかによって物事の見え方は変わってくる。 心に主眼を置けば、自らの心の向きに囚われた生き方となるし、体に主眼を置けば、欲求に縛られた生き方になる。 どちらかに傾きすぎてもいけないし、ちょうどいいバランスを保ち続けたところで、常にそこに正解があるとは限らない。 大事なことは、物事を俯瞰して本質を見抜くことなのではないだろうか。 「アンコンシャスバイアス」に目を向ける、という考え方が流行っているが、それを平く訳すと「自らの無意識が発する偏りに気がつく」それを推奨するということである。 ACの広告でも流れていたが、私たちは、目の前の事象に対して、性別や年齢で区分けした時に多数派が属する方向だろうと決めつけて生きている。 しかし、ダイバーシティアンドインクルージョンを目指す現代の社会組織においては、それを悪だと捉える。 難しい言葉ばかりが世の中に溢れている
私の気持ちが落ち着かないからだろうか。 最近は通勤の満員電車が苦痛で仕方がない。 ふとしたことでイライラするのだ。 不機嫌でいると不機嫌を呼び込む。 まさに悪循環だ。 どうしてもあの閉鎖環境には慣れない。 少し動いただけで周りとぶつかる。 周りが少し動いただけで私とぶつかる。 その環境に閉じ込められるのだからたまったものではない。 心を無にして過ごしている。 それでも変な奴がいるとイライラする。 前のスペースが空いているのに、私の方に寄ってきたり、不自然に吊り革を掴もうとして腕を顔の前に突き出してきたり。 吊り革を掴むことに命をかけている人がいるけれど、あれは本当に邪魔だ。 そこまでして吊り革を掴む必要があるのだろうか。 甚だ疑問だ。 あとはフード付きの服やポニーテールの女性。 ギリギリのスペースの中では、あの出っ張りだけでも邪魔になる。 その辺りもなんとかならないのだろうか。 いろいろな
私は「めんどくさがり屋」だ。 ブログを6年近くも毎日更新し続けていて、リアルでも周りからは律儀に見られることが多い。 しかし、それは私が必要だと思うことをしているからに過ぎない。 「やりたいこと」と「やらなければならないこと」以外は極力手を出さない。 一度メンタルをやってしまってからは、その行動規範に従って生きている。 だから100点を目指す人とは相性が悪い。 80点で問題のないことは、たとえそれが仕事だとしても「それで良し」と考えるし、極端な話、やった方が良いがやらなくても問題にならないことは、できればやりたくないと考えている。 何事もバランスが大事なのだ。 なんでも定量化すれば良いというものでもない。 感覚的に「ここまでやれば良い」で済ますことのできることもまたスキルの一つである。 その点で、私と上司は折り合いがつかない。 上司は基本的にストイックだから、部下に対しても細かい指摘を欠か
昨日投稿した記事が消えた。 今投稿している昨日の記事は、投稿時間を昨日の日にちに変えて、本日投稿したものだ。 私は記事を投稿するときに、同時にTwitterでも通知するようにしている。 確かにTwitterの方には、6/1の15:58に記事が投稿されていた。 はてなブログのお知らせ画面にも、昨日の投稿時間の後に昨日のうちにスターをつけていただいた記録が残っている。 しかし、投稿したはずの記事は、下書きに戻っているわけでもないし、記事を削除したときにしばらく保存されるはずのゴミ箱にも無い。 確かに昨日、私は「6月を迎えて」というタイトルの記事を投稿していたはずだ。 それが完全に消えてしまった。 原因はわからない。 6年以上はてなブログを続けているが、こんなことは初めてだ。 放送禁止用語など、投稿したらまずい内容を記載したわけではないはずだ。 至って普通に6月を迎えての気持ちを書き綴ったものだ
出産に向けて妻が実家に帰った。 久しぶりの一人暮らしだ。 これからしばらく、産後落ち着くまでは一人暮らしとなる。 昔とはまた違った感覚だ。 「さみしさ」が募る。 実家を出て一人暮らしをした時と違い、 私は歳をとったのだ。 あの時はやりたいことが山ほどあったものだから、一人での生活にウキウキしていた。 しかし、今は一人になったところで特別やりたいことなどない。 そればかりか一人で家事をこなし、仕事から帰っても迎えてくれる人のいない生活に「さみしさ」を感じるのだ。 妻のいる生活が当たり前のように変わっていたことに気がつく。 私の生活は、もはや妻なしでは語れないほどに二人での暮らしに染まっていたのだ。 妻が帰ってきたならば、二人暮らしが三人暮らしになる。 それは、今の私の「さみしさ」は、それを恋しいと感じるくらいに慌ただしいものになるのかもしれない。 今は貴重な期間なのだ。 しっかりと英気を養う
自分が無知であることを知ることが、 賢くなるための第一歩。 ソクラテスだったか。 先人はそんなことを言っていたようだ。 私はある程度社会人として経験を積み、 その成果を持って転職をした。 そこでもある程度は習熟度を上げて、 短い期間でそれなりに成果を積んでいる。 だけれども、それは私から見える世界だけの話なのだ。 私の身近にも、私には見えない世界が広がっていて、そこでは私は無知である。 どこまでも謙虚でいたい。 私は無知なのだ。 どこでもかしこでも学ぶべきことだらけ。 そのことを忘れずにいたい。 「不満」の大半は傲慢な気持ちから生じるもの。 「不満」があるということは、謙虚な気持ちを忘れている証拠なのかもしれない。 自分一人でできることなど高が知れている。 私の知らないことをたくさんの人が知っている。 集合知に対する姿勢を見直す必要があるのだ。 表向きだけ謙虚さを演出することができていても
それを試される機会が増えそうだ。 イライラする感情をなくすことはできない。 心の奥底から湧き上がり、私の全身にゾワッとイライラが駆け巡る。 その湧き上がる感情を止める術などないのだ。 それでも、少なくともイライラを引き起こした対象ではない人に対しては、そのイライラをぶつけてはならないのだ。 ここしばらくの私はイライラすることが多い。 それに引きずられて、関係のない人に対してもイライラした態度で接することが増えている。 なんとかしなければならない。 そう思いながらも、湧き上がるイライラに翻弄されているのが現状だ。 「感情の切り分け」 イライラする感情が湧いてきた時に、自分のことを客観視して、「イライラしてきたな」と理性を働かせること。 そして、イライラを無理に抑え込もうとはせずに、ただただ客観的に湧き上がる感情を認識することだけに努めること。 それが大事なのだ。 イライラの因果関係を考察して
後期の遅れやバス運転手問題など、数々の問題を引き起こして開催の危機と報道される大阪万博。 これは一大イベントの風物詩だ。 東京オリンピックの時も同じようなことを言われていたが、結果として問題なく開催できていた。 だから個人的にはあまり気にしていない。 それよりも気になることはマスコットキャラクターの気持ち悪さだ。 「ミャクミャク」 腸に目がたくさんついたような気持ち悪い風貌。 なんでこんな気持ち悪いキャラクターを公式マスコットにしたのだろうか。 最終選考でライバルだった他のマスコットは普通の可愛らしい見た目だったと記憶している。 このキャラクターがテレビに映るたびに「気持ち悪い」と思い、大阪万博への嫌悪感を覚える。 この他のイベントでは、グッズ収入も貴重な収益となるはずだが、こんな気持ち悪いキャラクターのグッズが売れるのだろうか。 その点から考えても、行政のセンスの悪さが浮き彫りになる。
ここしばらく休日も落ち着かない。 気がつくと日曜の夜になっていて、 また月曜日から仕事が始まる。 その繰り返しなのだ。 どこかで自分のことを奮い立たせなければならない。 その作業をするタイミングに苦慮している。 日曜日の夜は嫌いではない。 休日も忙しくしているから、仕事をしている平日とさほど疲労感に変わりはない。 世間的には日曜の夜はゆっくりするものだとされているものだから、私も予定がないことが多い。 だから、自分を奮い立たせるには良い機会だ。 ストレッチをして、軽い筋トレをして、気持ちを落ち着かせるために呼吸を整えて、また新たな一週間を迎えるのだ。 自分の可能性を信じること。 淡い希望のようなものを信じること。 その正体不明の目的地があるからこそ、 私は前に進み続けることができる。 天井が見えてきた。 そろそろそういう年齢だ。 だからこそ私は自分を奮い立たせるのだ。 毎週新たな一歩を踏み
人は社会的印象に引きずられて生きている。 男の方が力が強い、女性は家庭で活躍する。 そうしたステレオタイプ。 それに当てはまらない場所では、ステレオタイプ脅威というものを感じて、能力が低下するようだ。 例えば、肉体労働の現場で働く女性は、そこで女性として扱われれば、物理的にも力が弱くなるらしい。 不当に低い立場で働いている人は、本来持つ能力が高かったとしても、その立場に見合った力しか発揮できないようだ。 そうしたステレオタイプ脅威。 私にも思い当たるところがある。 日本人は空気を読む性質が強い。 「でしゃばり」は敬遠されるのだ。 だから、必要以上にTPOに縛られて、与えられた役割を演じることに躍起になるのだろう。 見た目に威厳があるの立場が高い。 立場が上だと仕事ができる。能力が高い。 それもまたステレオタイプだ。 ある意味では、立場が上がることで、それに見合うだけの仕事を任されて能力が身
ここを乗り越えたなら、楽になるしかない 私を愛せるのは私だけ 生まれ変わるならまた私だね 2023年にレコード大賞を獲得した曲。 まさにミセスの真骨頂。 人生を肯定的に捉えられるように、 背中を後押ししてくれる曲だ。 人生には無数の勝負点がある。 そこだけはどうしても頑張らなければならないという勝負点だ。 そういう勝負点を迎えるにあたり、気負いすぎてしまいがちだから、「ケセラセラ(なるようになる)」と気楽に構えていた方が力を発揮できるのかもしれない。 自信がないと、それに引っ張られて力を発揮できなくなる。 自信があると、多少の失敗をしてもそれが失敗に見えなくなる。 それならば、自信があった方が良い結果となる確率は上がるのだ。 自信が過信にならないようには気をつけなければならないが。 「ケセラセラ」 「なるようになる」 きっとその積み重ねが「なんとかする」という、 前向きな力に変わるのだ。
今の私は自信を喪失している。 不思議なことに、そうなると自分の能力が低下したように思える。 何をしていても、力不足だと感じるし、何をしていても手応えがない。 モヤモヤした感情が常に渦巻いている。 これは「不安」からくるものなのだろうか。 子供が生まれて生活が大きく変わることで、見通しのたたなくなる将来のことを考えているからなのだろうか。 今の生活も結構ギリギリでやりくりしている。 それが子どもを中心とした生活に変わるのだ。 果たして私の体は持つのだろうか。 その点については不安で仕方がない。 しかし、私よりも出産を控えた妻の方が不安なはずだ。 私はもっとどっしりと構えていなければならないのだろう。 「不安」のほとんどは杞憂に終わる。 それでも人は「不安」と同居しながら生きるしかない。 これは進化の過程で備わった危機管理能力の一つなのだ。 「愛は世界を分断する」 幸せホルモンであるオキシトシ
今日はあれをやらなければならない。 明日はこれをこなさなければならない。 後ろ向きに生きていると、やる気はどんどん失われていく。 タスクをノルマのように捉えて、完了したら取り消し線を引いてToDoリストから消していく。 仕事はそれでいいだろう。 しかし、プライベートまでそういうタスクのこなし方をしてしまうと、人生はどこか味気ないものになってしまう。 「楽しみなことがたくさんある」 「待ち遠しい予定がある」 そう思いながら生きる時間を増やしたい。 対価を得るための時間とそうではない時間。 そのたてわけを明確にすることが必要なのかもしれない。 限りある時の中で、誰の人生を生きているのかわからない時間ばかりを過ごしていたら、生きる気力は失われていく。 歳を取ってからも生き生きとしている人がいる。 逆に、「いつ死んでもいい」と口にする若者がいる。 その差は、人生に対する主体性の有無によるものなのだ
昨日の記事で2101日連続での投稿となりました。 2000日を超えてからも、私は毎日ブログを更新し続けて、気がつくと100日を超えていたようです。 ひとまず、この100日間の変化を確認します。 前回2000日連続更新は1月の終わりでした。 そこから記憶を辿ると、なかなか忙しい日々を過ごしてきたように思います。 ・出張をした ・年度が変わった ・出産に対する意識の高まり ・モヤモヤすることが多かった 仕事は2月が忙しさのピークで、そこから3月4月は少し落ち着いていました。 年度が変わり4月に入るとプライベートでモヤモヤすることが続き、精神的に堪える時期が続きました。 人は社会的な生き物。 努力が報われなかったり、コミュニティから阻害されているように感じると、暴力を振るわれるのと同じように、身体的な苦痛を感じるストレスホルモンを分泌するそうです。 ここしばらくは「世知辛さ」を感じることが多かっ
時折仕事をしている時間はあったが、10連休だった今年のゴールデンウィーク。 ようやく長い休みが終わることになる。 明日からは忙しくなるだろう。 そのための英気を養うことができたかと聞かれると、「できた」とは言えない。 妻の実家との関係で結構多くの休日を費やしたことから、気を使う休みだった。 出産を間近に控えているので仕方がないといえばそうなのだが、家にいても気を使う時間は多かった。 それでも何日かは自由に過ごさせてくれた妻には感謝しなければならない。 出産に対して不安を口にすることが増えてきた。 文字通り、出産は「命懸け」なのだから不安になるのは当たり前だ。 私はといえば、生まれた後のことばかりを考えて不安になっている。 ライフステージが大きく変わる出来事。 大変なことがたくさんあるだろう。 それでもしばらくは二人で力を合わせてやっていくしかないのだ。 その中で、これまで経験したことのない
中日7-7ヤクルト 現地で参戦してきました! 5時間を超える熱戦でしたからね。 終わったのは23時すぎ。 私が参戦する神宮の中日戦は毎回泥試合になる印象ですが、今回も同じく泥試合でした。 しかも先行しながら9回に追いつかれるという、 完全な勝ち試合を落としての泥試合ですからね。 得るものがありませんでした。 スワローズの中継ぎが弱いことを象徴するような試合です。 セットアッパーの清水と抑えの田口がいないわけですから、戦力はガタ落ちです。 盛り上がる展開で3-0から逆転をして、村上のダメ押し2ランホームランまで飛び出し、3-7としましたが、7回と9回に2点ずつを取られて、結果として延長12回までに決着つかず引き分けです。 これで勝てないのですから、どうしようもないですよね。 これまでの4連勝に水を差すような引き分けですので、翌日以降への影響が心配です。 とにかく逆転負けが多いスワローズ。 先
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